未分類2杯, 町田康, 非日常

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ライブに通い出してから十年経つが、開演前から最前列の柵を握れたのは今日が初めてのことである。視界を遮るものが何もない爽快感と、この先の演奏への期待感。柵にわずかに体重をかけながら、ひたすら開始の時を待つ。

ステージとの距離を目で測る。こんなに近くで観られるんだ、と思うたびに嬉しかった。

オープニング・アクトは「砂漠、爆発」。ステージの後ろに張られた白い布をスクリーンの代用とし、サイケデリックな映像をバックにアジアンテイストの布を被ったボーカルが迫力ある声で歌い踊る。編成はボーカル・ドラム・ギターの三人で、MCによると楽曲にはインドのテイストが入っているらしい。ボーカルはキャップを前後ろに被り、サングラスをかけ、肩にはタトゥー、胸には大きくNIKEと書かれたシャツ、そしてだぼっとしたハーフパンツの下にはレギンスを穿いていて、タトゥーとサングラスを除けば朝や夕方に見かけるジョギングをしている人の格好のようだった。そして運動しやすい出で立ちを充分に生かした熱量溢れるパフォーマンス! バスドラの上に立って煽り出したときは度肝を抜かれつつ興奮してしまった。未だかつてあの上に乗りあがった人など見たことがなかったのだ。

一曲目が終わり、二曲目に入る前にマシントラブルが発生。ドラマーが奮闘する中、ボーカルとギターが話を繋ぐ。その中で観客に気を遣ったのか町田康を話題に出していたのが面白かった。

無事マシントラブルも解決し、大いに盛り上がって「砂漠、爆発」の演奏は終了。メンバーはステージから一旦去ったものの、スタッフと共にすぐにステージに現れて機材を片付け始めた。そうして片付いた後は次のバンドの機材の設置が始まる。バンドメンバーと思われる人物が続々とステージに登場し、あっちやらこっちやらで作業を進める。その様子をぼーっと眺めていたら、実にさらっと、ナチュラルに町田康も入ってきて、メンバーと一緒に演奏の準備を始めたから驚いた。おおー。すっごく普通に入ってきた!

準備が終わると町田康はステージ中央の椅子に腰掛け、まだ準備の終わらないバンドメンバーの様子を見ながらゆるーく存在していた。目と鼻の先、たった二メートルの距離に町田康。その町田康がまるで百貨店のエスカレーター脇に設置されたベンチに腰掛けるようなムードで無造作に存在している。ステージは下手からキーボード、ベース、ドラム、ギター、サックス。そして中央に椅子に座った町田康。

ついに準備は整い、演奏へ。町田康はジャケットを脱ぎ、Tシャツ姿になった。先ほど町田康が座っていた椅子の上には歌詞が書かれているであろう紙の束。演奏はムーディーなジャズを思わせるもので大人っぽい雰囲気である、ちなみに「思わせるもの」と書いたのは己がジャズをよく知らないためだ。

ライブはアップテンポの曲もありつつ、全体的にゆったりとした曲調のものが多かったが、では激しくないかと言えばそうでもない。随所で町田康独特の、あの震えるような叫び声が響き、ぎゅーっとつぶられた瞼には熱量が圧縮されている。去年ライブを観たときも、彼はぎゅーっと目をつぶりながら歌っていた。いったいいつから目をつぶるようになったのだろう。

多くが新曲だったのでどれが何の曲なのかほとんどわからなかったのだが、町田康の公式サイトに掲載されている歌詞を見る限り、今日演奏された新曲は「かくして私の国家は滅んだ」「白線の内側に下がってお祈りください」「試される愛」「いろちがい」「急に雨が降ってくる」である。「かくして私の国家は滅んだ」「白線の内側に下がってお祈りください」が特に格好良かったのを記憶している。ちなみに発売時期こそ明確ではないものの、CD制作への意欲はあるようだ。わあ! 楽しみである。

今回のライブはほとんどが新曲ということもあったのだが、曲の構成として「どこで終わるのか」がわかりづらいのが印象的だった。今の曲が終わって次の曲に移ったものかと思いきや、一曲の中で雰囲気がガラリと変わっただけで、元の調べに戻ったときにようやく「あ、これさっきの曲がまだ続いていたのか!」と気付くのである。その振り回される感じも愉快であった。

MCでは歌詞についての話も。現代のJポップやラップは、日本語で歌いながら、いかに日本語っぽく聴こえないようにするかに注力されているという話から始まり、詩歌について考えるとなると現代だけでは足りず、昭和歌謡やフォークについても考える必要が生じる、という話から浅川マキや憂歌団が好きでよく聴いていたこと、そして考えるだけではわからず、実践をしてみなくてはならない、という流れで憂歌団の「嫌んなった」がカバーされた。

このとき、ぼそぼそっとした喋りのままMCから曲への境目なしにそのまま演奏が開始され、気付いたら知らない世界に突っ込まれたかのような唐突を味わい、息を呑んだ。この曲中、「嫌んなった」のときだけ町田康はギターを抱えて演奏していた。途中、ストラップが外れてギターが落ちそうになり、演奏が中断されるアクシデントもあったがご愛嬌である。このふらっとした何気なさで空気を変える威力と茶目っ気のギャップがキュートだ。

こうして新曲をたくさん聴ける喜びに浸りつつも、知っている曲を演奏してもらうとやはりそれはそれで盛り上がる。特に「犬とチャーハンのすきま」収録の「俺はいい人」。「犬とチャーハンのすきま」が大好きなだけでにたまらなく嬉しかった。あともう一曲は「つるつるの壷」で、確かアンコールだったかな。この爆発力たるや凄まじかった。

「汝、我が民に非ズ」は長い助走期間を経てようやく本格的な活動を開始したとのことで、また二月にライブをやる予定らしい。嬉しいなぁ。あと願わくはCDも。今日聴いた曲を反芻できる日を心待ちにしながら日々を過ごそう。可能であれば、少しでも早く聴きたいものだ。もう一度。



日記録6杯, M.S.SProject, Thunder You Poison Viper, アルバム感想, ケラリーノ・サンドロヴィッチ, 日常, 町田康

2016年2月11日(木) 緑茶カウント:6杯

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このサイトを始めて今日で十三年。早いものである。やっていることは少しずつ変わっているものの、基本的にはずっと日記を書いている。恐らくこのまま二十年三十年と過ぎていくのだろう。素敵じゃん。

さて、個人的に記念日である今日は何をするかと考えて、せっかくなので買いためていたCDをゆったり聴いて過ごすことにした。

「心のユニット」(町田康&佐藤タイジ)
「M.S.S Phantom」(M.S.S Project)
「Broun,White&Black」(KERA)
「Impromptu」(Thunder You Poison Viper)

いつになく横文字が多くて書き写すのに苦労した。そういう意味では珍しいラインナップである。

今日はイヤホンを使わず、部屋に音楽を流してリラックスしながら音を楽しむことにした。イヤホンは細かい音まで聴き取れるが、どうしてもコードによって行動が制限される。しかもコードがそんなに長くないのでまさに繋がれた犬状態。これはこれで楽しいが、今日は足を伸ばしてくつろぎたい。

というわけで緑茶を片手にこたつでだらだらしながらたまにパソコンに向かっている。楽しい。


■「心のユニット」(町田康&佐藤タイジ)
中古屋で手に入れた廃盤のアルバム。とにかく町田康の音源が欲しくて入手した。この二人がユニットを組むに至った経緯や曲調、事前情報を知らないままディスクを音楽再生機器に入れたら三曲しか表示されなくて驚いた。さらに、再生するとやけに穏やかな曲が流れてきて驚いた。

しかし曲調が穏やかとはいえ詩も同じとは限らない。「空にダイブ」の「ああ、空にダイブをしたらやばいかな」という歌詞には怖さがある。連想したのは町田康の短編「ゴランノスポン」の、惨めでぐっちゃぐちゃな現実の中あくまでも物事を前向きに捉えようとする若者の薄ら寒いポジティブさと、ポジティブを維持しきれなくなり爆発する悲惨さ。

そして三曲目の「光」もよくよく歌詞を読むと前向きでも何でもなかった。町田康はポジティブで前向きな言葉を並べて、地を這うようなどうにもならない絶望感を描写する名手である。

このCDは三曲で一つの物語が構成されていた。やるせない物語だった。

余談だが、CDケースを開けたらCD購入者のみが見られる特別映像のURL・ID・パスワードが書かれた小さなカードが入っていた。アクセス有効期間は2002年までだった。歯噛みした。だが、救いもあった。カードの下には「このカードはしおりとしてご使用ください」とも書かれていたのである。ありがとう、そうするよ。


■「M.S.S Phantom」(M.S.S Project)
ライブに行ってから何度もアニメイトに足を運んだものの、ずっと売り切れていて買えなかったアルバムをようやく入手した。一番の目当ては「KIKKUNのテーマ」である。あれはとても楽しかった!

アルバム裏面を見ると初音ミクがボーカル扱いになっているのが面白い。楽器ではなく、あくまでもボーカリストなのだな。

ボーカロイドを使用した音楽を己はあまり聴いたことがない。故に耳慣れないせいだろう、歌詞が歌われている認識はあるのに、言葉が音に分解されて、歌のある曲でありながらインストゥルメンタルとして耳が捉えていることがある。流石に何度も繰り返し聴くと初音ミクが初音ミクとして己の中で確立されてそのような効果はなくなるので、そういった楽しみが出来るのは最初のうちだけなのだが。

「THE BLUE」や「CELESTIAL」のような、初音ミクが人間を超えた早口で歌う曲は、言葉が音に融解していて、その声か音かわからなくなりかける音の妙を楽しむのが気持ち良い。

目当ての「KIKKUNのテーマ」は衝撃的だった。アルバムを始めから通して聴くといきなりポップな曲が始まり、その曲調の変わりようもびっくりだが、「きっくん! きっくん!」って、声、入ってないんだな! てっきりCDには声が入っていて、ライブではファンがその部分を歌う構成になっているのかと思っていたのだが……。ちゃんと「きっくん! きっくん!」って聴こえるのが面白い。

「We are MSSP!」について。初音ミクのボーカルを続けて聴いた後、最後に人間の歌声が始まったので変に新鮮味を感じてしまった。歌声の初々しさが可愛らしい。


■「Broun,White&Black」(KERA)
ケラさんによるジャズアルバム。ジャズ! 縁の遠い音楽である。無論「ジャズ」という音楽がこの世にあることはよくよく知っているが、ではジャズとはどのような音楽か、と問われると何も説明できない。何も説明できないが、聴いてみたくなったので欲望のまま購入した。

CDケースを開けて、まずCDがどこにあるのかわからなくて困惑した。パタパタッと三面鏡のような形に開かれた三面全てにケラさんの顔、顔、顔。あれCDはどこ? って思ったら側面に口が開いていて右と左にCDと歌詞カードが封入されていた。安心した。

前述の通り己はジャズを全く知らないということもあり、このアルバムは有名なジャズのカバーアルバムなのかな、と思っていたのだが、作詞作曲を見るとケラさんオリジナルらしき曲と、カバーの両方があるようだ。

そうしてわくわくしながら再生ボタンを押すと、「あぁ、こういう音楽か!」とジャズがわからないなりに納得した。イントロからグッと来て、これはツボだ! 大好きなやつだ! と直感し的中したのが「学生時代」。こういう音楽をどこかで聴くたび、好みだなと感じていたのだが、これが何なのかわからなかったんだ。これか!!

ケラさんの歌声がまた良いのだなぁ。この明るく跳ねながら走り抜けるような声。喜びと悲しみが同居しているような。笑いながら涙が滲んでいるような声が好きだ。鼻の奥がジンと痛くなるんだ。

「半ダースの夢」「学生時代」「復興の歌」「地図と領土」が好き。二周目は歌詞カードをじっくり見ながら聴いてみよう。


■「Impromptu」(Thunder You Poison Viper)
ベーシスト内田雄一郎・ピアニスト三柴理、ドラマー長谷川浩二によるピアノトリオによる、オフィシャルブートレグ、ということで公式海賊盤。アルバムに詳細が書かれていないのだが、ライブ演奏と、ライブでの即興演奏を音源化したもののようである。ジャケットの内側には文字と絵による設計図が載っていて、その図をもとに即興で演奏された曲が二つ入っている。……ただ、歓声や拍手の音が入っていなかったら、ライブ音源とは気付かないんじゃないか、これ。

音楽を聴き始めた頃は「演奏」にほとんど注目しておらず、歌ありき、もっと言えば歌詞ありきで聴いていたので、インストゥルメンタルには興味がなかったものだが、いつの間にか楽器の音を一つ一つ追いかけたりするようになって、インストゥルメンタルも大好きになった。サンダーユーも大好物である。大好物だが、音楽に関する知識がないので「すごい」「かっこいい」「めっちゃ好き」といった、小学生の作文めいた言葉しか出てこない。無念である。ただただ思うのは、集まるべくして集まったのだな、ということだ。

他三枚のアルバムもそうなのだが、特に「Impromptu」はイヤホンを使ってがっつり聴くべきだと思った。細かな音まで追いかけたい。


四枚のアルバムを聴きながら六杯の緑茶を飲んだ。特に何をするでもなく、音楽を聴きつつ、思ったことをたまにタカタカ書く穏やかな時間。なかなか贅沢な休日の過ごし方ができて嬉しい。歌詞カードとにらめっこをしながら、一曲一曲をしつこく聴き込むという楽しみがまだ残っているのも良い。実に気持ちの良い一日だった。



未分類0杯, 町田康, 非日常

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憧れの町田康のライブを、ついに念願叶って生で目にして感動したのがちょうど一ヶ月前だったが、まさかその一ヵ月後に憧れの町田康による朗読を楽しみ、サインをいただき、握手をしていただき、脳が爆発することになろうとは夢にも思わなかった。夢にも思わなかった。

あー、嬉しい。

今回のイベントはタイトルの通り。「御伽草子」を各々の作家の味で現代風に書き換えた絵本の完結記念イベントである。場所は神保町の東京堂書店六階のホール。一階のカフェでイベントチケットとドリンクを交換し、会議室を連想させる無機質な部屋で作家の登場を待った。

穏やかな面持ちで現れた町田康は、一ヶ月前に暗闇の中で見たときと印象が変わらなかった。向かって左から町田康、堀江敏幸、藤野可織、三名の作家が長机を前に座る。長机にはコップとマイクとおしぼりが用意されていたが、コップは伏せられたままで、朗読が始まる前に作家から突っ込みが入るまで水が入れられることはなかった。どうやらスタッフが水を入れるタイミングを逃したらしい。

まずはこの「現代版 御伽草子」の仕事を依頼されたときの状況がほわほわと語られた。町田康が司会の代わりを務め、二人の作家に質問をすることでトークが回っていく。聞いたところ、この「現代版 御伽草子」の仕事は随分ふんわりしたかたちで依頼されたようで、最初は御伽草子をもとに何を書くべきなのかも作家によっては曖昧な認識で、堀江さんは絵がつくことすら後から知ったそうである。また、文章の後に絵を用意しなければならないため、締め切りが普段よりもきつかったらしい。

「現代版 御伽草子」を書くにあたっての姿勢もそれぞれ違い、藤野さんは町田康と堀江さんの作品を読んだとき、やりすぎてしまったと焦ったらしい。このとき、いったいどんな話を書いたのだろうと気になったのだが、後の朗読でその思い切りの良い改変っぷりを理解し、こりゃあ確かにと納得した。

トークは全体的にふわっふわしていた。自分は読書量が多くないうえ、かなり一極集中なタイプなので堀江さんも藤野さんも存じ上げなかったのだが、堀江さんがとても個性的な人であることが感じ取られた。動物園に行ったらゾウとキリンとカバだけで時間が潰せて、ゾウは二時間見ていられるほど好き、耳と尻尾が動くと幸せ、と淡々と語り、どこかに危うげな空気が混じる。そして締め切りについてはかなりな方らしい。その「かなり」とは、締め切りをきっちり守る真面目なパンクロッカー町田康と比較して、という意味である。

町田康が現代風にアレンジした「付喪神」については、町田康の言葉のセンスが面白いと堀江さんの口から語られた。例えば包丁がまな板に対して言う「おまえのそういう木材的にのんびりしたところが一番、嫌だったんだよ」という台詞。これを聞いたとき嬉しく思った。そうそう、「木材的にのんびり」という言葉の、何となく納得させられるイメージ。ここ、自分も好きだと思ったんだよなぁ。

あと、「御伽草子」を現代風に書き直すにあたって、古い言葉と新しい言葉をどのように混ぜるか、といった話も語られた。例えば堀江さんは「アンモラル」をあえて平仮名の「あんもらる」にして、あたかもその時代にあった言葉のように混ぜ込んでしまった。また、藤野さんは冒頭の「中ごろの事にやありけん」の意味を調べたところ気に入ったので、そこはその意味のままに書き下したそうだ。

町田康の「付喪神」について堀江さんからの言及も。ネタバレに配慮しつつ、後半でとんでもない展開になることについて触れた。そして後半、現代社会への批判が混ぜられているが、これは題材があった方が書きやすいんですか? だったかなぁ。ニュアンスを忘れてしまった。こういったことを聞いていた記憶があるのだが。それについて町田康はうーんと首をひねりつつ答えていた。

ちなみに町田康の「付喪神」は、「付喪神」と戦う相手が原典と異なっている。これについて、町田康は「そのままだと真言宗最強みたいになっちゃってつまらないから」といった内容のことを言っていたので家に帰ってから読んでみたが、確かに真言宗最強物語であった。なるほど。

トークの後は作家本人による朗読の時間に。町田康はいつものイントネーションで語っていて、ページをめくるときなどにたまに間が空くことはあれど、全く笑わないのがすごい。あの内容で噴き出さないのがすごい。いったいどんな内容なんだ、と気になる人は是非本を買って欲しい。わかるから。付喪神がヘッドバンギングするから。無論、会場からはたびたび笑いが起こっていた。

堀江さんはトークから時折醸し出される危うげな印象が引っ込み、淡々としていて聞きやすかった。藤野さんは語り口は普通なものの内容がぶっ飛んでいて、わりとストレートな現代批判が突っ込まれているように感じられた。正直最後まで聞きたかった。

最後はサイン会。もう興奮した。静かに興奮した。多くは語れなかったが、本も音楽も大好きなこと、新宿ロフトのライブに行ったことは告げられた。町田康はありがとうと言ってくれて、手を差し出してくれた。わーーーーーーーーーーーーーーー握手だーーーーーーーーうわあああああああああああ。気が狂った。

最後まで見届けてから会場を後にし、電車の中で町田康の「付喪神」とオリジナルの「付喪神」を読み比べた。あんなに荒唐無稽に感じられる町田康の「付喪神」は、意外にも原典に沿った内容になっていて、だから昔話って好きなんだようちくしょうめ、くーーーーーーと楽しさと嬉しさを改めて噛み締めたのであった。どっとはらい。



未分類0杯, 初参戦, 町田康, 非日常

この「宮川企画」の趣旨を全く把握しないままにチケットを取ったのは憧れの町田康が出演するから。「汝、我が民に非ズ」というプロジェクト名にて、ついに町田康がライブをやってくれるから。

そして。結局己はこの「宮川企画」が何を意図した企画だったのか知ることなく帰路に着いたのだが、ただただ多幸感。あぁ、だって、やっと町田康の歌を、姿を、生で堪能出来たのだから!

前から二列目で視界も良好。町田康の前に三組の出演者がステージに現れ、それぞれ楽しんだり合わないなーと思ったりしながら町田康の登場を待ちわびた。リアルタイムでサンプリングしながら歌う「UHNELLYS」は面白く、日本語ラップの「MOROHA」は、言葉と声に力強さを感じつつも自分の好みには合わなかった。台詞量が非常に多いので、西原理恵子や新井理恵のふきだしみたいな密度だな……と思ったことは印象に残っている。「行方知れズ」はすごかった。というか客の盛り上がりがすごかった。叫びながら踊り狂うはステージに乱入するはダイブが発生するわと直前までの空気から一変。横を見ればステージに背を向けて携帯電話を片手に自撮りを行う者もいる。おいここ写真撮影禁止だろうが、だめじゃないか何だこれ。今までこういうノリのライブに参加したことが無かったためちょっと戸惑った。

そして最後の出演者が町田康。グレーのジャケットに黒のシャツ、ダメージジーンズという出で立ちで、片手には歌詞が書かれた紙。長い髪が邪魔になるのか、たびたび髪を耳にかける仕草をしていた。眼鏡はかけていない。近年、書籍などで町田康の写真を見るときは眼鏡がかけられている姿が多かったので、ちょっと意外で嬉しかった。

一曲目は「305」。INU時代の曲で、何度となく聴いた曲である。この日は町田康名義ではなく「汝、我が民に非ズ」名義ゆえ、一曲目から知った曲をやってくれるとは思いもしなかったので興奮してしまった。

町田康と言うと目をかっと見開き、ギョロギョロさせながら歌うイメージを持っていた。しかし今目の前にいる本物の町田康は目をギューッとつむって力強く叫びながら歌っていた。時折、楽しそうに笑顔を見せながら歌うとき開かれる目がキュートである。膝を軽く折り、スタンドマイクを握り、叫ぶ声歌う声を聴く。危うさよりも穏やかさが感じられ、楽しそうだなと思った。

タイトルは不明だが、「遠く離れていても大丈夫ー遠く離れていても仲間だよー」といったような歌詞を歌っていたとき。きちんと聴き取れなかったので歌詞の全体像を把握出来なかったのだが、多分単純にハートフルな曲では無いのだろうな、何かあるのだろうなと思いながら聴いていたとき。曲中でぼそっと「俺から離れられると思うなよ」といった内容の言葉を町田康が呟いて、このときそこここから悲鳴が上がった。この一瞬の表情がとても格好良かった。

「305」の他、INUの曲では「フェイド・アウト」と「つるつるの壷」を歌ってくれた。「お前の頭を開いてちょっと気軽になって楽しめー」と歌うとき、町田康は両手を広げ、にこやかに楽しそうにしていて、それを見ている自分も楽しくなって、そしてこのフレーズが大好きな自分を再確認して、自分の頭を開いてちょっと気軽になりたい気分になった。

終始、楽しそうで嬉しかったなぁ。しつこい野次もあり、ちょっと黙ってろよと観客に対し腹の立つ場面もあったが、町田康本人は拾うところは拾って上手にいなしていた。「INU--!!」としつこく叫ぶ客がいれば「最近は猫の本も書いていまして」と言って笑いを誘う。歌詞を覚えていないと告白し、歌詞の書かれた紙を用意するも風に飛ばされしっちゃかめっちゃか。床に散らばった紙を拾いつつ、次の曲の歌詞がなかなか見つからず、本当に困ってしまったようで、「二分待ってください」「しばしご歓談を」と弱りながら観客に声をかけてまた笑いが起こる場面も。

最近野球に興味を持てない、何故なら誰が誰だかわからず感情移入出来ないから、というMCから、では誰が誰かわかった方が楽しめるでしょうから……とメンバー紹介が行われる場面も。他、告知もあったがアルバムやライブの予定については特に無かった。

新曲を聴ける嬉しさと、新曲を反芻出来ないもどかしさがない交ぜになる。リアルタイムで、今まで聴いたことが無かった町田康の曲が聴けるのは嬉しいのに、それを今度いつ聴けるかわからないなんて! ただ、新しくプロジェクト名を名乗るからには、きっと今後もちょこちょこと活動があるんじゃないかしら、あってほしいなぁと願いつつ。思えば聴きたい曲は他にもたくさんあって、「犬とチャーハンのすきま」の曲も聴きたいなぁそういえば新曲に「チャーーーーハーーーーーン!!!」「ラーーーーメーーーーーーーン!!!」って絶叫する曲があったなぁあれはいったいどんな歌詞だったのだろう読みたいなぁ、と思う夜。

思えば今週は二回も夢に町田康が出てきた。いったいどれだけ楽しみにしていたんだよと我ながら思ってしまう。初めて町田康を知ってからそろそろ十年。最初はエッセイから入り次にCDを買って文章も音楽も好きになった。特に文章にはちょっとどうだろうと思うくらいに影響を受けてしまった。大学の頃は町田康の詩集を常に鞄に忍ばせていた。あの頃も、一度観てみたいと思っていたのだ、そういえば。ついに叶ったんだなぁ。

最後に。今日、楽しそうに穏やかに歌う町田康の姿を観たとき。感動し興奮すると同時に、様々な人の口から語られる、昔の狂気じみた頃の姿、それはもうイメージでしか無いのだが、そのイメージがふっと出てきて、きっと全然違うのだろうな、と思った。だがそれを求めている人もいるのだろう。自分も全くゼロでは無い。ただやはり今こうしてここにいる町田康が好きで、その履歴も好きで、その先も観たいと思う。ギューッと目をつむって歌う姿から感じられる必死さをまた観たい。きっといつか、またどこかでやってくれることを願って。願って!



日記録0杯, 日常, 町田康

2014年5月16日(金) 緑茶カウント:0杯

町田康が好きだ。

作家としての町田康も、パンク歌手としての町田康も好きだ。そして自分は、あぁ、パンク歌手としての町田康も、もっと世に広まれば良いのに! 町田康の著作物を読んだ人が、彼の音楽も聴いてくれれば良いのに! と強く願う人間である。

カラオケで町田康の曲を歌いたいのに歌えないジレンマに悲しむ人間である。

メジャーとまではいかずとも、もっと知られれば良いのになぁ、と思いながら「犬とチャーハンのすきま」収録の「頭が腐る」を楽しく歌う。家の中で、汚れた皿を洗いながら。

彼の歌はとても良いよ。