日記録5杯, 日常,

2014年9月21日(日) 緑茶カウント:5杯

昨日は一軒目で焼き鳥の盛り合わせをメインに、クリームチーズやポテトサラダ、つくね串、餃子、鶏腿肉を辛く焼いたものなどを食べ、二軒目でピクルスとフィッシュアンドチップスとニョッキなどを食べ、三軒目で一人マルゲリータ一枚とピクルスを食べた。我ながらよく食べたと思う。

美味しいものを食べられることは幸せだ。特に、友人とあれが美味しい、これが美味しいと話しながらあれこれ食べるのは非常に楽しい。すると忘れそうになるのが、この美味への欲求は大多数が持っているものだとしても、必ず誰しもが持っているわけではないということである。世の中には食事に全く興味の無い人や、食べることに苦痛を感じる人もいる。しかしそれは三大欲求の一つであるだけに、多くの人が思っているのだ。誰もがその欲求と執着を持っているに違いない、と。故に理解されないのである。欲求と執着を持たず、それどころか嫌悪している人のことが。

忘れないようにしよう、と意識するだけで、その人達に合わせて食べる楽しみをやめる気持ちはもちろん無い。だが、忘れないことが必要なのだと思う。そのように意識することが、いつか自分にも巡ってくれるのだと思いつつ、今日も鶏腿肉をにんにく醤油で揉みこんで炒めたものを肴に美味い酒を呑むのである。



日記録1杯, 日常,

2014年9月19日(金) 緑茶カウント:1杯

もしかして自分は酒に強くないのかもしれない、と思うときがあり、それは周囲の人々が焼酎や日本酒に移行してそれを楽しんで呑んでいるときである。自分は基本的にビールばかり呑む。日本酒を美味いと思うがあまり呑まない。焼酎はそもそもあまり美味いと思わない。よって、家でも外でも主にビールビールビールの、最初から最後までビールのエンドレスビール党。それだって延々と呑んでいれば結構な酒量のはずだが、同時に日本酒をカパカパ呑める人々に憧れるのである。

あぁ、がっつり呑めるようになりたいなぁ。と思いつつビールを三缶呑んで。もう充分じゃないかと思う自分もいるのである。



日記録2杯, 日常,

2014年9月10日(水) 緑茶カウント:2杯

自分はわりと食べるのが遅い方だが、量は食べる方である。即ちのろのろだらだら、最後まで食べ続けている人間が自分で、家族との食事であれば最後まで食卓に座っているのが常である。母が皿を洗い始めてもずっと食べているのである。

そんな調子であるため、よっぽど気心の知れた友人と食事をするとき以外は、誰かと外食をする際には少なめの量を注文し、遅れをとらないよう注意して食事をするのであるが、すると少食と思い込まれてしまうことが少なくなく、認識のギャップに驚くことが今までに何度かあり、違うんだ、と思いつつ、面倒くさくなって訂正を怠り、事実と違うイメージがついてしまうことがあって、でも結構食べるんだよ。食べたいんだよ。だけど遅いんだよどうしたって。と悩まされるのである。



日記録1杯, 日常,

2014年8月31日(日) 緑茶カウント:0杯

たかだか切っただけのトマトがどうしてこんなに美味いのだ。

塩すら振っていない。トマトを二個、厚めに切って皿に乗せただけ。これだけで立派なおかず、もしくは酒の肴になるのだから素晴らしい。そもそもトマト料理が大好きで、トマトの登場頻度の高いイタリアンに目が無いので、人よりトマトへの愛が強い自覚はあるが、やはりそれ以上にトマトそのものが美味いのだ。

しかし昨今はどうにも野菜の値段が高く、あれこれと買うと思った以上の支払い金額になるのが困ったものだが、それでもやはりこの季節、トマトの消費は抑えられず、ついでにミョウガの消費も抑えられず、毎日のようにトマトやミョウガを食べて、過ぎ行く夏を実感しているのである。



日記録3杯, 日常,

2014年8月2日(土) 緑茶カウント:3杯

どうしたことだろう。唐突に飲酒に飽きた。思えば七月は毎日のように飲酒をしていて、酒を呑む楽しさを家でも外でも満喫していた。それがどうしたわけか。唐突に飽きた。飲酒への欲求が起こらないのである。

内臓が疲れたのかもしれない。まぁ、そもそも飲酒は週末のみと決めていたにも関わらず平日も呑み続けていたので飽きるのは結構なことだが、困るのはついつい酒の肴を作ってしまったことで。冷蔵庫には今トマトとモッツァレラチーズをオリーブオイルとおろしにんにくとクレイジーソルトで和え、黒胡椒を挽いたものがあって。ビールとワインも冷えていて。しかし全然魅力を感じない。完全に持て余している。

こんなことってあるのだなぁと思いつつ。明日の朝パンにでも挟んでみようかな、と考えている。豪華な朝食になりそうである。