2016年9月29日(木) 緑茶カウント:4杯
収入の半分以上を外食に費やし毎週毎週下駄を新調、家事も仕事も勉強もせずひたすら浪費をし、金が足りなくなったら贅沢のために借金までせがみ望みが叶えられなければ泣き出す女とそれを止められない男が「大きいベビちゃん」「可愛いパパさん」と言い合いながら垢染みた衣服が散乱し悪臭がこもる部屋でイチャイチャする地獄を見せ付けられている。
谷崎潤一郎の「痴人の愛」を半分まで読みながら、何て下品な女性の描写が達者なのだろうか、と己は圧倒されていた。「下品」という言葉はそれを発するだけで自らの品性も貶められるパワーがあるので積極的に使いたくはないのだが、「品が無い」では正しく形容できないのである。彼女においては「下品」と言い切るしかない、そんな強烈さ。大して本を読んでいる方ではないとはいえ、ここまでの存在に出会ったのは初めてだ。
読み進めれば進めるほどナオミちゃんの横暴さと下品さにほとほと嫌気が差してきて、この娘の言葉を読むだけで嫌な気持ちになり、関わり合いたくないものだとつくづく思いながら読んでしまう。愉快かと言えば愉快ではない。むしろ不快である。しかしページをめくってしまう。それは面白いと愉快はイコールではなく、つまらないと不快もイコールではないためだ。あぁ、早く読み終わりたいような、解放されたいような、先が知りたいような知りたくないような。苛まれながら楽しんでいる。
この主人公も最初の頃は下心のない光源氏のようだったのに、と思うと虚しさまで募ってくる。地獄である。つらい。