未分類扇愛奈とFoo-Shah-Zoo, 水戸華之介&3-10Chain, 筋少拡散波動砲2013, 筋肉少女帯, 非日常


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水戸さんが日本を印度にしてくれたよ!!

何のこっちゃらと言う感じだろうが、とりあえず興奮していることだけは伝わっただろうか。筋肉少女帯拡散波動砲であり、プレうっちー祭りであり、CLUB Que 夏ノ陣であり、水戸華之介&3-10Chainのライブであり、扇愛奈とFoo-Shah-Zooの初ライブでもある色々と要素の多いライブに行って来た。

筋肉少女帯拡散波動砲は、簡単に言うと筋少のメンバーがそれぞれ行っている別のバンドが共演するイベントである。そして今回は内田さん繋がりで二つのバンドが共演することになり、何とオーケン以外の筋少メンバーが全員揃うという、むしろ何でオーケンがいないんだ、と思わず突っ込みたくなる顔ぶれだ。どうせなら飛び入り参加をしてくれたりするようなサプライズが無いかな、と若干期待していたのも本音である。

だが、ライブが終わってみればオーケンがいないのはかえって良かったと心底思う自分がいた。と言うとまるでオーケンを邪険にしているかのようだがそれは誤解である。オーケンがいないことで、オーケンがいないが故に見られる面白いものを目撃することが出来たからだ。

まさか扇愛奈が「妄想の男」を、水戸さんが「日本印度化計画」を歌い、アンコールで内田さんを中心に「俺の罪」を合唱するなんてことが起こるなど誰が予想出来ただろう! トリビュートでもしてもらわない限りなかなか耳にする機会が無く、そのトリビュートの実現が不可能に近い中ではそれこそほとんど聴ける機会の無い「オーケン以外が歌う筋肉少女帯の曲」が聴けたのである。

もし今回のライブにオーケンがゲスト参加していたらこれは見られなかっただろう。恐らく、デュエットという形になっていたはずである。それはそれで楽しいが、オーケン以外の、特に水戸さんが歌う筋少の曲というものを、一度聴きたいと自分は特に思っていたのだ。

「ハーイここまで」「Spin Spin」「D.K.H」「トーカラジ」「命の重さ」と3-10chainの曲を中心にやり、橘高さんを迎えた後は「誰だ」「蝿の王様」と橘高さんと関わりのあるアンジー曲で盛り上がる。そしてMCに入り、「次は一兆とある俺の曲の中から、上位にランクインする曲をやる!」といったことを言って煽る水戸さん。何だ? 何が来るんだろう。アンジーか? と思って身構えると力いっぱい叫ぶ水戸さん!

「日本を印度に!!!!」

びっくりした。その前に扇さんが「妄想の男」をやっていたが、まさか水戸さんまで筋少の曲をやるとは思わなかったのだ。水戸さんのコールに力強く「しーてしまえー!!」と叫ぶオーディエンスがいる中、困惑した人々も少なくないようでどよめきも起こっていた。自分はその中間だ。条件反射で「しーて」まで叫んだものの、「しま……えぇぇええ~?」と拳を中途半端に振り上げて固まってしまった。

どよめきが起こる中水戸さんは首を傾げる。「あれ? おかしいな~俺の曲の中では八位あたりにあるんだけどな~」あくまでも「俺の曲」という体で話を進めるのが面白い。そして仕切り直してもう一度コールアンドレスポンス! 橘高さんがギターで御馴染みの音を奏でると、ドッと人々が前に押し寄せ、ちょっとした興奮状態が起こった。

素晴らしかった。こんなに歌詞が正確な「日本印度化計画」は初めて聴いたかもしれない。この日のために水戸さんはちゃんと覚えてくれたのだなぁと思うと感謝の気持ちで一杯になる。間奏で学園天国のヘイヘイコールを入れてくれたのも感激だ。もうこれも含めて日本印度化計画ということなのだろうなぁ。

さらに印度のお約束として欠かせない、橘高さんによるピックのばら撒きもあった。一枚を空中で掴み取ることに成功。何で水戸さんは印度をチョイスしたのだろうという疑問もあったが、単純にこのように盛り上がって楽しいからかもしれない。水戸さんも楽しそうに歌っているように見えた。

MCではプレうっちー祭りということもあり、内田さんに話題が振られることが多かった。「わかりにくいけどこう見えてうっちーはいっぱいいっぱいになってる」「楽屋にいて何かおかしいな変だなと思ったらうっちーがいなかった。うっちーは(扇さんの方のライブで)弾いてた。普段いるのが普通だからいなくなってもなかなか気付かない」などなど。面白かったのが「うっちーは平和の象徴。うっちーが倒れたら日本は終わる」と水戸さんが言ったとき「あ、そう」と内田さんがあっさり流したこと。照れていたのかもしれない。

今日の内田さんは大活躍だった。二つのバンドが出る前に一人でステージに現れて前説を披露。「筋少拡散波動砲」の趣旨を説明し、とりあえずおめでたいものだと適当に締めて、「おめでと~ございま~す」とオーディエンスにコールさせて盛り上げる。一人でこんなに喋る内田さんを見る機会もそういえばあまり無いなぁ、としみじみ思った。

そして最初に登場したのが扇愛奈とFoo-Shah-Zoo。上手においちゃん、センターに扇さん、下手に内田さん、後方に河塚さんという陣営だ。扇さんは茶髪のショートで、胸元の開いたチャイナっぽい衣装。そういえばゲスト以外で女性のボーカルをライブで聴くのはこれが初めてなんだな、と気付いた。

扇さんはパワフルだった。咽喉がぶっ壊れるんじゃないかというシャウトに見開いた目玉、乱れまくる髪。レピッシュのステッカーが貼られたギターを弾きながら歌い、ときにはギターを外してキーボードを弾くことも。聴き慣れないせいか、歌詞をほとんど聴き取ることが出来ず、何を歌っているのかわからなかったのが残念だった。

おいちゃんは髪の毛をストレートにしていた。なるほど、つまり普段はストレートで、筋少のライブのときは巻いているのか。普段からくるんくるんしているものとばかり思っていた。

珍しいものと言えばおいちゃんのギターソロ。おいちゃんは他の筋少メンバーと違い、ソロや別バンドでの活動がこれまでほとんど無かったため、自分は「筋少のおいちゃん」しか知らなかった。今聴こえているこの音がおいちゃんのギターの音なのだなぁ、と思うと不思議な感じがした。

MCでは、扇愛奈とFoo-Shah-Zooはメンバーのあだ名を何にするかということがバンド内で熱く議論されている、という話が出た。このとき扇さん、おいちゃん、河塚さんは結構ノリノリで話していたのだが、内田さんはかなりどうでも良さそうにしており、その温度差が面白かった。

ところで扇さんのあだ名案の一つがアーティストイメージに関わるという話になったとき、言っていいの」「大丈夫?」「マネージャーに怒られる」「ここだけだからね」とやたら慎重になっているメンバーを見て、卑猥系のものが候補に挙がったのかと思った自分は結構心が汚れたなと感じた。実際はラブリー系のものだった。

後半のMCでは扇さんが「実は私は妄想が大好きで、人生の八十パーセントは妄想をしている」と謎のカミングアウトをし、これはいったい何のトークだろうと思ったらよもやまさかの「妄想の男」! ここで聴けるとは思わなかった!

というのも、オーケンの歌詞集「花火」で、「妄想の男」について「歌詞が好きではない」とオーケンが書いていたので、ライブでやることは無いだろうと思っていただけに。その文を読んだとき「嫌いなのか」とがっかりしたことを覚えているだけに。さらに、コアな選択だなぁ! と嬉しくなってしまった。

扇さんの妄想の男は基本を踏襲しつつも、ボーカルが女性の声に変わることで印象がガラリと変わって面白かった。また、歌いながら髪をかき混ぜる仕草が気が違ってしまっている人のようで迫力もあり、録音されていないのがもったいないと思うほどだった。

そうだ。扇さんと並んでいる内田さんを見たとき、あれ、内田さん小さくないな、と思ったのだ。普段背の高いオーケンや水戸さんと並ぶ内田さんを見慣れているだけに、内田さんは小さくて細い印象があるのだが、意外とそうでもないのだな、と思わされたが、水戸さんと並んだらやっぱり小さかった。

扇さんの後に登場した水戸さんはでかかった。動きもでかかった。扇さんはほとんど位置を移動せず、キーボードを弾くときやおいちゃんと並んでギターを弾くときは動いていたが、基本はスタンドマイクの前が定位置。対して水戸さんは動く動く。澄田さんと内田さんの間の狭い空間をあっちこっち行き来して、天井に掴まり、ジャンプし、踊りと空間全てを使い倒そうとしているようだった。

そういえば水戸さんにとって今年は記念の年だそうで、その話が出たときてっきりデビュー二十五周年の話をするのかと思いきや、九十何年だか、エレカマニアを止めて別の活動を始めようとした頃に買ったアイライナーをついに使い切った記念の年だ、と言っていた。聞くと、丸い缶か何かにアイライナーは入っているようで、それを指ですくって使うのだが、底が見えてもなかなか減らず、一生使い切ることが無いんじゃないか、寝ている間に小人さんが足しているんじゃないか、と思うほど減らなかったそうだ。毎日使うものではないとは言え、あんなにがっつり目の周りに塗るのにそこまで減らないとは。これはもっとライブをやりなさいと神様が言っているのではないだろうか。

そして自分はあの目の周りのメイクがアイライナーによって色づけされていることに驚いた。何て太いラインなんだ。アイシャドウじゃないのか。

メイクの話と言えば橘高さんだ。橘高さんは「橘高文彦」に変身するのに、三時間ほど「お祈り」をしなければならないそうで、水戸さんが「KISSだって○時間でしょ」「すごい」と感嘆していた。また、橘高さんの「設定」をよく知らない水戸さんが「メイクにかかる時間」と言うのを、橘高さんが否定し、「三時間ずーっとお祈りしなければならないの」と、あくまで「メイク」ではなく「変身」と言い張り、「そういう設定があるんだ」「デーモンに近い感じなんだね」「わかった、鱗粉なんだ」と笑っているのがまた異文化交流といった感じで面白い。ちなみに今日は橘高さん、変身のために二時間ちょっと祈り続けたそうだ。

アンコールではまず3-10chainだけが登場し、メンバー全員で「ファンタジック」を合唱。この曲を聴くと元気が出るので嬉しい。そしてその後は本日の出演者が勢ぞろいし、センターに立った内田さんが「ベースなんか弾いてられるかー!」とノリノリになってマイクを握り、さらに「誰かベース弾いてくれる人………橘高君がいるじゃないか!」と手ぶらの橘高さんにベースを弾くことを強要。河塚さんはドンキホーテで売っているようなでっかいラメ入りの蝶ネクタイをつけて手ぶら。何だかよくわからない空気のまま内田さん主導で「俺の罪」を合唱。すげー楽しかった。すげー楽しいが改めて、何でこんな変な歌詞を皆で歌っているんだと思わずにはいられなかった。

途中で内田さんが橘高さんからベースを受け取り、歌いながら弾き出して、手ぶらになった橘高さんが何故かマラカスを振り出すカオス。今日の貴公子は見所が多くて大変だ。そんな橘高さんの横でにこにこしながらギターを弾くおいちゃんは通常運転なのがまたおかしい。

最後は内田さんのコールで一人ずつ退場。まずはボーカルの扇さん、水戸さん。次に河塚さんに橘高さん。そして演奏している楽器隊が一人ずつステージを去り、ドラムの元尚さんがいなくなるとベースの音だけがベンベンベンとステージで響く。水戸さんのライブで、一人ずつ楽器隊が入っていってだんだん音が増えていく演出はあるが、その逆もまた面白いなぁ。

ベースを弾きながら内田さんは最後の挨拶を終えステージを去っていった。いつもの筋少や水戸さんのライブでは見られない珍しいものが詰まった楽しいライブだった。筋少拡散波動砲、単純に筋少メンバーの出るバンドを一度に見られるライブかと思いきや、コラボレーションの妙も味わえ、これはなかなか想像以上に面白い。良いなぁこれ。次のイベントも楽しみだ。



日記録0杯, 日常, 筋肉少女帯

2013年7月4日(木) 緑茶カウント:0杯

発売から一ヶ月以上経過しているが、ほぼ毎日筋肉少女帯の「4半世紀」を聴き続けている。毎日毎日繰り返し繰り返し聴いているのに全く飽きず、それどころかさらに聴きたくなってくるので、欲望に逆らわずひたすら聴き続けている。ライブアレンジに近いため、聴くたびにライブのときの高揚感を思い出すことが出来るのも、繰り返し聴きたくなる理由のひとつだろう。おかげで朝から蜘蛛の糸やら再殺部隊、孤島の鬼などのドロドロした曲を聴きまくっているのに心は快活、笑みさえこぼれてしまいそうになるほどだ。

それにしてもこんなに再殺部隊を好きになるとは思わなかった。中野サンプラザのライブの感想でも書いたが、筋少の中では普通程度に好きといった程度で、特別な思い入れは無く、再殺部隊と銀輪部隊なら銀輪部隊の方が好みだったのだが、あの機関銃のようなドラムに心を撃ち抜かれてしまった。こんなに格好良かったのか。

踊るダメ人間にも惚れ直した。これもライブで聴く機会が多く、セルフカバーも今までに何度もされていたため、あまり目新しさを感じていなかったのだが、気付いたら毎日聴くようになっていた。「大槻ケンヂと橘高文彦」でカバーしたんだから今更セルフカバーしなくても、と思ったものだが、いやいや。全然違ったよ。筋肉少女帯は筋肉少女帯で全然別のバンドなのだ。オーケンと内田さんとおいちゃんと橘高さんと、エディと長谷川さんがいてこその音なのだ、と再認識した。

そろそろ別のも聴こうかなと思いつつきっと明日も抜け出せない。楽しいことだね。嬉しいなぁ。



日記録0杯, 日常, 筋肉少女帯

再結成後、バンドを歌った曲が増えたなぁと感じたのは確か「蔦からまるQの惑星」が発売されたときで、その三年後「中2病の神ドロシー」を聴いて、オーケンにどんな心境の変化があったのだろうと改めて思わされたことを思い出す。

「新人バンドのテーマ」「ツアーファイナル」「アウェーインザライフ」「アデイインザライフ」、そして「中2病の神ドロシー」。再結成後だけで五曲もあるのに、対して凍結前はと言うと、強いて挙げるなら「ノゾミのなくならない世界」、筋肉少女帯の名前が出てくるのは「ベティー・ブルーって呼んでよね」。恐らくこの程度である。「サーチライト」はバンドというよりオーケン自身だ。ところが再結成後は、新しくアルバムがリリースされると必ずバンドを歌った曲が一つは収録されている。凍結前にリリースされたアルバム数から鑑みても、これは多いと言えるだろう。

「アウェーインザライフ」を除いて、共通して歌われているのはバンドとファンとの関係性だ。そして面白いのが、バンドとファンの関係性を描くと同時に、ファンの目を通すことで「筋肉少女帯」というバンドが客観視されて歌われていることである。

どうして再結成後のオーケンは、「筋肉少女帯」というバンドを考える詩を書くのか。それはつまり、今のオーケンの関心が「筋肉少女帯というバンド」にあるからだと思われる。

書籍「筋肉少女帯自伝」で、凍結中に「大槻さんは、昔、筋肉少女帯というバンドにいたんですか?」という手紙を新しいファンからもらい、このままではいけないな、と筋少に対して思い始めたというエピソードがある。そして同書に、「バンドはメンバーの手を離れて独立し、ブランド化していく」と書き、別の場所では「そのブランドを大切しなければならない」とも語っている。

また、注目したいのが、オーケンがMCばかり取り上げられることを本意ではないと言っていること。これはこの間のライブのMCでも話していた。フェスに出ても、ライブレポートではMCばかりが取り上げられて、それが筋少のイメージを偏らせる原因になっている、という内容のことを話し、だから今回のライブはDVDになるけど、MGは全部カットする! と繋げていた。半分は冗談だが、半分は本気だろう。

筋少の魅力は、オーケンの歌う歌詞世界とその歌声、バラエティ豊かな曲群に、確かな演奏力、そして腹の底から笑い転げるMCにある。これら全てが筋少の魅力だ。だが、人は語りやすいところを語るもので、するとより伝えやすい「おもしろMC」ばかりが取り上げられてしまう。

このことに危機感とまではいかないまでも、残念な思いを抱くようになったのは、それだけオーケンが「音楽」に関心を寄せているからだろう。これは前から思っていたが、オーケンが弾き語りを始めてから、メンバーをリスペクトする発言が増えてきた。無論昔からオーケンは「自分は音楽の素養が無い」と言い切っていて、その自覚があり、また、メンバーの技術力の高さも知っていたが、自身が楽器を始めたことで、そのすごさを改めて思い知らされたのだろう。同時に、そんなメンバーと一緒にやれることに感謝の念を抱いているように見える。だからこそ、MCばかりでなく、もっと曲に注目して欲しい、本当は筋少はこんなにすごいバンドなんだから、と思っているのではないだろうか。

もしかしたら「タレント・大槻ケンヂ」が注目されすぎてしまったことに負い目があるのかもしれない。自分の周りにも、筋肉少女帯がどんなバンドかよくわからないながらも、大槻ケンヂのやってる何か変なバンド、という認識を持っている人は少なくない。だが、色物的な見方をされこそすれ、バンドの名前を世に知らしめた功績は大きいと自分は思う。

閑話休題。

バンドを復活させることで向き合うことを余儀なくされ、その対話が歌になる。そしてバンドとファンの一期一会の出会いへの感謝を歌い、歌いながら今の筋少というバンドを見つめ、メンバーと一緒にライブをやれることに感謝し、より多くの人に筋少の音楽を聴いてもらいたいという気持ちを抱く。今のオーケンはきっと、筋少というバンドをすごく大事に思っているのだろう。そんな思いが溢れた結果が、バンドを歌った曲であり、MCばかり取り上げられたくないという発言であり、メンバーへの素直なリスペクトなのだろう、と感じた。

日記録筋肉少女帯, 非日常

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思えば自分が初めて生の筋肉少女帯を見たのはこの会場だった。そしてそのときこそが、再結成のライブだったのである。あのときは二階席からの参戦で、メンバーの表情の判別がつかないほど距離があるにも関わらず、ついに本物を見ることが出来る喜びに打ち震え、同じ空気を吸っていることに感動し、まさか筋肉少女帯のライブをこの目で見られる日が来ようとは、と感極まったのだ。だって自分が知ったときには既に凍結中で、オーケンとうっちーは仲違い中。再結成するなんて夢みたいな出来事がこの先にあるなんて思わなかったんだよ、本当に。

そして今日、一階席の下手側、後ろから数える方が早い席にいたのだが、あの二階席に比べれば近いにも関わらず、ひどく遠く感じたのは、これまた当時の自分からしてみれば想像がつかないくらいにライブに通ったからである。スタンディングではほぼ前方に並んでいるからなぁ。メンバーの表情が見えないなんて、本当に久しぶりだ。

どうして自分はここまで筋肉少女帯にはまったのだろう。よもやまさか、筋少のために大阪名古屋まで出かける日が来ようとは、十年前の自分なら思いもしなかったことだろう。だって筋少のライブを観るためだけだぜ? そりゃあ大阪でお好み焼きを食べたりまんだらけに寄ったりはしたけれど、目的は筋肉少女帯。しかも飛行機を使ってだ。今思えば別の交通手段もあったと思うが、長距離、イコール飛行機という短絡的思考ゆえ、飛行機での参戦となった。あれは高くついたなぁ。だが、良い経験だった。

今日のライブ、「蜘蛛の糸」の前にオーケンが言った。合唱してほしいと。ここに来た人なら、きっとこの曲に共感してくれているんだろうと。どうなんだろう、と自分は思っている。生まれて初めて聴いた筋少の曲は蜘蛛の糸で、蜘蛛の糸をきっかけに自分は筋少にはまった。思い入れが深く、今回のセルフカバーを人一倍喜んだ人間だ。だが、自分は蜘蛛の糸に共感しているのだろうか、と問うとわからない。

確かに高校時代、クラス内ヒエラルキーのどこにも属しておらず、クラスで仲の良い人は部活仲間以外にはおらず、休み時間には一人で絵を描いたり、音楽を聞いたり、机で寝たり、もしくは友人のいるクラスに出かけることが多かった。とはいえ自分の境遇を憎むことはなく、何故なら居場所が部活にあったから、クラスに喋る人はいないものの毎日を楽しく過ごしていた。担任にも恵まれた。クラスに思い出は無いが、高校そのものは楽しい思い出ばかりである。

しかし一つの事実として、蜘蛛の糸を聴くと安心する。スッとする。「この人私をわかってる!」とは思わないものの、グッと来る。それはきっと共感しているからだ。ただしそれは曲に対して、では無い。そこに「目を向けて」「歌っている」人の視点に共感するのだと思う。

楽しいライブだった。

黎明で始まり、ド定番のサンフランシスコ。ド定番であるにも関わらず歌詞を間違えまくるオーケン。続いてくるくる少女、機械と怒涛の展開。さらに煽りに煽りまくるMCで、MC中のコールアンドレスポンスだけで疲れてしまいそうだ。だが、お祝い出来るのはやはり嬉しい。

今回のライブで特に印象に残ったのは「孤島の鬼」「トゥルーロマンス」「蜘蛛の糸」「再殺部隊」。意外だったのは「じーさんはいい塩梅」。これ、確かワインライダーをやった後にやったのだが、自分の中でワインとじーさんは同じカテゴリーに入っていたので、同じ日にやるとは思わなかったのだ。

「妖精対弓道部」はアルバムで聴いて大好きになり、ライブで聴くのを待ちわびていたが、歌詞の中で一番好きな一節、「恋の道場のぞむ者には 座して礼してのぞむ弓矢で」がオーケンのアドリブによってスパーンと消失して! とても………悲しかったです………。あの箇所を聴きたかったんだ………。

「孤島の鬼」は見事だった。あのドロドロした迫力。再結成後、セルフカバーした曲はどれもゴージャスになり、ものによってはかつてあったアングラ感が薄くなっているものもある。ただ、今の筋肉少女帯の様子を鑑みればそれは当然なこと。だって今の筋少はとても健全で健康的なのだから。

しかしだからと言って、ドロドロしたものがすっかり消えてしまったのかと問うならば、答えは否だ。まだその身の内に、根っこのところに持っているのである。それが前面に出てきたのが今日の「孤島の鬼」だ。

美しかった。

昔に比べれば克服し、健康に暮らしているだろうけれども、今も当時の思いを宿している人の声。どうにもならない閉塞感。行き止まり。ただゴージャスで楽しいだけのロックじゃない。だからままごとにもなりえない。本気の声として響くのである。

あ、でもね。ちょっとどうでも良い話をさせてくれ。孤島の鬼の後半、一度演奏が静まる箇所で拍手が起こったとき、アルバム買ってない観客多いな! と思った。そこはもったいないように感じた。そこは一緒に静まり返って、エディの演奏を待ちたかったなぁ………。

「トゥルーロマンス」は自分が初めてライブで聴いた筋少の曲。「ラブゾンビー♪」というコールが楽しくもあり、当時が懐かしくもあり。同時に、この後演奏されるであろう曲を思って、こちらはハッピーエンドなのに、あちらはなぁ………と思ったりもした。

そしてアンコールで演奏されたのが、待ちわびたと言っても過言ではない「再殺部隊」。この曲、正直なところ好きさ加減で言えば限りなく「普通」の曲だったが、セルフカバーをきっかけに大好きになった。ドラムの音がまるで機関銃のようで、その迫力と表現力に圧倒された。何てすごい演奏なんだ、と舌を巻く思いだった。

無論ライブも期待を裏切らず。怒涛のような音、音、音。ドラムによって殺されそうな思いがした。同時に照明の美しさに見入る。白いライトによって照らされたスモークがゆらゆらと揺れ、それがゆらゆらと歩く少女ゾンビの姿を連想されたのだ。

「再殺部隊」に限らず、今回の照明は見入るところが多かった。「キノコパワー」ではライトが七色に輝き、まるでキノコでラリっている様子を表しているよう。この演出の細かさはホールライブの醍醐味かもしれない。

最後はまたもやド定番の「釈迦」で締めくくり。予想外だったのが、オーケンが釈迦の歌詞を間違えたこと。間違えたというかすっ飛んだと言うべきか。冒頭の「サンフランシスコ」でメタメタな歌詞を披露し、大丈夫かと思ったものの、中盤は持ち直して「イワンのばか」でも定番の間違い「ロシアのポルカの裏技」は炸裂せず、「ロシアのサンボの裏技」が登場したので安心していたのだが。とはいえ、ライブではずっと消滅していた「月の光浴びてアンテナが錆びる」の一節がいきなり復活していたあたり、レコーディングの影響で混乱が生じたのかもしれない。

「最後の曲」と銘打たれた「釈迦」が終わった後にかかったのは「新人バンドのテーマ」。こちらは演奏ではなく、録音された曲が流れた状態。そんな中でニコニコしながら頭を深々と下げ、退場していくメンバー達。一番最後まで残ったのは筋少の大黒柱内田雄一郎。何度も何度も丁寧に頭を下げてステージを去って行った。

お礼を言いたいのはこちらの方だ。二十五年も活動してくれて、メジャーデビューをした頃にはまだ幼児だった自分にまで、リアルタイムの活動を見せてくれてありがとう。これからも、例えじーさんになっても、そのときそのときの活動を見せてくれると嬉しい。出来る限り、自分も足を運ぶから。

おめでとう筋肉少女帯! ありがとう筋肉少女帯! どうかこれからも、健やかにドロドロに。

日記録1杯, アルバム感想, 日常, 筋肉少女帯

筋肉少女帯のセルフカバーベストアルバム「4半世紀」を買ってきて、余韻に浸っている。想像を超える格好良さだった。過剰さに過剰を重ねた装飾美。しかし内容はシンプルだ。ライブで演奏することを前提にしているのか、はたまたライブ演奏をコンセプトにしているのか、筋少メンバーとサポートメンバーの楽器と声だけで曲が構成されている。オリジナルの「機械」にあった鐘の音は無く、「日本印度化計画」のシタール演奏はギターで再現されている。コーラスも女性のゲストは無い。そのせいか今までのアルバムではあまり前面に出てくることが無かったベースの音がかなり存在感を放っているのが印象的だ。

オーケンの歌も素晴らしい。正直な話、驚いた。失礼ながらこんなに表現力のあるボーカルだったか、と思わされたほどだ。アルバムを聴く前に読んだ雑誌のインタビューで「4半世紀」にはキーを半音下げた曲もある、とオーケンは語っていた。そのときはやや残念に思ったが、下げたことにより今のオーケンの持つ歌声の魅力が発揮され、当時のオーケンは持っていなかった歌い方によって、その曲の新たな魅力が引き出されている。年を重ねて変化することにより、別の味が生まれている。そうだ、年を重ねることは悪いことでは無いんだ。肉体は徐々に衰えるが、同時に技術と経験は積み重ねられていく。若い頃には持っていなかった色彩を披露することが可能になるのだ。

「自分達はここまで出来るんだぜ?」と見せ付けるようなアルバム。齢五十を目前にしたロックバンドの全力を見た。そのうえで、「まだまだ行けるんだろう?」と思わせてくれるのが嬉しい。きっとライブではさらにあっと驚くようなパフォーマンスを見せてくれるに違いないのだ。