日記録0杯, のほほん学校, 日常

2020年2月11日(火) 緑茶カウント:0杯

あっという間だ。気付けばこのサイトを開設して今日で十八年目、つまり十七周年を迎えたことになる。もう人生の半分以上をこのサイトと共に歩んでいるのだと思うと感慨深い。始めた当初はメモ帳にHTMLをタグ打ちしてFFFTPでアップロードして、だんだんサイトの形式も変わっていき、何年か前にWordpressに移行して、今はサイトと言うよりもブログと表現する方が近しい思いもするものの、「個人サイト」という古めかしい響きが好きで今もその名を使っている。今後も時代の流れに乗ってサイトの形は変わるのだろうが、やっていることは恐らくずっとそんなに変わらないのだろうなぁ。いや、イラストサイトからスタートして日記サイトになるという小さな変遷もあったけどね。

今日はオーケンのお誕生日を記念して開催されたオーケンのトークイベントであるのほほん学校に行ってきた。ゲストはFANTaさん、怒髪天の増子さん、高橋竜さんにタカハシヒョウリさんの四名。お誕生日記念ということで満員御礼のソールドアウト。己の整理番号は後ろの方だったため何とか座ることは出来たものの、終始首を傾けなければならなかったためなかなか大変だった。

しかしイベント中は首の痛みを忘れるほど楽しく面白く、ケラケラ笑って最高の気持ちになれた。増子さんのトークの切れっぷりの素晴らしさったら! イベント中、オーケンはYoutuberを目指すと言い出し、世界に筋肉少女帯を英語で紹介する動画を撮ったことを明かした。結局イベントではその動画は披露されなかったが帰宅したらアップされていた。Hello world! We are Kinnikushoujotai!





弾き語りに英語にインスタグラム。いくつになっても新しいことに意欲的なオーケンはすごいなぁ、と新しいことへの腰が重い己はシンプルに尊敬の念を抱く。こうありたいなぁと思いつつ、己はずっと同じことをやってんだろうなぁとも思っていて、それはそれでまぁいいか、と思いつつ、ちょっとした焦燥感も胸の内に湧くのであった。



日記録2杯, 日常

2020年2月10日(月) 緑茶カウント:2杯

期間限定でほくろが出来た。今となってはあれがほくろだったのか何だったのかはよくわからない。ただ、ある日の起き抜けに鏡を見たとき、見慣れたはずの自身の顔に強烈な違和感を覚え、同時に不快感が湧いてきたことを覚えている。

鏡を見れば左目の下にポチッと小さなほくろらしきものが出来ていた。しかしそれはほくろのようであるのだがほくろか否かよくわからなかった。何故なら二ミリほどの黒い点を囲むように赤い滲みが浮いているのである。最初、ひっかいたのかと思った。故にこれはかさぶただろうと。しかし触ってみてもその黒い点は平たくて、かさぶたらしき盛り上がりが指の腹に感じられない。つくづく不思議を感じつつ、突如顔面に現れたそれを己はしげしげ眺めていた。ほくろが生まれるところを見たことはこれまでなかったが、こんな風にして赤を滲ませながら生まれるのかしらん。

で、じーっと眺めながら思うのは嫌だなぁ、ということ。というのもそのほくろの斜め下にはもともと生来のほくろがあった。生来のほくろについて嫌悪を感じたことはなくごく普通に顔の一部として認識していた。しかし、その古参と新参の配置は絶妙に悪く、その二つを繋げるとちょうど己の目の下にある消えない隈を象るようなラインが描かれるのである。せんでもいいのに無暗に隈を強調するのだ。

あーでも友人や友人の弟がほくろ取ってたな。手術で取れるのか、いくらだろ、なーんて「ほくろ 外科手術」などの単語を検索窓に打ち込んだりなんだりしているうちに何故かほくろらしきものは薄くなり、今日になって顔面から姿を消してしまった。今はただほくろを囲むように滲んでいたわずかな赤だけが残っている。

結局あれは傷だったのか何だったのか。わからないが、まぁ皮膚科に行く手間が省けて良かったなぁと思っている。



未分類

■2月10日1時「数年前「ハイストレンジネスチケットメンバーズ」を始めるよ、と~」の方へ

ありましたありました、懐かしい。とはいえ目立つ行為は無論ありますが、みんながみんなってわけじゃあないのでそこまで悲観することは無いと思いますよ。そしてまた、その言葉を覚えている我々は今後もきちんとしていきましょう。

■2月10日7時「でも、良い整理番号が欲しくて~」の方へ

何か誤解をなさっているのか別の方と間違えているのか謎ですが、己はファン仲間からチケットを譲ってもらったことはもちろん、イープラスで四枚まとめて申込んだうえで余った分を流したことも無く、もっと言えばライブ後のオフ会に参加したこともないですよ。多分人違いです。



日記録0杯, 日常

2020年2月9日(日) 緑茶カウント:0杯

ものすごーく筋少が好きだし筋少ファンとのネット上でのやりとりもとても楽しいのだけれども、ちょっといかがかなーと思うことはあるのさ。

一つは、無断転載やめようぜ。
もう一つは、チケット余分に取るのやめようぜ。
ってことなのさ。

無論これらは筋少ファンの全員がやっているわけではないし、むしろ一部であるのだが。目につくだけに気になって、その他の部分は好きであっても気になるなぁ、とは思うのだ。

基本的に無断転載はよろしくない。故に己はミュージシャンの写真をアイコンにしている人は基本的にフォローしない。無断転載だからね。そのへんの感覚が無いのだなーと思うしね。中にはイラストを描いたり写真を撮ったりする方で、自身の作品の無断転載には過敏なのだが、自身がメジャーな作品の無断転載をすることにはゆるゆるという場合もある。いやわかるよ。好きなものを広めたい気持ちはね。でも節度は大事だね。

あと良い番号をゲットするために複数枚チケットを取り、余ったら流す行為。やめようぜ。今はさ、ハイストレンジネスも緩くてさ、ライブも会員証の確認さえできれば良くて、チケットの整理番号と会員証を照らし合わせることもなくてさ。おかげで、もしも自身や同行者が病気になったときにも誰かにチケットを譲って……なんてことをしても弾かれることなく済むじゃあないですか。でも、あんまり横行したら厳しくせざるを得なくなって、病気になっても誰にもチケットを譲れなくなって、取得した本人以外は使えない……ってことになってしまうぜ。公式にも負担をかけるし入場にも時間がかかるし、そんなことになってしまったら何も良いことなんてないよ。

甘いうちにしっかりしましょうよ。公式が対策をしなくて済むように、ファンの我々がさ。優しさにあぐらをかいていたらどんどん厳しくなるぜ。そうなる前に律しましょうよ、自分らを。



日記録3杯, 日常

2020年2月3日(月) 緑茶カウント:3杯

年齢を重ねるごとに時代が変わり世の中の価値観が移り行く中で、自分自身の価値観をアップデートしないとどうなるか、ということを考えたとき、「若者に距離を置かれる」というのも一つの側面ではなかろうか。そしてその若者は路上で行きかう接点も無ければ関係も無い言ってみればどうでも良い人間だけでなく、子供や孫といったその人にとってどうでも良くない、愛すべき存在も含まれるのだ。

無論全部が全部そうと言い切るつもりはない。しかしその側面はあるだろう。だからなるべく、価値観はアップデートしていった方が良いのである。愛すべき子供や孫から距離を置かれたくなければ。

そして自分がまさにそのアップデートできなかった人物の孫であり、会いたい会いたいと電話や手紙で訴えられながらじっと距離を置いている。何故なら、会うと疲弊するからだ。そして会えば会うほど苦い感情が増え、今はまだ嫌いとまではいかないまでも、そこに辿りついてしまいそうだからだ。

同情もなくはない。スーパーマーケットも老人ホームも潰れた山奥の過疎地に住む祖父母は得られる情報が限られている。ただ、全くチャンスがないわけではなかった。祖父母の古い固定観念による決めつけや要望に対し、己は苦言を呈してきたし、正面から拒否してきた。しかし祖父母が見ているのはいつまで経っても実像ではなく虚像の孫であり、実像が虚像に近づくことを望んでいた。また祖父は悪意なく失礼な発言を周囲にすることが多々あり、祖父母の子供である叔母達は「年だからしょうがない」と時には怒りつつも許してきた。そこには血のつながりゆえの寛容があり、祖父母も叔母達もその寛容を他者にも期待してきた。しかし子世代はともかく孫世代ではその寛容は薄く薄くなっていて、不快の方がよっぽど勝ってしまったのである。結果、我々孫は諦めて距離を置いている。

きっと祖父母は気付きもしなかったのだろう。当たり前に存在した「血のつながりを大切にすべき」という価値観だけでなく、今の世には「例え家族や親戚であっても気が合わないなら距離を置くべき」という価値観が存在していることに。

そうして自分はと言うと、祖父母と距離をとりながら何とも言えない気持ちを抱いている。この日記を書いたのは別に自分を正当化したいわけではなかった。反面教師にしようと教訓めいたことを言いたかったわけでもない。ただやるせなさを抱きつつ、こういう面ってあるよなぁ、とただただ寂しく思っているのである。