日記録1杯, 日常

2014年5月21日(水) 緑茶カウント:1杯

今は秋ですか冬ですか? と問いたくなるのはこの急な冷え込みが要因であり、せっかく作った冷たい緑茶が進まないことこの上無い。何だこの寒さは。季節が巻き戻しを喰らったのか。

来たら来たで暑さと湿気に苦しむが、早く夏が来て欲しい。



日記録1杯, 日常,

2014年5月18日(日) 緑茶カウント:1杯

そういえばこのラーメンは何味なのだ、と食べ終わった後に思った。

以前の日記でも書いた、絶唱奇声のラーメン屋。商店街に店を構えるごく普通のラーメン屋なのだが、店員が気分良く「ホァチャチャチャチャチャチャチャチャチャチャチャチャチャ」「うっひょおーーーーーーーーーい!」と奇声を上げているのである。自分はここのラーメンにほうれん草を追加でトッピングして、さらにカウンターに置いてあるにんにくの摩り下ろしを一匙入れて食べるのが好きなのだが、よく考えたらこのラーメン、何味なのかわからない。

いわゆる醤油ラーメンでは無いようだ。茶色に濁っていて、醤油、味噌、塩の中では味噌の色に近い。だが、味噌味では無いと思う。無論豚骨でも無い。

今まで自分が美味い美味いと喜んで食べてきたものが何味かわからない、という現実を唐突に目の前にした、この心境をおわかりいただけるだろうか。いや、別に何味でも良いんだけど。美味しいから。でもこれ何? 結局何? と思わざるを得ない。

ちなみにこのラーメン屋について、行き着けの整体の整体師に話したところ、「あーあそこ美味しいですよね店員変だけど」と言っていたので、あぁ、やっぱり変だと思われてるんだ………と納得しながら背中を揉まれていた。自分は。

で、何味なんだ。あれは。



日記録1杯, 日常

2014年5月12日(月) 緑茶カウント:1杯

会える状態と会えない状態は、どちらが普通なのだろう。もしくは、人間は一人であることと二人でいること、どちらがあるべき状態なのだろう。

思えば自分はここ何年も、会いたい人達に気軽に会えない身の上だ。単に学校を卒業して一人暮らしをしているためだが、家族にも、友人にも、愛猫にも、年に数回しか会えない。「会える」のが非日常で、「会えない」のが日常になっている。自分にとっては、会いたい人に会えないことは当たり前。それこそ通常の状態なのだ。

友人から、結婚しようと思うという報告と相談を受けた。そのとき自分は納得しつつ疑問を抱いていた。納得は、まぁするだろうと思っていた、という二人の関係とありように由来するもので、疑問は、何故人は結婚するのだろう、というところにあった。

ずっと同じ人と一緒にいたいとどうして思うのだろう。毎週毎週デートに出かけたり、一緒に住んだり。疲れないのだろうか。何がそうさせるのだろうか。そんなことを思った。

そして気付いたのだ。なるほど、自分は「会えない」のが当たり前になってしまっていたから、「常に会おう」とする心理が理解出来なかったのだ、と。常に会うことはそんなにも負担になるもので無いはずなのに、その感覚をすっかり忘れてしまっていたのだ。

そうだよ。高校まではずっと家族と共にいた。学校では毎日友人を顔を合わせた。それこそ普通であったはずなのに、ずっと「会えない」のが当たり前であるせいで失念してしまったのだ。

また気付く。大人になるとは、会えない状態が当たり前になることだと。無論、例外もあるだろう。ずっと地元の実家で暮らしていれば、家族にもご近所さんにも友人にも会える。だが、いつまでもそのままでは無い。そこから去っていく人もいる。どんどん会えないのが当たり前になっていくのだ。

あぁ、だから人は結婚をするのか。会えないのが当たり前になるから、結婚によって「会える」状態を作るんだ。結婚はそのための仕組みなんだ。

結婚の相談をしてくれた友人は何年か前に、とても楽しい物語を語った。宝くじで三億当てて、俺はアパートを建てるから、そこで皆で住もうよ、と。仲間内での馬鹿話である。談話室のあるアパートで、仲の良い友人達が住み、それぞれに暮らす。それは誰しもが実現するはずないと思っていたが、その物語はとても魅力的で楽しかった。誰がどこの部屋に住む、といった話までされた。

結婚の報告をするとき、友人はすまなさそうな声を出したように聞こえた。そこに一度違和感を抱いたが、後になって気付いた。彼の作った夢物語の幕を閉じることを友人は詫びていたのである。アパートではなく、結婚という仕組みを選ぶことに決めたので。

魅力的な夢だったな、と思う。仮に三億当たってアパートが建ったところで、友人達は埼玉、東京、神奈川、新潟、福島と、全員別々のところで生活している。一つのアパートに集うことなど無理だろう。そうわかりつつ、皆、その物語を楽しんでいた。

間違いなく一番楽しんでいたのは自分だったなぁ、と改めて思う。街中でバッタリ会って、ちょっと立ち話をして、別れる。そんなことが出来なくなって何年経っただろうか。自分はそれに憧れているのだ。その環境が欲しいのである。だが、それを手に入れる仕組みがわからない。



日記録1杯, 日常

2014年5月8日(木) 緑茶カウント:1杯

漫画「鬼灯の冷徹」の単行本を購入したのだが、我ながらそのきっかけが理解出来ない。ではそのきっかけとは何か、これを今から話そうと思う。

ゴールデンウィークに実家に帰ったら漫画雑誌「モーニング」が十冊ほど積み上げられていた。両親が愛読しているので実家住まいだった頃は毎週読んでいたが、今は気に入った漫画の単行本を買うだけである。立ち読みも特にしない。だが、家に帰るたびに目に付くところに置いてあるので、年に三回ほどとびとびで読んでいた。

今回も自分は習慣の如くモーニングを手に取り、読みやすそうな漫画を読み進めていった。そこにあったのが「鬼灯の冷徹」。自分はこれを過去に読んだことがあった。何故か実家に単行本の一巻だけが置いてあったためだ。当時はさらっと流し読みしただけで、特に面白いとも思わなかった。

そういえばこれ、最近人気あるんだよなぁ。本屋に行くたびに新刊が出ているような気がする。刊行スピード早いよな。などと思いつつページをめくる。一話完結型だから読みやすい。このとき読んだ話は、主人公鬼灯とレディ・リリス、そしてハエの姿に化けたベルゼブブが秋葉原に行く話であった。

この話の冒頭である。ハエの姿になって飛ぶベルゼブブに対し、鬼灯が「ぷよぷよのキャラみたいですね」という意味合いのことを言ったのだ。あの「ここにいる」と矢印で表示される「のみ」というキャラクターを指して。

これを読んだときである。思わぬぷよネタに妙にテンションが上がり、「よっしゃああ!!」と物欲のスイッチが入り、欲望のまま己は「鬼灯の冷徹」の単行本を購入したのだ。どうだ、意味がわからないだろう。自分も全然わからない。

とはいえ改めて読んでみたら面白かったのでめっけもんだ。地獄の仕分けの話は特に面白かった。いったい何がきっかけになるかわからないものだね。



日記録1杯, 日常

2014年5月7日(水) 緑茶カウント:1杯

ただいま戻りまして。実家に帰省しておりまして。猫に遊んでいただいておりました。

ゆっくりしてきたよ。ゆっくりね。