日記録5杯, 日常

2013年7月30日(火) 緑茶カウント:5杯


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今年も一つ歳を重ねた。毎年誕生日には何か、自分のために一つ物を買う。しかし今年はこれといって誕生日に買いたいものが無く、また同時にこの時期に予約申し込みをしなければならないDVD、本、ライブチケットが集中していたため、まぁケーキと何かちょっとしたものでも食べれば良いか、と思ったのだが、誕生日の前日「すごく良い」という話を聞き、もともと興味を持っていたこともあっていてもたってもいられなくなり、これを今年の誕生日プレゼントにすることにした。

ROLLY&谷山浩子のからくり人形楽団。現在進行形でこれを聴いて楽しんでいる最中だが、一曲目から買って良かったと大満足している。谷山浩子の世界にROLLYの色が加わることによって極彩色に弾けまくっている。ROLLYはたまにテレビで見たことがあるくらいで、歌唱を真面目に聴いたことはほとんど無いのだが、良いなぁ。芝居がかった声がすごくマッチしている。素晴らしい。

朝からたくさんの人に祝ってもらい、喜びつつも、今後の生き方をちらりと考えてみたらさっと憂鬱の影がかすめたが、緑茶を飲みながら音楽を聴いて過ごす夜は幸せで、楽しく自信を持って三十歳、四十歳を迎えられるようにしなければならないな、と改めて思うのだった。楽しいだけじゃなくってな。楽しいだけじゃ。



日記録5杯, 展覧会, 非日常

2013年7月28日(日) 緑茶カウント:5杯


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Bunkamuraで開催されているレオ・レオニの絵本展に行ってきた。代表作の一つは「スイミー」。小学校に入る前だっただろうか。母に買ってもらった数々の絵本の中に「スイミー」があり、寝る前に必ず一冊好きな絵本を読んでもらえたのだが、この「スイミー」は何度読んでとねだったかわからない。特に印象的だったのがドロップのような美しい海草。あの水中を彩る華やかな色彩にすっかり魅入られてしまったのだ。

小学校に入学すると、「スイミー」以外のレオ・レオニの絵本がたくさん図書室に置いてあった。「アレクサンダーとぜんまいねずみ」「フレデリック」「おんがくねずみ ジェラルディン」「コーネリアス」、そして「ペツェッティーノ」。小さな欠片のような姿をした「ペツェッティーノ」が、自分は誰かの部分品ではないかと思い、様々な人に尋ねまわって自分の正体を探す話。これを読み、ペツェッティーノが自分の正体を見つけたとき、金槌で殴られるような衝撃と感動を覚えた。

それから十年近く経った後、「ペツェッティーノ」を読み返したときは、あのとき自分がひどく感動したことも含めて、どこか気恥ずかしいものを感じた。何故気恥ずかしく感じたか。それは「自分とは何か」と悩むことを青臭く感じる時期だったからだ。

ただ、気恥ずかしく感じはしたものの、依然好きという気持ちは変わらなかった。

レオ・レオニは幼少の自分に「自分は何なのだろう」と考えるきっかけをくれた人だ。そしてまた、当時の自分は知らなかった絵画技法を見せてくれた人でもある。いつか自力で絵本を揃えてみたい。特に「ペツェッティーノ」。三十を目前に控えた今、改めて読み直し、今どのように感じるか確認したい。今度はまた素直に読めるかもしれない。



日記録5杯, 日常

2013年7月23日(火) 緑茶カウント:5杯

待てども待てども。よっぽど侮られてるのか、それとも甘えられているのか、全く関心を持たれてないのか、心底どうでも良いと無下にされているのか。誰にでもそうするのか。自分にだけそうなのか。わからない。

遅刻しないで欲しい、ドタキャンしないで欲しい、約束をすっぽかさないで欲しい、せめて連絡して欲しいという願いがそこまで分不相応なものなのだろうか。まるで虫けらのような扱いだ。それでいて意図が読めない。

悲しい。



日記録5杯, 日常

2013年7月12日(金) 緑茶カウント:5杯

恋バナなるものをしたのだよ。

恋バナという言葉が生まれたのは今から十年前だろうか。当時やっていた進研ゼミの付録の冊子に恋バナコーナーなるものがあり、こんな流行り言葉が進研ゼミの冊子に載るのかといたくショックを受け、けしからんと憤った記憶がある。そしてその後恋バナなる単語とは直接的な関わりをほとんど持たない生活を送ってきた。一つは恋バナという言葉のちゃらついた感じがあまり好きではないため、もう一つは恋愛関係の話題自体が苦手なためだ。

そんな自分だが、今日は友人と電話で一時間近く恋バナなるものをした。いや、したと言うのは正確ではない。聞いたというのが正しい。友人の恋バナに積極的な相槌をし、会話を楽しむということをした。なるほどなるほど、そういった経緯で交際を始めたのか、彼女はそういう人なのか。友人の恋バナは面白かった。

何というか、のろけてるのか面倒くさがっているのか諦めているのか喜んでいるのかよくわからないテンションで、そのくせその全ての要素が友人にあてはまっており、最終的には人生の話になった。交際相手を褒めてはいたが、どこが好き、といった話は全く出てこず、性的な要素も皆無。非常に冷静に自らの立場を分析しつつ今後の身の振り方の考察をしていた。

まるで論文を音読されるような恋バナだった。もしかしたら恋バナじゃなかったのかもしれない。



日記録5杯, 日常

2013年7月11日(木) 緑茶カウント:5杯

驚いた。夜、道を歩いていたら左頬に衝撃を覚えた。何か固い物が衝突した感触。ところで自分が歩いていたのはどこかと言うと、木に囲まれたちょっとした小道だ。冬は静まり返っているが、夏はカナブンやセミがうようよしていて賑やかななかなか楽しい場所である。

しかしここ。カナブンやセミだけなら良いが、厄介なことに夏場はゴキブリもしょっちゅう横断しているのである。それを踏まえて想像して欲しい。何かが左頬にぶつかった瞬間の己の心境を。

痛っ。何だ? カナブンか!? セミか!? って肩の後ろに落ちたぞ! 付いたぞ! セミっぽくは無いぞ!? 何色だ、カナブンか? カナブンなら良い! ゴキブリだったら嫌だ! 何だ! 見えない! 何だお前! 何だ! 何色だ!!

いくら虫好きでもびびる。

そうして慌てふためいていたら向かいから歩いてきた外国人に流暢な日本語で「どうしましたか?」と聞かれた。「虫が顔にぶつかったようで」と言いつつ上着を脱いでいると、付いていたのはカナブンだった。

「取りましょうか?」
「あ、大丈夫です。今落ちました」
「カナブンですね」
「カナブンですね。お騒がせしました」
「いえいえ、おやすみなさい」
「おやすみなさい」

カナブンを小道に置いて親切な外国人と別れた。別れた後思ったが、あの人はよくカナブンなんて単語を知っていたものだ。もしかしたらあの人も衝突されて驚いて図鑑で調べたことがあったのかもしれない。