2020年1月26日(日) 緑茶カウント:0杯
友人と呑みに行った帰り道。良い塩梅にアルコールが回り、頬を撫でる寒風を心地良く感じながらふわふわ歩く中で、友人は思いもかけない言葉を口にしたのだった。それはせっかく近所にいるのだから頻繁に遊びたいけれどもお互い酒呑みだから金がかかって困るねぇ、という己の言葉に対するもので、あまりにも思いがけないものだったから己は一瞬意味を読み取れなかったのさ。
「もしもう一度こんな機会をもらえるのなら、ウヲさん家で呑むってのはあり?」
はて。後半については何も問題が無い。互いに酒呑みであり、出費を減らすのであれば宅呑みがちょうど良いだろう。問題は前半だ。これを聞いたとき、己は「お前は何を言っているのだ」と思ったし、「何でそんなことを言うんだよ」と悲しくも思った。
そうしてすぐに思い至った。あぁ、己にとっては当たり前にこれからも続いていく関係性という認識であったのだけれども、彼にとっては奇跡だったのだと。その重みを己は全く知らなかったのだと。
友人は先天的に人の感情を慮ることが苦手で、いわゆる「普通」がわからない。故に子供の頃にはいじめられ、社会に出てからも苦労したと本人の口から聞いた。結婚もしたが、離婚もした。そして偶然近所に引っ越してきた。自分は彼と大学時代に出会い、彼の性質を何となく読み取っていて、それを含めて最高に面白い良い奴だと思っていて、彼と話すと自分とは全く違う視界を見ることができて、まるで世界の色彩が増えるような心地がして、だから己はそいつが大好きなのだった。
離婚という悲劇があったにも関わらず喜ぶのもクソ外道だとは思うが、友人が近くに越してくれたことが嬉しくて、語れることが楽しくてたまらなかったから、思いがけない言葉にびっくりして、改めて気付かされたのさ。
あぁ、己は彼の性質を愛しているが、彼はずっと苦労してきて、この瞬間も奇跡として捉えているのだなぁ、と。
社会人になってしばらく経って、障害として診断されたと彼は言う。己は何となく察していたので意外は感じなかったが彼にとっては重大事件だったのだ。そしてそのことを重く重く受け止めていて、あのような言葉が出てきたのだ。己はそれを悲しく寂しく思ったが、知ったことか己の感情なんてものは。
ただ誘おう。うまい酒と肴を用意して。彼が「奇跡」を「普通」と認識できるようになるまで。