日記録3杯, 日常

2016年5月22日(日) 緑茶カウント:3杯

「ちょーっと奥歯を丸めますよー」と言うのんきな声が聞こえたと同時に、ゴリゴリゴリゴリと削岩機でも使っているのかというような音が口内で響き、己の奥歯は丸められたのだった。

今まで生きてきて「奥歯を丸める」と言われたことがないだけにやけに印象的だったこの言葉。しかも驚いたのはその歯が削られることは全くの想定外だったことで、何故なら治療が必要なのは丸められた奥歯の真下に生えている、下顎より生じている奥歯だったからである。つまり丸められた奥歯は上の歯なのだ。

削岩機の音を聞きながら、何故この歯を丸めるのだ、丸めるってつまり形を調整するということか? 何故? 形を調整するなら下の治療すべき歯を調整すれば良いのではないのか? と思うも自由に動けない身の上であるゆえ大人しくしていた。

そうして己の奥歯は丸められたのである。ゴリゴリと。

削岩機の音が止み口を漱いだ後、奥歯を丸めた意味を先生は教えてくれた。高さの問題だったらしい。下の歯にこれからカバーをかぶせるには下の歯の方に元よりも高さをつけなくてはならず、高くした分上の歯を短くしたということだ。そして丸めたのは一ミリにもならない程度の厚みとのことで、あの強烈な音のわりにほとんど撫でる程度の表層しか削られなかったというのだから驚きだ。知識の無い者からすれば健康な歯を削るなどありえないことのように思えるが、そういう技法もあるのだなぁ。

人気の歯医者ゆえなかなか予約がとれず、通うのは月に二回か三回。治療が終わるまでまだまだかかりそうである。まぁ、徹底的にやろう。せっかくなので。



日記録2杯, 日常

2016年5月18日(水) 緑茶カウント:2杯

反動とギャップもあるのだが。十代前半の頃、インターネット上では五歳ほど年上に見られ、二十代前半では初対面の人に三十代と思われていた。しかし三十を目前に見据えた今、いや今より少し前から、実年齢より下に見られることが増えて悩んでいるのは、幼稚さの表れを指摘されているからかと焦るからである。

年相応に見られたい。いっそ年齢不詳を地で行くために素っ頓狂なファッションでもしてやろうかと思いつつ。そんな度胸も好みもなく、ただただ日々ギャップに驚き、「何か違うなぁ」「どうしたこった」と思うのである。

ところで文脈とは何の関係もないのだが、ついにおそ松さんグッズをちょこちょこ集め出すようになってしまった。今まではブルーレイと雑誌とCD程度だったのに。あぁ、ここに行くと際限が無いぞと思いつつ止まらない。やばい。まずい。しかも特別好きな松がいないだけに六つ子全員分集めたくなるからさらに際限がない。あぁ、どこまで行くのかこの欲望。自分自身に対し、若干戸惑い始めている。やばい。



日記録2杯, 日常

2016年5月15日(日) 緑茶カウント:2杯

先週予約した本が届いたとの報せを受けて図書館へ向かった。己の住んでいるところは徒歩二十分圏内に二つの図書館があり、それぞれ別の市区町村は運営している。例えば一つは渋谷区、一つは新宿区と言うように。渋谷区の図書館では渋谷区にある全ての図書館から資料の取り寄せができ、新宿区も同様である。よって渋谷区にない本を新宿区から取り寄せたり、新宿区にない本を渋谷区で取り寄せたり、といったことが出来るので、便利さを噛み締めながら借りてきた本を読んでいる。

思えば大学卒業以来めっきり図書館を利用していなかった。近所の図書館を探すことすらしていなかった。欲しい本はとりあえず買っていたからであり、それで不満が生じなかったからである。そんな中で最近図書館を利用するようになったのは、高価な専門書を「趣味で」読みたくなったためだ。価格は一冊七千円ほどで、専門書ゆえ大きな本屋を探してもなかなか見つけられない。インターネットで購入できることは知っているがいきなり買うのは勇気がいる。何せまず、内容を理解できるかわからないのだ。せめて中身を少しでも見られれば購入の判断が出来るのだが……。

そうして悩み続けていた最中図書館の存在を思い出し、行ってみたら取り寄せできることがわかり、喜びながらガンガン借りて、あーやっぱ難しいなーと思いつつ、一緒に借りてきた入門書から手を付けて、少しずつ読み進めている。楽しい。とても楽しい。

ちなみに借りたのは義肢装具に関する本だ。まず義肢ユーザーのエッセイから始め、義肢装具士を取材した本を読み、今は義肢装具士になるにはどうしたら良いか解説した本を読んでいる。あと義肢装具学の本と、義肢装具メーカーの本と、再生医療の本と、生体医工学の本を借りた。身近に義肢ユーザーがいないため知らないことばかりで非常に興味深い。

興味関心の連鎖に任せて本を読んでいく楽しさよ。あぁ、快感。



日記録6杯, 日常

2016年5月13日(金) 緑茶カウント:6杯

膝の上に乗る一つの重みは頭脳の重みである。いわゆるところの膝枕を己は他者に提供していて、その他者は膝の上で苦しそうにうめいているので、背中やら肩やら頭やらを撫でさすりながらただ静かに座っていたのであった。

そういえば他者に膝を提供したのはこれが生まれて初めてのことであるなぁ、と思いつつ髪を撫でる。撫でられる人は完全に酔っ払っていて、道路で寝ようとしているところを何とか説得して、結果己の膝に納まったのだ。提供したわけではなかったが自然その人は頭を預けてきたので供した結果その人の吐瀉物を処理するに至ったのだが、近しい人であれば意外と抵抗ないものだなぁということを発見した次第であった。

思えば七、八年ほど前には急性アルコール中毒に陥った友人の吐瀉物が服に塗れたなぁ。人生のうち何回かはこういうことがあるのだろう。そうして今日こそが二回目なのだろうなぁ、と思いながら洗濯をしたのであった。



日記録4杯, 日常

2016年5月12日(木) 緑茶カウント:4杯

スズメバチの巣は撤去され、我が家の玄関には平和が訪れた。あの蝿の羽音を二十倍にでもしたかのような分厚い羽音ももうしない。それでも毎朝家を出るたびに巣の撤去された跡を見て、帰るたびに巣の撤去された跡を見て、何もないことを確認しては安心しつつ、見るたびごとに巣が無いことに違和感を抱くから不思議だ。あの巣を目撃してから撤去されるまで、たった一日あまりしか経っていないのに。

ここ最近は割合忙しく、きちんとした夕飯を摂れていない。昨日は何も食べずに寝て、今日はきゅうりにハムを巻いてマヨネーズをつけたものを咀嚼し、ヨーグルトを食べただけだ。明日はまともなものを食べよう。肉とか。

それでは今日もおやすみなさい。さぁ、歯を磨いて寝ようかな。