日記録0杯, 日常

2017年1月30日(月) 緑茶カウント:0杯

それはもう、寂しい気持ちになったのさ。

呑み会でゲイバーが話題に上り、誰がどういう人にもてそうだといった話を経て、LGBTの権利云々の話になった。会話には性的なからかいも混在していたので冒頭より自分は黙って酒を呑んでいたのだが、すると否定派は己を仲間と見なしたらしい。「ウヲさんは俺らと同じでフラットですもんね」と笑って肩を寄せたのであった。

おお! 君達にとってのフラットとはそのような意味なのかいと驚いていると、否定派の一人が「マイノリティが権利を主張するとイラッとする」と悪気なく語ったのであった。実に興味深い。彼はキリスト教徒で、映画「沈黙」をとても良い作品だと人に勧めていたのだが、彼は役人側の視点で映画を観ていたのだろうか。君が観た映画で棄教を迫られたのはマジョリティだったかい? 結果主人公は踏み絵をどうしたかな?

彼の発言に同調した女性は今、男性と同じようにバリバリ働いている。彼女が働ける今があるのは、かつてマイノリティであった「男性と同じように働こうとする女性」が声を挙げ、努力してきた結果のはずなのだが、その恩恵に思い至らないようだ。彼ら彼女らがマイノリティであること、あったことを意識せず安寧に生きていられるのは、君達が「イラッとする」人々のおかげだったんじゃないのかい。

なかなか苦い酒であった。寂しい気持ちが心を満たした。それはもう、彼ら彼女らが決して悪人ではないだけに。あぁ、知らないでいたいものだった。



日記録0杯, 日常

2017年1月29日(日) 緑茶カウント:0杯

おお、嬉しい。サイトの片隅に置いているアクセスカウンタが十万を記録した。アクセスカウンタを設置するとき、とりあえず六桁で設定したものの長らく左側のゼロの数値の占める割合が大きいままだった。ついに最後のゼロが埋まった、と思うと感慨深い。

サイトを作ったばかりの頃、当時やりとりをしていた人に「百万ヒット目指して頑張れ」と言われたことを何とはなしに覚えている。その十分の一にようやく届いたが、まだ十分の九残っている。流石に生きてる間に届くのは無理だろう。

とはいえその人が今どこで何をしているか知らないので、仮に届いたとしても報告することは出来ない。このサイトも何度か移転を繰り返し、名前も中身も変わっている。そもそもはイラストサイトのつもりで始めたのに気付けば日記サイトになっていたのだからおかしなものだ。変わらないのは管理人くらいである。

しかし別にカウンタのためにサイトをやっているわけではなく、ただの愉快な趣味であるので飽きるまでは楽しもう。まぁ、サイト開設日も近いので何かしらの企画でもやってみようかな。確か今年で十四年目の十三周年。我ながらよく飽きないものだ。



日記録4杯, 日常

2017年1月22日(日) 緑茶カウント:4杯

ここしばらく日中眠気に襲われることが多く、休みの日はこれ幸いとばかりに惰眠を貪り続けてしまう。いったい何故だろうと思い考えを巡らし行き着く心当たりは一つ。筋トレを再開したせいかもしれない。

年末年始にだらだらと食べて呑んで食べて呑んで寝て、という日々を過ごした結果過去最高体重を更新し、そりゃあ毎日ビールを五本六本呑んでりゃさもありなん、ビール六本って三リットルだよ三リットル、と納得しつつ流石にこりゃやべえと一月頭から筋トレを再開。さらに時間があるときには散歩を心がけ、とりあえず二キロ落としたのが数日前か。腹回りの肉が減ったのは目に見えてわかる、ベルトの穴も元の位置に戻った。あとは体力づくりも兼ねてもうちょい引き締めようとえっちらおっちら体を動かす日々の中、さして自覚はなかったものの体は疲れ切っていたらしい。あぁ。

とはいえ。このまま続ければ体力もつくはず。経験からすると二ヶ月続ければぐっと変わるはずなのだ、が、それも五年近く前のこと。より体力の衰えた今ではもっと時間がかかるかもしれない懸念はあるが、どうにかこうにか続けようと思う次第である。頑張るよ。



日記録0杯, 日常

2017年1月21日(土) 緑茶カウント:0杯

文法を勉強したい、特に敬語文法を。そう思ったのは己の知識が半端であり、さらに文法に至っては、現代文文法よりも古文文法に親しんでいたからである。ありをりはべりいまそかり。

頼まれて文章の添削をした。「おっしゃられる」「ご覧になられる」「やられている」「拝見させていただく」などを修正し理由を説明した。しかし納得してもらえなかった。曰く、こちらの方が丁寧さが伝わるとのことで、己は何度も説明を重ねたが、結局匙を投げたのであった。彼の人は言う。「何か失礼な感じがする」と。つまり言葉の正誤は問題ではなく、心情が問題なのである。それでは手の打ちようはない。

最終的には好きにしなされと伝えつつ、君は安心できるかもしれないが、君が「読んでもらいたい」と思っている一番敬意を伝えたい人には「読みにくい」としか伝えられないかもしれないぜ、とは念のため話しておいた。 その後彼の人がどうしたかは知らないが、ほんの少し頭の片隅で、「だったら添削なんざ頼むなよばーか」とは思った。思った。

しかし考え方を変えてみると、「おっしゃるられる」でないと失礼と感じる人からすれば、敬意を込めて「おっしゃる」「ご覧になる」と話す人の言葉を聞いて「失礼だなぁ」と思っている場合もあるかもしれないということで。そういえば己が「見られる」と言ったことに対して、自身に対する尊敬語と受け取った人もいたなぁ。そしてその使い方をおかしいと指摘してきたのである。

そんなあれこれを抱きつつ大きめの本屋に行ったものの、敬語文法に特化した書籍・参考書・問題集を探すも目当ての品はなくすごすご帰り、あぁ、知りたいなぁ、と思ったのであった。

良い本をご存知の方、良かったらご一報を。



日記録4杯, 日常

2017年1月14日(土) 緑茶カウント:4杯

闇夜を見上げて月を探したのは、目の前に浮かぶ鶏卵のような光があまりに大きかったからだ。

オレンジがかった濃い黄色の巨大な円が夜空に浮かんでいた。コンタクトレンズをつけていたが、己の視力を疑った。寒波厳しい一時間の散歩の途中。ほんのちょっと二十分程度散歩をしようとして道を間違え彷徨う最中、いつの間にか坂をぐんぐん上っていたらしく、どうにか戻ろうと坂道を見下ろしたとき、ぽっかりと浮かぶまろい光。普段目にする月の三倍もあろうかと大きさで、あまりに大きく美しいからそれが月だと信じられなかった。

見上げる先にあるのは霞み流れる雲と小さな瞬き。己のよく知る月はどこにもなく、故に確かめたいために、目の前の巨大な光をじっくり見るために近付こうと試みるも、坂道を進むたびに光は山陰に隠れていき、下りきった頃にはすっかり姿を消してしまった。

さらに進むと見えたのは教会の塔を彩るステンドグラス。円い窓にはめられたガラスの輝きを見上げ、あれを見間違えたのかと思ったもののガラスの色は黄と青の二色。あの光に青の欠片は存在せず、やはりあれは月だったのかと思うものの坂道の下からは何も見えない。まるで狐につままれたようで、釈然としない気持ちを抱えつつ先へ先へと進んだのであった。