日記録3杯, 日常,

2015年2月22日(日) 緑茶カウント:3杯

面倒くさい、には様々な種類がある。本日、己はベーコンエッグを焼き、食パンに挟んでラップでくるんだものを三つ作った。朝食は摂りたいが、朝にフライパンを使うのが面倒くさくなったためである。そして一週間分のほうれん草のお浸しを作り、柚子大根を作り、おかずを作り、おにぎりを握り、それらを冷蔵庫と冷凍庫に突っ込んだ後、今晩の夕飯である明太子パスタときゅうりの豆板醤漬けを作った。

二時間かかった。我ながら、これはかえって面倒くさいのではないかと思うことがある。特にベーコンエッグくらい朝にさっと焼けば良いじゃないかと思う。しかし面倒くさいのである。いちいち、今日は何を食べようかと考えるのが面倒くさいので、バーッと一気に作って、出来合いのものを軸として、副菜を決めていきたいのである。

結果、週末に作るものがだんだんと増えてきていて、ちょっとした大仕事になっている。だが、やっぱりこれが己にとって、一番面倒くさくない方法らしいので続けているのだが、たまに、何だか阿呆みたいだなぁ、と思うこともありつつ、冷蔵庫にぎっしり入った調理済みの品々を見ると、ちょっと愉快な気持ちのなるのである。ふふふ。



日記録3杯, 日常

2015年2月15日(日) 緑茶カウント:3杯

本日は常備菜として、ゆず大根とほうれん草のお浸しを一週間分作り、にんにくの醤油漬けを仕込んだのでまずまずの週末を過ごせている気分でいるのだが、一つ解決出来ない問題に直面しており、どうしたものかと苦悩している。

このサイトの上部にある、「日記録」「ライブの感想」にカーソルを当てると、いくつかのタイトルが現れる。それをクリックすると専用のページに飛び、タイトルにふさわしい記事が自動的に表示されるよう設定しているのだが、この表示が狂ってしまっているのである。

例えば「ライブの感想」の「筋肉少女帯」をクリックする。ここには筋少ライブの感想を書いた記事のタイトルのみが表示されるはずであり、実際つい先日まで正しく表示されていたのだが、今はライブの感想以外の筋少関連記事まで混ざってしまっている。「月に一度の天使への」「ゾロ目の余波」などがそれだ。

原因は、除外タグの設定がうまくいっていないことだろう、ということまではわかるのだが、どうして狂ってしまったのかがわからない。あれこれいじってはいるのだがわからない。うーん、困ったものだ。

そんなわけでしばらく表示がおかしいことになっていることと思われるが、どうかご容赦を。いつかきっと何とかするので。



日記録3杯, 日常

2015年2月11日(水) 緑茶カウント:3杯

いろいろあったり無かったりしつつ、今日でこのサイトを始めてから十二年。干支一周分続けていると最早サイト更新も日常の中にすっかり組み込まれてしまったが、最近は日記の更新頻度が減ったので、別の作業を日常に組み込もうとしている。十二年目にして。

その作業とは何の関係も無いが、今日は乙嫁語りとジョジョ四部を読みながらまったり過ごした。これから平沢進のライブDVD「ノモノスとイミューム」を観ながら晩酌をする予定である。いつもより少しゆったりとした日である。そしていつもより少しだけ嬉しい日である。少しだけ。



日記録3杯, 日常

2015年1月25日(日) 緑茶カウント:3杯

普段、あまりテレビを観ない生活をしているが、最近はドラマ「怪奇恋愛作戦」と、アニメ「暗殺教室」を観るために、週末の深夜にテレビをつけていることが多い。しかし残念なことに今週は暗殺教室が放送休止。情勢に配慮してとのことである。あぁ、楽しみにしていたのになぁ。

何となく、諦めきれない気持ちでテレビをつけっぱなしにしていた。暗殺教室はアニメでどこまでやるのだろう。鷹岡回まで観られるだろうか、観たいなぁ、と思ったり、まったく別のことをしたりしながら時間は過ぎ、視界の端に映る番組も移り変わっていった。

すると唐突にテレビから、妙に明るい歓声が聞こえた。興味を引かれて画面を見ると、フライパンで釘やプラスティックを炒めている。通販番組だった。どんなに手荒く扱ってもこのフライパンはびくともしないし、料理は焦げず、ヘルシーに美味しく出来るということを強くアピールしている。そして皆がこのフライパンを絶賛し、このフライパンを手にしたことでいかに生活が幸福になったか語るのだ。

気付くと、己はわくわくしながらその番組を視聴していた。すごい! 高温の釜に入れても壊れず、コールド・コンプレッションテクノロジーや、ゴールド・アウターコーティングという何やら格好良い名前の技術が駆使されて出来ており、油を使わなくても綺麗に焼け、余熱調理も思いのまま。そのうえ全額返金保証つきで、番組終了後三十分以内に電話をすれば五千円も安くなる!

皆このフライパンを手に入れて幸福になっていた。己もきっと幸福になれるに違いない。このフライパンを手にするだけで、何もかもが上手くいく! そう錯覚しそうになるほど、「すごさ」と「お得」が畳み掛けてくる。そう、この畳みかけが心地良いのだ。

「これはすごいんですよ!」と言った直後に、もったいぶらずにその「すごさ」を見せてくれるのが実に良い。バラエティ番組ではCMを挟んで、CM前に流したVTRを再度流して、さらにCMを挟んで、ともったいぶりまくるであろうところで、全くもったいぶらずにすぐに「いかにすごいか」を見せてくれる。これは通販番組という性質上、限られた時間の中に、いかに「すごさ」と「お得」を詰め込んで、視聴者に買ってもらうかが鍵となっているためだろう。もったいぶっている余裕なんか無いのである。

結果、番組を観てて感じるストレスが無い。望むものを望むままにストレートに享受出来る満足感と安心感。その番組は二十分か三十分あり、同じ内容が何度か繰り返していたが、それでも飽きずに観続け、プラスティックを炒めても全く焦げ付かないフライパンの丈夫さを堪能し、結局最後まで観てしまった。

テレビを観なくなったのは、単に新聞をとっていないため番組表が手元にないことと、生活スタイルの関係であまりテレビに縁が無いためだと認識していたが、あのやたらとCMを挟んでは引き伸ばす手口にストレスを感じていたことも原因かもしれない。引っ張って引っ張って焦らして焦らしてもったいぶるのなら、せめてフライパンでプラスティックを炒めるくらいのものは見せて欲しいものである。次回予告程度で焦らされちゃあ焦らされる甲斐が無いんだぜ。



日記録3杯, 日常

2015年1月12日(月) 緑茶カウント:3杯

銀魂を読み続けただけの三日間であった。

ついに銀魂を最新刊まで全て揃えた。銀魂との出会いは十年以上前に遡る。まだジャンプを毎週購読していた頃に連載が始まり、短編の「しろくろ」を気に入っていた自分は空知英秋の新連載を心から歓迎した。単行本も喜んで購入した。だが、十数巻あたりで一度購入の手が止まったのである。特に理由は無い。何となくだった。

そのうちジャンプも読まなくなり、気に入った作品の単行本のみ買い続けるようになった。漫画自体はずっと買い続けていた。そんな中、書店で銀魂を見かけるたびに、いつの間にかこんなに巻数が出てるのかと毎度驚き、四十巻ってもう追いつけねえじゃねーか、五十巻ってもう追いつけねーじゃねーか、とたびたび思っていた。

しかし今日追いついた。ここ数日で一気に巻き返した。

数年前から長距離電車に乗る際などに、旅のお供に銀魂を手に取るようになった。これなら一話完結の話も多いのでどこから読んでも問題なかろうという理由で。そして繋がりを考えずに適当にちょこちょこと買うようになり、巻の始めが長編の後半の場合は流石に内容を掴めないので読み飛ばしながら買い進め、歯抜けながらも気付けば結構な数の銀魂が我が家に揃った。すると気になるのは読み飛ばし続けた長編部分である。では、そろそろ歯抜け部分を補完しようじゃないか、と思ったとき、事件は起こった。

だぶったのである。適当に買っていたためきちんと何巻が家にあるか覚えていなかったり、覚えのあるエピソードをジャンプで読んだのか単行本で読んだのかアニメで観たのかわからなくなったりした挙句同じ巻を買ってしまった。しかも二度も。こうなったらもう、一度整理するしか無い。

そうして整理をし、歯抜けの巻を洗い出し、この三日間で買い揃え、今まで読み飛ばしていた長編を読み直していたら全ての時間が消費された。これがその三日間。満足感はあるがこれで良いのか、と思わなくもない。またもう一つの悩みは置き場所が無いことで、床に詰まれる漫画のタワーが二本増えてしまい、部屋はより雑多になり、まるでダメ人間の巣のようで、どうしたもんかなと思っている。