日記録2杯, 日常,

2014年2月12日(水) 緑茶カウント:2杯

お浸しがこんなに便利だとは思わなかった。

お浸しさえあれば何とかなる、と思えるこの心強さ。タッパーから皿に適量を移すだけで一品出来るうえ、目に鮮やかで彩りも美しい。しかも簡単。野菜を熱湯に放り込んでさっと火を通して、薄めの出汁に漬け込むだけで作れるうえに、日持ちする。野菜にもよるとはいえ、三日から五日は冷蔵庫で保存可能。出汁に柚子胡椒やわさびなどを加えれば風味を変えることもでき、小松菜や菜の花はもとより、スナップエンドウ、インゲン、オクラ、セロリ、ブロッコリーなどなど、様々な野菜で楽しめる。また、主張の強い味でないため、飽きにくいのも嬉しい。

そして今日も自分はお浸しを食べる。みずみずしくも歯ごたえのある野菜から染み出る出汁の味にわさびの香り。あぁ、幸せだ。



日記録2杯, 日常

2014年2月8日(土) 緑茶カウント:2杯

こんな大雪、見たことが無かった。

故郷の群馬県は雪が降らない。新潟との県境にある山に雲がかかり、新潟側に雪を降らす。そして水分を失い、カラッカラに乾いた風が県境の山から群馬の土地へ吹き降ろされる。これが群馬名物空っ風。よって、群馬はほとんど雪に見舞われず、年に一度か二度雪が降ることがあっても、大して積もることが無く溶けてしまうのが常だった。

だから経験したことが無かったのだ。こんな、脛まで埋まるような大雪は。

どうしても外せない用事があっていやいや外に出ると、外階段が雪に埋もれて坂になっていた。雪を落としつつ苦労して下に降り、大地を踏みしめようとすると足が脛まで埋まった。あたり一面が白銀に染まり、踏み荒らされた形跡すら無い。誰も外に出ていないのか、足跡さえ塗りつぶされたのか。一瞬、呆気にとられながら、こんなことならさっさと長靴を買っておくべきだったと深く後悔しつつ、用事を済ませるために先に進んだ。

視界は爽快であった。こまごまとしたもの、石も、ブロックも、雑草も、ゴミ捨て場に設置されたカラス避けの網も、アスファルトもコンクリートも、白線も横断歩道も、マンホールも空き缶も空き瓶もコンビニのビニール袋も何もかもが、全て一色に塗りつぶされているのは圧巻だった。この雪がもしも自分の力によって降らされたものだとしたら、きっと征服欲が充足されるだろう、と思うような。そしてまた、何かを征服したいと思う人の欲求の結果の快楽を垣間見たような気がして面白くも感じた。

あぁ。雪が溶けて、泥に混じって、ぐっちゃぐちゃに色が混じる景色を見るのが楽しみだ。



日記録2杯, 日常,

2014年1月31日(金) 緑茶カウント:2杯

飲酒を好むものの呑むのは専らビールばかりで、焼酎は呑めなくも無いが得意では無く、日本酒は好きになり始めたばかり。他、好きなのはジン。ショットグラスでちびちび舐めるのも良いが、ジンベースのカクテルも好きだ。ジンベース以外のカルーアミルクなどの甘いカクテルも呑む。そしてワイン。ワインは実家で呑む機会が多いためそれなりに美味しくいただくが、「ワインの美味しさ」がわかるか、と言われると微妙なところである。

だが、今日ある店で呑んだワインはとても美味しかった。常温の赤ワインに、薄い飲み口のグラス。グラスを傾けたときと口に含んだときに、ワインの香りと味が口の中で膨張するのを感じて驚いた。膨らむように存在感が大きくなった、と言えば良いのだろうか。なかなかの衝撃だった。

「本日のワイン」と書かれていたものを適当に注文し、名前を尋ねることもしなかったため、あれが何のワインか知らないでいるのだが、実に美味しく、美味しいと感じられたことが嬉しかった。



日記録2杯, 日常

2014年1月28日(火) 緑茶カウント:2杯

今年はピクルスと果実酒の自作に挑戦してみたい。ピクルスはとにかく酸っぱくて、甘い味がしないものを。果実酒は梅酒あたりを想定している。最低、どちらかは作ってみよう。

時間がかかる食べ物をじっくり育ててみたいのだ。



日記録2杯, 日常

2014年1月27日(月) 緑茶カウント:2杯

二十七年生きてきて、生まれて初めて豆乳と言う飲み物を摂取したので、今日は豆乳記念日に制定する。ちなみにどうして豆乳を飲んだのかと言えば、いつも行くスーパーで牛乳が売り切れており、反面豆乳は山のように様々な種類が陳列されていたからだ。己は成分無調整豆乳なるものを買い、ストローを刺してそれを飲んだ。豆の味がして、癖はあるものの苦手とまではいかない、という感想を持ったが、心の底から美味しいとは思わなかった。

あぁしくじった。己はしくじったのだ。

豆乳とは何の関係も無い。結婚式に関する素直な感想を、己は他人に喋ってしまった。こればっかりはよっぽど人を選ばないと口にしてはならないと言うのに。敵を作ることは目に見えているのに、己は喋ってしまったのだ。祝福する気持ちを持ちつつも、結婚式と言う催しに対しては冷めた目を持ちつつ、絶対に自分はこれをやりたくはないと、参列するたびに思わされ、しらけた気分でいることを。ドラマ仕立てのムービー、シネマのようなスライド、感動を呼ぶ演説。どれもこれもが苦手で、新郎新婦の世界に入り込めないこと。一斉にシャッターを切る人々を見て、よその嫁さんや旦那さんの写真をそんなに撮って何になるのだ、と思いつつ座っていること。あぁ、わかった、ここで写真を撮っておけば、自分が結婚したときに、代わりに結婚式の写真を撮ってもらえるからか、という発想に至ること。そしてそれを自覚するたびに、自分は大層な人でなしだなと思うこと。

おめでたいと思い、心から喜ばしいと思い、幸福を願い、招待されることを光栄に思うが、結婚式と言う催しばかりはいつまでも苦手で、やりきれない思いを抱きつつ、抱きつつもこんなこと、決して口外するもんじゃないと思っていたのだが。しくじった。しくじったのだ。

やっちまったなぁ、と思った夜だ。