未分類0杯, 筋肉少女帯, 非日常

雨の中、傘も差さずに駆け抜けて辿り着いたるは渋谷円山町LOFT9 Shibuya。息を整える間も惜しく、財布からチケットを取り出しながら中に入れば耳に聴こえるオーケンの歌う愛の賛歌。ぎっしりと敷き詰められた人々の後頭部の並ぶ先で、オーケンが一人ステージでギターの弾き語りをしている。開演から三十分過ぎていた。

再結成後の筋肉少女帯による「ファンクラブ的」イベントの記念すべき第一夜。運よくチケットが当たったものの都合により開演に間に合わず、故に途中からの参加となったことこそ惜しいが、今日来ることが出来て実に嬉しかった。聞くところによると自分が到着する前には昔の写真を公開するコーナーもあったそうだ。そしてその後にオーケン、おいちゃん、ふーみん、うっちーの順で一人ずつステージに立って歌とトークを聴かせてくれ、その時点で自分は入場したのだ。オーケンは愛の賛歌、おいちゃんは今度のツアー「猫のテブクロ」の猫にちなんで「お散歩ネコちゃん若き二人の恋結ぶ」、ふーみんは「僕の歌を総て君にやる」を熱唱し、うっちーはウクレレベースをベンベン爪弾きつつ「ベースで弾き語りは難しい」と語りながら「元祖高木ブー伝説」のさわりを弾き語ったかと思えば、袖から持ち出されるは愛用のパソコン! ボコーダーを駆使してテクノアレンジ版の「星の夜のボート」を聴かせてくれた。

オーケンの「愛の賛歌」は歌と歌の間に絶妙な「間」を入れることでオーディエンスの笑いを誘う。おいちゃんは「猫にちなんで」と話していたのでてっきりドルバッキーが来るかと思いきや始まったのは意外な一曲。これをライブで聴いたことはほとんど無いように思う。嬉しいなぁ。ふーみんは「筋肉少女帯の橘高文彦」に変身してはいなかったが、髪をくるくる巻き、目元にはサングラスがなく、遠目に見てナチュラルな印象で、これも一つのステージ用の姿であるはずなのだが、まるで普段着を見せてもらえているかのような不思議さがあった。

うっちーの演奏が終わった後、ステージにメンバー全員が集合する。並び順はいつもと同じで下手からおいちゃん、オーケン、うっちー、ふーみんだ。しばらく内田さんがテクノアレンジした筋少曲の話題で盛り上がり、「ドアーズらしい」との評を受けた「星の夜のボート」は仮歌の段階では「ドアーズ」というタイトルだったことが橘高さんによって明らかにされた。仮のタイトルが「ドアーズ」だったことを内田さんは覚えていなかったらしく、その眠った記憶があったからこのようなアレンジになったかもしれないと語られた。

また、オーケンが「筋肉少女帯でもこういうの作ってよ」と内田さんにリクエストして話が転がり、内田さんがテクノっぽく作ったデモをもとに、エディと長谷川さんがいつものようにガンガンバリバリドコドコピアノとドラムを入れまくって、結局いつもの筋少に戻ってしまうなんてどうだろう、といった笑い話も起こる。そこからさらに、内田さんが今回作ったテクノアレンジ版にメンバー各々が楽器を入れる話も出て、「じゃあ俺は内田のイワンのばかにギター入れるよ」「それじゃあ僕は、戦え!何を!?人生を!!に歌入れるよ」と橘高さんとオーケンが乗ってきて、アルバムをリリースするまでではないけど、そういったお遊びをファンクラブ的イベントでやるのも良いねという話になった。

そしてファンクラブ的イベントと言えば、ということでプレゼント大会! くじが入った箱にメンバーが手を突っ込み、読み上げられた番号が振られた半券を持つ人がプレゼントをもらえる、という素敵な企画である。まず筋肉少女帯関連の品物として、猫のテブクロ時代の靴下、ステッカー、物販Tシャツなどなど。その後にはメンバーの私物がプレゼント! 橘高さんからは歴代のピックに加えておまけでオーケンのピックが入ったセット、おいちゃんからは長年使った機材、オーケンからはポールスミスのカードケース、うっちーからは買ったときから壊れていたライトのようなもの。オーケンはプレゼントを用意し忘れていて、急遽普段使いのカードケースの中に入れていた診察券などを抜いてプレゼントとして出品してくれたそうだが、それこそいかにも「私物」であるのでファンにはたまらない品である。欲しかった。

そうして楽しくプレゼント大会は終わったが、プレゼントが当たらなかった人にもお土産にメンバーの写真をもらえるという嬉しい告知があり、わーもーありがたいなー嬉しいなーとニコニコしてしまったのであった。

それからしばらくトークが繰り広げられ、最後は歌と演奏で終了。「香菜、頭をよくしてあげよう」「少女の王国」から、「じーさんはいい塩梅」で締めくくり。ライブではいつもメンバーが楽器を置いてマイクを持って歌う「じーさんはいい塩梅」の生演奏はさりげなくレアである。終盤ではテンポアップするアレンジもあって、それがまた格好良かった。また別の機会にも聴きたいなぁ。

「ハイストレンジネス・チケットメンバーズ」はチケットの先行発売を名目にスタートした企画だが、今回のイベントで頻繁に出てきた「ファンクラブ」「ファンクラブ的なもの」という言葉から、もともと「ファンクラブ」というものが意識されていたことが窺い知れた。橘高さん曰く、ファンの希望やリクエストによって、今後システムも催しも企画も変化や発展があるかもしれないし、何もなければ企画そのものがなくなるかもしれないとのこと。まずはチケットの先行販売、そこから手探りで楽しいことを始めていこう、という前向きな姿勢にわくわくした。

いつか本当に「ファンクラブ的なもの」から「ファンクラブ」になったら良いな。そうなるように自分もファンとして関わっていきたい。帰路につきながらふわふわ思った。だってずっと筋少のファンクラブに入りたかったのだ。その願いが叶えられかけていて、叶えられそうで、嬉しい。



日記録0杯, 日常

2017年2月17日(金) 緑茶カウント:0杯

仲の良い友人から連絡があった。旅行をしていて、とある縁の地にいると。その縁のものを己がとても好いていることを覚えてくれていて、わざわざ電話をくれたのだ。「ウヲが大好きだったなって思ってさ。お土産買って送るよ! 何色が良い?」と友は言う。ありがたいなぁと思いつつ「ありがとう。それじゃあ青か紺を頼むよ」と返事してとりとめのないやりとり。そうして数日後、届いたのは青とも紺とも程遠いピンク色の品物だった。

それを見た瞬間はあまりの意外さに驚き疑問符ばかりが浮かんだが、はたと気付いて笑い、またずっこけそうになった。友人は「色が全然わからん!」と公言している色覚異常の持ち主なのだ。その彼が色のリクエストを聞き、全く違った色の品物を贈ってきたのである。しかも極めつけはこの品物、よく見ればラベルに「カラー:ピンク色」と明記されていやがるのだ。わからないのに聞くし、わからないのに確認しない自由さ! あぁ、もうこいつのこういうところ、最高に大好きだ! ピンクの品物を手に、腹を抱えて己は笑った。

学生時代、友人の視界の話を聞くのが好きだった。彼の目に見える世界では夏に葉っぱは赤く色づき、秋は緑に変化すると言う。水族館の水槽は電源を消したテレビのように真っ暗で、中の魚など見えやしない。修学旅行で学友が魚に興奮する中でいったい何が面白いのだろうかと思っていたが、何年も経った後に非常に高価な色覚補正眼鏡をかけてようやく水槽の中身が見えたとき、やっと学友の興奮がわかったと語っていた。そのときの彼の嬉しそうな表情と、描写される水槽の美しさ。中で泳ぐ魚の動線まで見える心地がした。

彼は色を認識しづらいためにたまに突拍子もない色合いの服を着ていて、ギョッとさせられることもしばしばだった。しかし上背があり、ハンサムなので不思議と似合うのだからすごい。周囲から「その上着、蛍光ピンクと蛍光オレンジが混ざったような色だぞ」とつっこまれて「まじでー」と朗らかに笑う。彼は面白おかしく自身の視界を語ってくれて、我々もそれを聞いては「なるほど」「へえ」「そうなんだなぁ」と楽しく感想を漏らしていた。そして彼の認識できる色とできない色をさまざま尋ね、彼の視界を想像したのである。

もう一人、別のタイプの色覚異常の友人がいる。彼とは小学校からの付き合いで、大学卒業後も頻繁に遊びに行く間柄だった。しかしあるとき話を聞いてびっくりした。彼の目に己は黒尽くめの装いとして映っていたのである。実際は紺や濃い緑などを好んで着ていたのだが黒として認識されていたらしく、「こいついつも真っ黒だな」と思われていたそうだ。十年以上全身真っ黒と思われていた衝撃に笑ったあの日。こんなことってあるんだなぁ、と思うとおかしかった。

同じように彼らも己の話に対して「はー」「なるほど」「へえ」「そうなんだなぁ」「まじかー」と思っているかもしれない、と考えるのも楽しい。そしてまた、ピンクの品物を見るたびに己はそれを思うのだろう。あぁこのピンク、どこで使えば良いのやら。可愛らしいなぁ、と一人笑い仕舞いこむ。思い出したらまた眺めてみよう。きっと楽しい気分になるから。



日記録0杯, 日常

2017年2月14日(火) 緑茶カウント:0杯

青空の下、空を仰いで眠る人がいた。

風がなく、普段よりも気温の高い冬の昼。ある一つのビルの敷地内で見かける老人は、防寒着に体を包み、両手に杖をついて一歩一歩ゆっくり歩いていた。傍らには車椅子。怪我をしたのか、病気をしたのか、由縁はわからない。風の吹く日も雪の降りそうな日も慎重に歩を進める老人を視界に捉える日々。彼はいつも歩いていた。

その彼が車椅子に背を預け、日だまりの中で眠っていた。ポカポカとあたたかい日だった。ビジネス街のただ中で天を仰いで眠る姿は現実味がなく、穏やかに見えた。

ある日の夜、真っ暗闇を歩いていると街頭の下、道の端の段差に腰掛ける人がいた。背を丸め片足を投げ出す様子から編み上げ靴の紐を結んでいるのだろうと思った。その足首は掴めるほどで、日が出てもいないのに鈍色に光って見えた。義足の調子を整えていたらしい。彼はさくさくと手を動かしていて、一分後には裾を下ろして立ち上がりそうな気楽さが漂っていた。それこそ、切れた靴紐を取り替えるような。

何もない冬の日に見た平らかな景色である。その空気の色を、あぁ、好きだな、と思った。心地良い色だった。



日記録0杯, 日常

2017年2月6日(月) 緑茶カウント:0杯

お酒を呑んでいる。ビールを二本に、多分これから赤ワインを一本。そうしてゆらゆらと脳を揺らしながら、まったりと誕生日を祝っている。

今日はオーケンこと大槻ケンヂの五十一歳の誕生日。おおよそ二十歳年上の、憧れであり、血肉であり、己の骨となってくれた人の誕生日。きっと自分はオーケンを知らなくても生きていくことは出来ただろう。その道もまた良いものだったかもしれない。しかし今この道を生きる自分にとって、オーケンという存在を知ることが出来たのは幸福に他ならず、あぁ、出会えて良かった、としみじみするのである。

あなたのおかげでたくさんのものを得られました。心の持ちようも覚えました。それはきっと、もしかしたらあなた以外の別の人から別の方法で学ぶこともあったかもしれない。だけれども、この道で良かったと思える今が幸せなのです。

ハッピーバースデーオーケン。来年も再来年も、どうかいつまでも健康に。



日記録0杯, 日常

2017年1月30日(月) 緑茶カウント:0杯

それはもう、寂しい気持ちになったのさ。

呑み会でゲイバーが話題に上り、誰がどういう人にもてそうだといった話を経て、LGBTの権利云々の話になった。会話には性的なからかいも混在していたので冒頭より自分は黙って酒を呑んでいたのだが、すると否定派は己を仲間と見なしたらしい。「ウヲさんは俺らと同じでフラットですもんね」と笑って肩を寄せたのであった。

おお! 君達にとってのフラットとはそのような意味なのかいと驚いていると、否定派の一人が「マイノリティが権利を主張するとイラッとする」と悪気なく語ったのであった。実に興味深い。彼はキリスト教徒で、映画「沈黙」をとても良い作品だと人に勧めていたのだが、彼は役人側の視点で映画を観ていたのだろうか。君が観た映画で棄教を迫られたのはマジョリティだったかい? 結果主人公は踏み絵をどうしたかな?

彼の発言に同調した女性は今、男性と同じようにバリバリ働いている。彼女が働ける今があるのは、かつてマイノリティであった「男性と同じように働こうとする女性」が声を挙げ、努力してきた結果のはずなのだが、その恩恵に思い至らないようだ。彼ら彼女らがマイノリティであること、あったことを意識せず安寧に生きていられるのは、君達が「イラッとする」人々のおかげだったんじゃないのかい。

なかなか苦い酒であった。寂しい気持ちが心を満たした。それはもう、彼ら彼女らが決して悪人ではないだけに。あぁ、知らないでいたいものだった。