日記録0杯, 日常, 水戸華之介

2018年5月31日(木) 緑茶カウント:0杯

拝啓・水戸華之介様。己はあなたに何度心を救われたでしょう。そしてその感謝と愛をいったいどれだけあなたに伝えられたでしょう。

全く伝えられていないはずです。年に一度、不死鳥ライブの後にお手紙をお渡しするようになりましたが、それではとてもとても、伝えきれないと思っています。

ニューアルバム「ウタノコリ」を聴きました。アンジーをメインに3-10Chain、ソロ曲をアコースティックで描いたアルバムです。とても素晴らしく思いました。同時に、物足りなく思いました。

それは、生で聴く水戸さんの歌声の威力がCDには収まりきらずにいるからです。CDで聴く水戸さんの歌声は何と言ったら良いでしょうか、まろやかに収まってしまっていて、本来の水戸さんが持つ歌声の迫力とパワーが消えてしまっているように感じました。

だから自分は、多くの人に水戸さんの歌声を生で聴いて欲しいと願います。

「マグマの人よ」を聴いて何度泣きそうになったか。「ゆきてかえらず」を聴いて何度胸を締め付けられたか。全身にビリビリと響く迫力と威力とパワーに何度圧倒され、感動したでしょうか。

その威力を多くの人に知って欲しい。

だからこそもどかしく思い、何ができるだろう、どうしたらいいだろうと考えてしまいます。ミュージシャンであり、オーディエンスを楽しませるエンターテイナーでもある水戸さんは、自虐ネタで大ヒットを飛ばしているミュージシャンと自身を比較なさいます。それをファンの自分はとても悲しく思います。

だって、B’zも偉大なミュージシャンでしょうが、己の心を救ってくれるのはB’zではなく、あくまでも水戸さんなんですよ。
水戸さんだからこそなんですよ。

と、言うことをサインをしていただく時に言いたかったのに言えなかったのでここで語りましょう。あぁ、いったい己に何ができるでしょう。何ができるかと考えてしまいます。だから、年に数回「昔アンジーのライブ観に行ってました、懐かしくなって行きたくなりました」というような感想をもらうと嬉しくなります。ただただ楽しく感想を書き散らしているだけで、発散のためだけで、布教目的ではないにしろ、ほんのちょっと、ほんのちょっとでもお役に立てているかなと錯覚できまして。

水戸さん。
ここで発するだけなのでこの言葉は届かないとわかっていますが、どうかどうか、あなたがデビューした年に生まれた人間も、あなたの歌声に助けられていることを知っていただきたい。
あなたは唯一無二です。代替できない存在です。だからこれからも歌い続けてください。どうか、と願って。

敬具



未分類0杯, 水戸華之介, 非日常

改めて、水戸さんの歌声が好きだなぁと思った。

水戸さんは最近、同じくデビュー三十周年を迎えるB’zを引き合いにして冗談のような自虐ネタのようなトークをするが、B’zのことはよく知らなくても水戸さんの歌声は心に響く人間がここにいるんですよ、と伝えたい。B’zもそうであるように水戸さんも唯一無二の存在で、決して他の誰かの歌声と代替できるものではないんですよ、と。

水戸さんのデビュー三十周年であり、十五回目の不死鳥である記念すべき興行は三部構成で行われた。水戸さんと内田さんのテクノユニット「Zun‐Doco Machine」を皮切りに、アコースティックバンド「ウタノコリ」、そして激しいロックの「水戸華之介&3-10Chain」。昨今の水戸さんの魅力を一度のライブで味わえる大変お得なイベントだった。そしてきっと、三十周年だからと言って久しぶりに観に来た人々は、意外な水戸さんの姿と世界観に驚いたに違いない。もしかしたらアンジーを期待した人はまどろっこしさを感じたかもしれない。その気配は「でくのぼう」からの異様な爆発で感じ取りもした。熱望とフラストレーションの爆発らしきものが一部にはあったように思う。

同時に「Zun‐Doco Machine」で体を揺らしながらニコニコと聴き入り、「ウタノコリ」の静かな迫力に圧倒された人々もいた。特に「マグマの人よ」「ゆきてかえらず」の魂のこもり具合に、ビリビリと痺れるような水戸さんの声量と声の威力。身の毛がよだつほど素晴らしかった……。あぁ、この人は詩人であり、歌手なんだなぁと改めて思い知らされる。この声を聴きたくて己はここに来たのだ。それは他の誰かからは決して得られない、水戸さんからしか得られない威力なのだ。

しかしそんな素晴らしいライブの中で残念な出来事もあった。マナーの悪い嫌な客が来ていたのだ。「すみませんすみません」と人を探すふりをしながら堂々と割り込みをし、飲食物持込み禁止にも関わらずポケットからウイスキーのビンを取り出してはぐいぐい呑んで酒臭い息を吐き散らし、仲間を呼んでよりにもよって演者への悪口を言う。その人は四千五百円を払っていったい何をしに来たのか。どうやら、昔の思い出だけを求めて来たらしい。

だが、水戸さんは今を生きている。かつての曲と今の曲を同じ日に歌い、今の水戸さんの歌声に昇華して響き渡らせている。それは電子音楽に姿を変え、時にはピアノの調べに乗り、あるときはギターとドラムとベースの波と共に奏でられて聴く人の心を揺らす。一歩一歩、じっくりと歩みながら三十周年からその先へと生きている。

オープニングではBOZE STYLEの頭部を楽器に見立てた驚きの演出で笑いを取り、「明日への誓い」は著しいアレンジによりオーディエンスを驚かせ、わじーのギターが痺れる「31のブルース」では渋さと格好良さで人々を魅了する。かと思えば突然のカバー曲「セクシャルバイオレットNo.1」で大いに盛り上がり、楽しませよう楽しませよう、そして自分自身も楽しもうという水戸さんの意気込みが素敵だった。

個人的に嬉しかったのは「生きる」が聴けたこととアンコールが「掃き溜めの街で歌い始めたチンピラ達の新しいメルヘン」だったこと。「生きる」は何度聴いてもその度に心が鷲づかみにされ、特に今、ちょっとしんどい思いを抱いているだけに拳を握り締め、前へと進もうと思う強さを心に持つことができてありがたかった。己はいつもこの曲に助けられているなぁ。

「掃き溜めの街で歌い始めたチンピラ達の新しいメルヘン」は、ゲストが全員登場しての演奏と合唱。水戸さん曰く、三十周年と言うとこれで終わりのようなイメージもあるから……とあえてこの曲をチョイスしたとのこと。

まだ始まってもいないし、終わってもいない。これから歌い始めると堂々と宣言するこの曲を、アンジーの盟友である中谷ブースカ氏と同じステージで歌うのは一つのドラマだろう。彼が水戸さんと共にステージに立つのは今後二度とないかもしれない。しかし彼が作る楽曲はこれからも水戸さんと共にあるだろう。

後追いファンの自分はアンジーをリアルタイムで知らず、中谷ブースカ氏も写真でしか見たことがなかった。ただ、近年の水戸さんのアルバムにも彼の名前が作曲者としてクレジットされていることは知っていて、ずっと印象深く思っていた。赤い衣装に身を包み、コミカルな仕草で熱くギターをかき鳴らす彼と、隣に立ってマイクを握る水戸さん。無論懐かしさなどは感じなかったが、今ここで、この2018年にこのステージを観られたことはきっと自分にとって幸運なのだろうと思った。



■Zun‐Doco Machine
ジョニーは鼻毛がヒッピースタイル
明日への誓い
31のブルース
セクシャルバイオレットNo.1(カバー)
100万$よりもっとの夜景

■ウタノコリ
雑草ワンダーランド
浅い傷
マグマの人よ
落書きみたいな存在達のハレルヤ
庄屋の倉
腹々時計
ゆきてかえらず

■水戸華之介&3-10Chain
知恵の輪
ハーイここまで
生きる
でくのぼう
すべての若き糞溜野郎ども

花火
芋虫ロック
センチメンタルストリート
素晴らしい僕ら
天井裏から愛を込めて

~アンコール~
掃き溜めの街で歌い始めたチンピラ達の新しいメルヘン



未分類0杯, 水戸華之介, 非日常

水戸さんの持ち歌を100曲歌うことをコンセプトに、五年前に始まったこの企画。当時は次回があるかはわからないと語られていたものの嬉しいことに恒例化し、結果多くの曲が掘り起こされることとなった。

そして六年目の今年は新たな試みとしてカバーライブが催されることとなった。歌われたのはめんたいロックに、ナゴムに、昭和歌謡などなど。己は好きな音楽が偏っているためタイトルがわからないものも多かったが、どの歌を聴いても共通して感じたのは水戸さんの声の威力のすごさだ。水戸さん自身の歌ではなく、他のミュージシャンの歌が紡がれることによって改めてその歌唱力と表現力を思い知らされたように思う。何故なら歌詞と曲への思い入れを抜きにして、水戸さんの歌声そのものを生々しく感じることができたためだ。

あぁ、歌詞と曲はもちろんのこと、己はこの水戸さんの「歌声」にものすごく惹きつけられているのだなぁ。

ルースターズの「どうしようもない恋の唄」、有頂天の「BYE-BYE」、ばちかぶりの「オンリー・ユー」。松任谷由実の「春よ、来い」に、久保田早紀の「異邦人」。「愛の賛歌」「キヨシのズンドコ節」「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」「2億4千万の瞳」「マイウェイ」などなどバリエーション豊かでとても楽しかった。「お祭り忍者」は遥か昔、幼稚園のお遊戯で踊った記憶がまざまざと蘇り、興奮でぶわっと全身の毛穴が開く感覚を得た。まさか四半世紀近く昔の幼稚園の記憶が今になって蘇るとは。びっくりしたなぁ。

最後は「また会う日まで」で、トクロウさんもマイクを握り大胆にアクションを魅せてくれ、午前四時のカラオケ状態で大盛り上がり。ノリノリで朗々と歌いながら水戸さんが客席を練り歩いたとき、もう、すぐそこの! 間近まで来てくれて嬉しかった。格好良かった……!

またこのとき、客席後方へと歩く水戸さんを観ようと振り向いたら、一番後ろの席に内田さんが座っていたことに気づいて驚いた。知らなかった、いらしていたのか!

自分の曲ではなく他のミュージシャンの曲を歌うということで、曲への思い出話や思い入れ、照れ笑いにストレートな愛など、普段とはちょっと違った水戸さんの表情をたくさん観ることができた。「BYE-BYE」では上京した直後、荷物が後日届くため布団がなく困っていた水戸さん達のために、自宅の布団を担いで持ってきてくれたクボブリュさんの心温まるエピソードも。引っ越し先が近所で、偶然の出会いだったそうだ。

今回聴けて特に嬉しかったのは「BYE-BYE」と「オンリー・ユー」。驚いたのは「春よ、来い」。この歌はサビの部分しか聴いたことがなかったため、冒頭では何の曲かわからず、何だこの格好良い曲!? と惹きつけられた。編曲されている可能性があるためオリジナルとは違うかもしれないが、ちょっとこれは調べてみよう。

二十面ダイスによって選ばれたアンコールの曲は、何と直前に歌った「また会う日まで」! 普段であれば直前の曲は流石にダイスを振りなおすと水戸さんが宣言しているが、今回はまぁ良いでしょう! ということで明け方四時のテンションのカラオケが再びスタート。濃くて熱くて素晴らしく楽しかった!!

カバーが歌われるらしいと聞く「華吹雪」に興味を持ちつつも、なかなか都合がつかず行ったことのなかった身としては今日のカバーナイトは願いが叶った気持ちもして、新鮮でとても楽しかった。水戸さんの歌唱によって新たな興味が湧いてきたのも嬉しい。あれとこれとそれをチェックしてみようかな……と今、指折り数えている。世界が広がるのは楽しいものだ。



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思えばこの100曲ライブの企画が始まって今年で五年目だ。当初は水戸さんの持ち歌を百曲歌う催しとして始まり、だんだんとカバーも歌われるようになって少しずつ変遷を遂げている。そして今回はこの100曲ライブがきっかけで始まったユニット「Zun-Doco Machine」のワンマンライブでもある。

水戸さんは白、内田さんは赤いシャツを着てネクタイを締めた衣装で登場。内田さんを囲うように設置された機材はノートパソコンにキーボード、そして傍らには女の子が描かれた赤いギター。他、光るマラカスやボコーダーなど。水戸さんが話すことには、当初はパソコンだけで済むから身軽にライブができると思っていたのにどんどん機材やおもちゃが増えてしまったとのことで、内田さんもうんうんと頷きながら笑っていた。3-10Chainならベース一本で済むのに、とのことだ。

ライブは「ジョニーは鼻毛がヒッピースタイル」から始まり二曲目は「人間ワッショイ!」でのっけから大盛り上がり。去年のセットリストと見比べてみると新曲も増えていてとても嬉しい。新曲は「明日への誓い」「誰だ」「風船」「はじめ人間ギャートルズ」「待ってるのに」「1000年ビート」。ちなみにラストは「そこで何かが」で、アンコールは「待ってるのに」だった。

特に素晴らしく、楽しかったのが「誰だ」である。賑やかに始まりノリノリで聴いていたら……なんと、バッと勢いよく取り出されるはピンクと紫のジュリ扇! そしてピンクを水戸さんが、紫を内田さんが振り、腰に手を当てて踊りながら流れるのはジュリアナ東京チックな「誰だ」! まさかの展開と迫力に大笑いしつつ大いに盛り上がった。

このジュリ扇を振る内田さんだが、年齢を重ねるごとに男女の差がなくなる現象と長髪とやわらかな身のこなしが相まって、御婦人に見えて仕方なかったのがどうにも不思議な感覚だった。男性とわかっているのだが……。

ちなみにここで「ジュリアナーーー!!!!」と叫ぶ音声を入れたかったそうなのだが、映像資料を探すもなかなか見つからず断念したそうだ。「まぁジュリアナに来てるってわかってるんだからジュリアナって叫ぶ必要ないよね」と納得する水戸さんがおかしかった。

あと「明日への誓い」も面白いアレンジだった。始まりは……何と言えばいいだろう、原曲と比べると随分落ち着いた感じで、思い出したのは内田さんがテクノアレンジした筋少の「イワンのばか」だったのだが、サビのところで急展開! いきなりお祭り騒ぎのようなムードになって大笑いした。3-10Ghainの曲で言えば「光あれ」をイメージしてもらったらわかりやすいと思う。

「風船」はイントロが思いっきり3分間クッキングで、面白テイストの曲かと思ったらイントロ以降はわりと真面目なアレンジだった。これは内田さんが水戸さんの曲をテクノアレンジし始めたとき、面白路線で行こうとしたときの名残だそうだ。また、3分間クッキングの部分は超絶技巧のオルガンでできていて、聴きとって再現するのに非常に苦労したらしく、面白路線を脱した後もどうしても残しておきたくてこのまま居残ったとのことである。3分間クッキングよりも良いアイデアが出たらここは変わるかもしれないそうだ。

最後の一曲は「そこで何かが」。この曲を聴くといつも、空が開けて視界いっぱいに眩しいキラキラとした光の粒が見える。水戸さんの力強い歌声によって、今日は別にネガティブでも何でもなかったのだが、後ろ向きな気持ちになっているときでさえ心を鷲づかみにされて無理矢理前に向かされるような、そんなパワーを感じるのだ。何一つ落ち込んでいないのに、今日この日にこの曲を聴けて良かった、としみじみ思った。

アンコールは恒例の二十面ダイスによって決められた。選ばれたのは「待ってるのに」で、最後だからと言うことで「誰だ」用のジュリ扇が取り出され、狭いステージを練り歩き歌い踊る水戸さんと内田さん! その大サービスに大いに湧き立つオーディエンス! 楽しかったなーーーー! 己もジュリ扇を振りたいくらいだったよ! 代わりに心のジュリ扇を振ったさ!

水戸さんと内田さんの互いをわかりきったやりとりも微笑ましい。前回のわじー回で、水戸さんは「情熱の薔薇」でふざけてジャンプしたらひどい筋肉痛になり、背筋が熱を持ってひどい痛みに苛まれたそうだ。よって、ジャンプをするならふざけずに真面目にきちんとジャンプをしないといけないと結論付けていた。

オリンピックの話題では、内田さんがヤフーニュースのスポーツ欄は削除しているためオリンピックの情報がほとんど入ってこない話や、内田さんが唯一知っているオリンピックのニュースである不思議な銅像の話に水戸さんも会場の誰もがついていけない展開に笑った。あとカーリングの韓国選手が「ニンニク少女」と呼ばれていることから、「Zun-Doco Machine」は「ニンニク少女帯」でも良かったかもしれないね、眼鏡先輩と眼鏡後輩のユニットで! と水戸さんが話しナゴムの話題に繋がる場面も。

そうそう、内田さんがギターを弾こうとしたら音が出ないトラブルが起こり、どうしたことかと思ったらシールドが刺さっていなかったという衝撃の展開もあった。中学生でもしないと大笑いする水戸さんと、ずっとギターを弾いていなかったら下手になってしまったと話す内田さん。そこから、ベースとギターでは弦の押さえ方が違う話へと繋がってそれがとても興味深くて面白かった。なるほど。ベースの弦は太いから爪が長い方が押さえやすいのか。

楽しい時間はあっという間で、またこの会場以外でも「Zun-Doco Machine」を観てみたいなと思いつつ席を立つ。再来週は枕本トクロウさんの回で、今までにないカバーナイト。次はどんな曲が聴けるのか。何を見せてくれるのか楽しみでならない。あぁ、待ち遠しいなぁ。



未分類0杯, ウタノコリ, 水戸華之介, 非日常

新大久保駅から歩いてしばらく行ったところにあるこじんまりとしたライブホール。去年も訪れたにも関わらず道に自信がなく、地図を片手に雨の中よちよちと歩いた。

赤くやわらかな椅子に腰を下ろし、ゆったりと開演を待ちながら、しばしうつらうつらと舟を漕いだ。去年の日記を読み返したところ、当時も己はこの会場でまどろんでいたらしい。夏の暑さから急激に寒くなり、ちょうど体が疲れるタイミングなのかもしれない。

会場の照明が落とされて生まれる期待感のこもったざわめきを耳にしながら瞼を開ける。ステージにぼうと光が灯り、夢から夢へと移動するかのような不思議な感覚を得た。そして程なくして現れたのはギターの澄田さん、キーボードの扇さん、そして本日の主役・ボーカルの水戸さんこと、水戸華之介である。

「猛き風にのせて」から始まり、新譜「知恵ノ輪」の一曲「イヌサルキジ」へ。「イヌイヌイヌイヌ!」「サルサルサルサル!」と拳を振り上げるのが楽しい。毎度のことながら、水戸さんのアコースティックライブはアコースティックという概念を覆す熱量が凄まじい。どんな会場であれ汗だくで跳ね、飛び、歌う水戸さんは芯からロックボーカリストなのだ。

「イヌサルキジ」は桃太郎のお供である三匹の動物に対し、良い気になっているようだがお前らなんか本当は大した存在じゃないくせに、と苦言を呈す曲である。さて、ではこの動物達に厳しい言葉を投げつけているのは誰だろう? 己は鬼ではないかと思う。桃太郎が来るまでは鬼も畜生も似たような存在だったはずなのに、桃太郎に黍団子をもらった途端、あたかも自分は立派な存在ですよ、と言わんばかりに正義面をしやがって、本当は俺らと大差ないくせに! と怒る鬼の歌ではなかろうか。

三曲目は「抱きしめる手」。「手!」とパッと手のひらを開いて腕を挙げるとき、自然と笑顔になってしまう。「ヨイヤサコラサ」の後はアンジーの「サカナ」で、明るく気楽な曲調から一転して暗い海の底のような雰囲気に。この緩急がたまらない。

しっとりどんよりしてしまった観客に、そこまで落ち込まなくてもと笑う水戸さん。そしてまたここで空気が変わる! 「腹々時計」のダッダッダーッ! という明るいイントロでわっと沸き立つ観客。何度か出し惜しみをする水戸さんと、歓声を上げるオーディエンスのやりとりを経て、熱く歌う水戸さんの声の迫力! 熱気がむんむんと伝わってくるようである。

「腹々時計」の後は「涙は空」へ。今日はあいにくの雨模様だったが、「知恵ノ輪」のジャケットのように、美しく晴れ渡った青空をイメージさせる曲が多かった。次の「ドラゴンパレード」もそうである。開いた絵本から明るい色彩が広がり、そのまま空を染め上げていくような。やさしく、軽やかで明るい歌だ。

歌詞を読めば決して底抜けに明るい内容ではない。死の近づきを感じさせる曲だ。雨雲を砂漠へ運ぶため、銀色の鱗を落としながら年老いたドラゴンが空を飛ぶ。千羽のヒバリが後を追い、若い天使達がエールを送る。このドラゴンは間もなく死ぬだろう。しかしヒバリと天使に愛されたドラゴンは砂漠に雨が降るのを見届けたらきっと満足して眠るのである。そこに悲しみはなく、あるのは充実した生の終わりだ。その温かさが感じられるからこそ、この曲は明るく軽やかなのである。

ここに来るまで気付かなかったが、己はこの「ドラゴンパレード」を今日一番、聴きたかったのかもしれない。

空つながりでもう一つ。水戸さんが小さな手帳を取り出し、じっと見つめながら人々のあだ名を読み上げていく。それはきっと小学校のクラスメイトや幼馴染のような、そんな幼いあだ名で、そんな彼らが四十代五十代の大人になり、今どんな状況であるかを端的に紹介していく。大工をしている人、教師になった人。子育てを終えた人、多重債務により自己破産をした人、リハビリ中の人、ガンで亡くなった人。そして彼らの名前を読み上げて、続く曲は「青空を見たとき」。

ここで連ねられる名前は恐らく架空の人物である。水戸さんは十五年前からこの曲を歌うときにかつて幼かった人々のあだ名を読み上げるようになったそうだ。だが十五年経ち、自分と観客が歳を重ねたことで手帳の人物の年齢が歌に合わなくなってしまった。そこで十五年ぶりに年齢と近況を更新したそうである。「また十五年経ったら書き直すかもしれないけど、その頃には(手帳の人物は)みんな死んでるかもしれない」と水戸さんは冗談を飛ばして笑っていた。今五十五歳の水戸さん、十五年後ともなれば七十歳だ。深い皺を刻み、指を舐めながらページをめくる水戸さんを観られる未来。きちんと生き残らねば、と思う。

「蝿の王様」の曲中、「可能性はゼロじゃない」に変化し、そこで澄ちゃんによるアコギによるギターソロ、扇さんによるキーボードソロ、そしてカズーで歌い踊る水戸さん!! どこかアダルトな雰囲気漂う妖しい時間の美しさ!! かーっこよかったなぁ!!

水戸さんがステージを下りて客席を練り歩くとき、扇さんもマラカスを掲げて赤いスカートを翻し、水戸さんの後について踊っていたシーンがあり、それがどうにもあでやかで格好良かった。キーボードを弾く力強さも美しい。

アンコール一曲目は、以前にも水戸さんのライブで聴いた覚えがあるものの曲名がわからないもの。「アモーレ!」と叫ぶ水戸さんのお気に入りの曲だそうで、水戸さんは今日この曲を歌いたくて歌いたくて、早くこの曲の時間になって欲しい! と願っていたそうだ。どなたか、タイトルをご存知だったら教えてほしい。

「ひそやかに熱く」は水戸さんによるストレートな応援歌だ。これも頭上に広がる青空を連想させる。水戸さんの伸びやかな歌声をこれでもかと堪能できて気持ちが良い。何度も書いていることだが、本当に水戸さんの歌声は素晴らしい。素敵だ。たまらない。

ダブルアンコール、最後の一曲は明るく「雑草ワンダーランド」。そうだ、これも青空の歌だ。夏の高い湿度、草いきれ、直撃する太陽光。アメニモマケズ、祝福せよ。あぁ、水戸さんに強烈な太陽光の、夏の日差しの祝福がありますように、と心から願う。水戸さんの歌がもっと多くの人に届いてほしい。そう願わずにはいられない。

そうそう。アンコールのときだっただろうか。澄ちゃんがハンドスピナーを得意げに回しながらステージに現れて、その様子が実にキュートだった。機材車移動をしている最中、どこかのインターチェンジか道の駅で五百円で購入したものだそうで、ストレスの溜まりやすい機材車の中でハンドスピナーは小さな癒しになったらしく、シュルシュル回る様子を見ているうちに水戸さんも欲しくなったそうだ。次回見かけたら俺は千五百円のやつを買ってやる! と意気込んでいた。

そしてダブルアンコール終了後、澄ちゃんはハンドスピナーを回しながらステージを去って行った。楽しそうで実に良いな、と思った。