日記録2杯, 日常

2016年11月5日(土) 緑茶カウント:2杯

夕闇の中、ふらふらと歩いた町は神田神保町。参道に軒を連ねる綿菓子やヤキソバの夜店を連想させるのは、歩道に並ぶ本屋の露店。道行く人の視線は背表紙の文字を追い、指の腹はパラパラとページをめくっている。かと思えば露店の間でワインを売る人がいて、笑顔の女性が楽しげにグラスを傾けている。偶然立ち寄ったこの日は神田古本まつりの日。日が暮れかけているにも関わらず、町は静かな活気で満ちていた。

古書店ならではの楽しみは、色褪せた背表紙にあるだろう。様々な時代に流通した著名な本と、その当時でさえも一部でしか取り扱われなかったであろう専門書が、時代の細部を無視してぎゅっと一つの棚に収められている。過去から現代に至るまでに生き残った味濃い本だけが並ぶ圧巻。書体も仮名遣いもバラバラなそれらを眺めるだけで、心が高揚してたまらない。

カラー印刷の見事さをうたった昆虫図鑑を開くと、彩度の低いうすぼけた写真があった。時とともにインクが劣化したのか、当時はこれが最高の技術だったのか、はたまたその両方か。紙の角の丸さからこの本の持ち主の愛情が窺い知れる。思い出すのは子供の頃夢中でめくった昆虫図鑑。あれも今販売されている最新の図鑑に比べれば写真はうすぼけているのだが、それでも当時の己の目には色鮮やかに映ったのだ。

本を引いては棚に戻し、引いては棚に戻す。目当てのものがないままに背表紙を眺め歩を進める。タイトルが語るそれらは本の断片だが、その断片の海を彷徨うだけでも楽しくてたまらなかった。様々な人の膨大な興味関心の断片が怒涛のように流れ込んでくる感覚がして。

そうして己は背表紙の海を泳ぎきり、胸いっぱいになって家路に着いた。脳には背表紙の陰影が残っていた。この脳に残った断片をいつか拾い上げるときが来るだろう。そのときの興味の向かう先が今から楽しみならない。己は何を拾うだろうか。



日記録2杯, 日常

2016年10月22日(土) 緑茶カウント:2杯

ドーナツのように手づかみで気軽に食べるつもりで注文したら、皿に乗って出されて、ナイフとフォークまで用意された。そうして、井の字がいくつも連なるデコボコした菓子を目にして、己は緊張を強いられたのである。

ワッフル。……ワッフル。これはどうやって切るのが適切なんだ?

目の前の友人はチョコレートソースがかかったワッフルに対し何の緊張も抱いていないようで、ごく当たり前のようにナイフとフォークで食べている。ワッフル。この既に井の字に区画された食べ物。井の字の線に沿って切れば細切れになりすぎるし、さりとて井の字を四つほど集めたブロックに切り分けたら大きすぎて口に入らないかもしれない。口に入れようとして失敗し、わたわたするのは非常に恥ずかしい。すると井の字の線を無視して切り分けるのがちょうど良いように思えるが、それはそれで美しくないし切りにくい気がする。

何だよ! どうすりゃいいんだよ! この食べ物!!

そもそも己はスパゲティも苦手なのだ。味は好きだが人前で食べるのが苦手なのだ。フォークに麺を巻きつけようとくるくる回しても端の方がいつまでも巻き取れずフォークを上げればぶらぶらするし、ようやく巻けたと思ったら巻きすぎて口に入れづらく途方に暮れる。その点米は良い。あれはとても掴みやすいし運びやすい。楽である。ビバ米。

夜の八時。ふと連絡を受けて待ち合わせをした先のカフェにて、友人は来年子供が生まれることを報告してくれた。また、それを機に転職活動をすることも。友人は小学校からの幼馴染である。今までに他の友人から奥さんの妊娠報告を受けたときもしみじみしたがより一層感慨深い。思い出されるのは小学校当時の姿である。あの少年がついにパパになるんだなぁ。

それほど長い付き合いにも関わらずワッフル如きで緊張するとは如何なものだろうか。自分でも思う。別に緊張する相手じゃないだろうがよ! と。しかし相手が誰であろうが緊張するものはどうしようもない。ワッフルめ。ワッフルめ!

最終的にワッフルは細かく切り刻まれて小さな四角いお菓子の集まりになった。一緒に頼んだカフェラテはごく普通にマグカップに入っていたので飲みやすかった。美味しかった。



日記録2杯, 日常

2016年10月12日(水) 緑茶カウント:2杯

筋肉少女帯の十七枚目のオリジナルアルバム「おまけのいちにち(闘いの日々)」に収録されている一曲「枕投げ営業」がDAMで配信されることが決まった。大好きな「枕投げ営業」をカラオケで歌えるようになることが決まった。

やったあああああああああああああああああ!!!! うわあああああああああああああ枕投げ営業だあああああああああああああ!!!! ついに! 枕投げ営業を歌える! あの素敵な枕投げ営業を歌える! 嬉しい! 嬉しい!! もうインストゥルメンタルをカラオケに持ち込んで自力で枕投げ営業を! 歌うなんてことを!! しなくて良いんだやったああああああああああああ!!!!

この日は遅くに帰宅して、就寝時間を過ぎてから夕飯を摂り始めた。睡眠不足は避けたいが栄養不足も日中の活動に支障を来たす。寝る直前に食べるのはあまり感心しないが仕方が無い、と冷蔵庫から作り置きの肉団子や野菜の酢漬けを出してもそもそ食べたその後に知ったニュース。くたくたに疲れ切っていたそのときに見たニュース。

な!ん!な!の!!!! この!事態!!!!
嬉しい嬉しい! やったー! やったーーーー!!!!
ひゃっほー明日も頑張るぞーーーーー!!!! いえーい!!!!



未分類2杯, 町田康, 非日常

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ライブに通い出してから十年経つが、開演前から最前列の柵を握れたのは今日が初めてのことである。視界を遮るものが何もない爽快感と、この先の演奏への期待感。柵にわずかに体重をかけながら、ひたすら開始の時を待つ。

ステージとの距離を目で測る。こんなに近くで観られるんだ、と思うたびに嬉しかった。

オープニング・アクトは「砂漠、爆発」。ステージの後ろに張られた白い布をスクリーンの代用とし、サイケデリックな映像をバックにアジアンテイストの布を被ったボーカルが迫力ある声で歌い踊る。編成はボーカル・ドラム・ギターの三人で、MCによると楽曲にはインドのテイストが入っているらしい。ボーカルはキャップを前後ろに被り、サングラスをかけ、肩にはタトゥー、胸には大きくNIKEと書かれたシャツ、そしてだぼっとしたハーフパンツの下にはレギンスを穿いていて、タトゥーとサングラスを除けば朝や夕方に見かけるジョギングをしている人の格好のようだった。そして運動しやすい出で立ちを充分に生かした熱量溢れるパフォーマンス! バスドラの上に立って煽り出したときは度肝を抜かれつつ興奮してしまった。未だかつてあの上に乗りあがった人など見たことがなかったのだ。

一曲目が終わり、二曲目に入る前にマシントラブルが発生。ドラマーが奮闘する中、ボーカルとギターが話を繋ぐ。その中で観客に気を遣ったのか町田康を話題に出していたのが面白かった。

無事マシントラブルも解決し、大いに盛り上がって「砂漠、爆発」の演奏は終了。メンバーはステージから一旦去ったものの、スタッフと共にすぐにステージに現れて機材を片付け始めた。そうして片付いた後は次のバンドの機材の設置が始まる。バンドメンバーと思われる人物が続々とステージに登場し、あっちやらこっちやらで作業を進める。その様子をぼーっと眺めていたら、実にさらっと、ナチュラルに町田康も入ってきて、メンバーと一緒に演奏の準備を始めたから驚いた。おおー。すっごく普通に入ってきた!

準備が終わると町田康はステージ中央の椅子に腰掛け、まだ準備の終わらないバンドメンバーの様子を見ながらゆるーく存在していた。目と鼻の先、たった二メートルの距離に町田康。その町田康がまるで百貨店のエスカレーター脇に設置されたベンチに腰掛けるようなムードで無造作に存在している。ステージは下手からキーボード、ベース、ドラム、ギター、サックス。そして中央に椅子に座った町田康。

ついに準備は整い、演奏へ。町田康はジャケットを脱ぎ、Tシャツ姿になった。先ほど町田康が座っていた椅子の上には歌詞が書かれているであろう紙の束。演奏はムーディーなジャズを思わせるもので大人っぽい雰囲気である、ちなみに「思わせるもの」と書いたのは己がジャズをよく知らないためだ。

ライブはアップテンポの曲もありつつ、全体的にゆったりとした曲調のものが多かったが、では激しくないかと言えばそうでもない。随所で町田康独特の、あの震えるような叫び声が響き、ぎゅーっとつぶられた瞼には熱量が圧縮されている。去年ライブを観たときも、彼はぎゅーっと目をつぶりながら歌っていた。いったいいつから目をつぶるようになったのだろう。

多くが新曲だったのでどれが何の曲なのかほとんどわからなかったのだが、町田康の公式サイトに掲載されている歌詞を見る限り、今日演奏された新曲は「かくして私の国家は滅んだ」「白線の内側に下がってお祈りください」「試される愛」「いろちがい」「急に雨が降ってくる」である。「かくして私の国家は滅んだ」「白線の内側に下がってお祈りください」が特に格好良かったのを記憶している。ちなみに発売時期こそ明確ではないものの、CD制作への意欲はあるようだ。わあ! 楽しみである。

今回のライブはほとんどが新曲ということもあったのだが、曲の構成として「どこで終わるのか」がわかりづらいのが印象的だった。今の曲が終わって次の曲に移ったものかと思いきや、一曲の中で雰囲気がガラリと変わっただけで、元の調べに戻ったときにようやく「あ、これさっきの曲がまだ続いていたのか!」と気付くのである。その振り回される感じも愉快であった。

MCでは歌詞についての話も。現代のJポップやラップは、日本語で歌いながら、いかに日本語っぽく聴こえないようにするかに注力されているという話から始まり、詩歌について考えるとなると現代だけでは足りず、昭和歌謡やフォークについても考える必要が生じる、という話から浅川マキや憂歌団が好きでよく聴いていたこと、そして考えるだけではわからず、実践をしてみなくてはならない、という流れで憂歌団の「嫌んなった」がカバーされた。

このとき、ぼそぼそっとした喋りのままMCから曲への境目なしにそのまま演奏が開始され、気付いたら知らない世界に突っ込まれたかのような唐突を味わい、息を呑んだ。この曲中、「嫌んなった」のときだけ町田康はギターを抱えて演奏していた。途中、ストラップが外れてギターが落ちそうになり、演奏が中断されるアクシデントもあったがご愛嬌である。このふらっとした何気なさで空気を変える威力と茶目っ気のギャップがキュートだ。

こうして新曲をたくさん聴ける喜びに浸りつつも、知っている曲を演奏してもらうとやはりそれはそれで盛り上がる。特に「犬とチャーハンのすきま」収録の「俺はいい人」。「犬とチャーハンのすきま」が大好きなだけでにたまらなく嬉しかった。あともう一曲は「つるつるの壷」で、確かアンコールだったかな。この爆発力たるや凄まじかった。

「汝、我が民に非ズ」は長い助走期間を経てようやく本格的な活動を開始したとのことで、また二月にライブをやる予定らしい。嬉しいなぁ。あと願わくはCDも。今日聴いた曲を反芻できる日を心待ちにしながら日々を過ごそう。可能であれば、少しでも早く聴きたいものだ。もう一度。



日記録2杯, 日常

2016年10月4日(火) 緑茶カウント:2杯

千葉県佐倉市の佐倉駅で己は呆然としていた。時刻は二十四時を過ぎ、当に終電は終わっている。改札近くの時刻表を見上げ続けても事実を突きつけられるばかり。己にできることといえば、犯した失態にただひたすら言葉を失うことだけであった。

鎌倉で友人と呑んでいた。楽しかった。まずはドイツ料理の店に入ってソーセージを食べてビールを呑み、二軒目ではイタリア料理の店に入って生ハムを食べてビールを呑んだ。己を含めてたった三人の集まりであるにも関わらず大いに盛り上がり、話しに話して気持ちよく別れた。そうして一人改札を抜け電車に乗り、三つか四つ駅を過ぎたら乗換えをする予定だったのに、わずか十分かそこらで寝入ってしまい、あぁ! ガタンゴトンガタンゴトンと意識のないまま神奈川、東京、千葉へと大移動をするはめになったのである。

解散したのは二十二時。本来であればどう見積もっても二十三時には家に着くはずだったのに、二十四時、全く縁もゆかりも無い千葉県佐倉市佐倉駅に佇まざるを得ないこの事実。今まで酔っ払って乗り過ごしたことなどほとんど無く、乗り過ごしても一駅程度だっただけに自分を信じられなかった。狐につままれた気分だった。だが、狐は何も悪くない。ただ単純に呑みすぎたのだ。

帰れるところまでタクシーで帰ろうか、どうしようかと思いつつ駅を抜け、真っ暗な道をてくてく歩き、見つけたビジネスホテルの門を叩いて宿を借りた。部屋の風呂に入って思ったことは、唯一の救いはこの駅が、己の好きな漫画のヒロインと同じ名前だってことだなぁ、ということで。飽きることなくしみじみと、ただただ呆然とし続けたのであった。