日記録0杯, 日常

2017年7月17日(月) 緑茶カウント:0杯

ちょうど腹に何も入れていなかったので、ここは一つコカコーラのLサイズに、ポップコーンに、パサパサのホットドッグを買って存分に楽しんでやろう、とうきうきしながら売店に並び、座席に腰掛けて齧ったホットドッグは思いのほかモチモチしていて美味しく、あれまと嬉しい拍子抜けをした十六時前。代わる代わる流れる予告編を眺めながら待っていたのは、己が高校生の頃に連載が始まり、今も続いている週刊少年ジャンプの作品である。

銀魂の実写映画。漫画の実写化というとなかなか、こう、あのあれで、今日銀魂を観る前に流れたジョジョ四部の予告編を見ただけでジョジョファン、それも第四部大好き野郎の己のダイヤモンドは砕けてしまい、ぐううと心の中で呻いたのであるが、何となく銀魂なら大丈夫だろうと思って観に行ったら大丈夫どころか完璧のパーフェクトで実に素晴らしく、とても面白かった。映画作品として面白いか否かは己にはわからない。漫画やアニメを観ていない人が楽しめるかどうかもわからない。と言うのも、この映画は銀魂の面白さをいかに実写で表現するかを追求した作品であるように思う。思いっきり銀魂を知っている人向けに振り切っていて、あとは知らんわかんねー奴は原作読んどけと突っ走っている印象を受ける。故に不親切ではあるのだが、どっちつかずな中途半端な作品になっていないのだ。

登場人物の誰も違和感がなく、新八なんてあなたをモデルに漫画の新八は生まれたの? と問いかけたくなるほど実に新八だった。登場人物の見た目だけでなく、話し方もアニメとの違和感が生じないよう気を配られていたように感じる。役者と声優は別の人間であるにも関わらず驚くほど違和感がなく、スッと頭に入ってくるのが見事だった。特に神楽はすごい。神楽独特のイントネーションがそのまま再現されていた。

個人的にびっくりしたのが木島また子だ。彼女の容姿と喋り口調は漫画の中でも若干浮いている印象を受けていて、実写映画のポスターでも「何故この娘だけへそを出しているのだ」と違和感があったのだが、映画の中では実に良く馴染んでいるのである。中でも「~ッス」という彼女の癖。漫画では時にしつこさを感じることすらあったのに実写ではごく自然に耳に入ったのは何故だろう。音を強調しすぎないようにしていたのだろうか。

武市変平太と新八のやりとりも実に良かった。何とも言えない気持ち悪さが表現されていて拍手を送りたくなる。あと何と言っても村田鉄矢の迫力! あの喋りを見て思ったが、己は登場人物が大声を出して絶叫しているだけで楽しくなってしまう人間なのかもしれない。何て単純な人間なんだ。

ギャグあり、戦闘シーンあり、銀魂独特のセリフありで銀魂が好きな人ならば大抵はにやにやできる映画ではなかろうか。あと、役者がこれでもかと言うほど顔をゆがめて口汚く絶叫する振り切りっぷりの見事さも必見である。実に銀魂。銀魂以外の何ものでもない、銀魂好きにとってはありがたいとても楽しい映画だった。



日記録0杯, 日常

2017年7月16日(日) 緑茶カウント:0杯

目が覚めたら深夜二時だった。部屋は白々と明るく、己はベッドに横たわっていた。ふらふらと立ち上がり洗濯機の中を覗けば、生温かい湿った衣類が団子になって放置されていた。空の物干しが部屋の隅に引っ掛けられていて、寝る前に乾ききった洗濯物を畳んで次の洗濯物を干す準備をしていたことを思い出す。洗濯機を回している間に己は眠ってしまっていたらしい。

恐らく寝たのは二十一時頃。つまり五時間寝ていたことになる。昼からビールを呑んでだらだら過ごし、焼きナス、モッツァレラチーズとトマトのサラダ、野菜スティックを食べ、クーラーのきいた部屋で漫画を読むだらりとした極楽のような一日。しかしやるべきことはやっていたようで、流しを見れば使った食器は綺麗に洗って片付けられていて、その落差がどうにもおかしい。

それからまた一眠りし、昼頃に起きてつけ麺を食べてから二時間ゆらゆら散歩した。行ったことのないまっすぐな道をひたすら歩き、曲がり角に出会えば道なりに歩き、自販機で麦茶を買って水分を補給し、汗をかきながらひたすら歩く。まっすぐな道で楽しい。そしてただただ歩き続けたところで大きめの酒屋を発見し、入ってみたらビールコーナーが充実していて、まだ呑んだことのない銘柄をいくつか籠に入れ、太ももに冷たさを感じながらガチャガチャガチャガチャ音をさせつつひたすら歩き、すっかり生ぬるくなったビールを冷蔵庫に入れて、大汗をかきながら台所に立って一週間分の飯を作ったのさ。

その後はどうしたかって? もちろんもう一度、乾杯。



日記録0杯, 日常

2017年7月15日(土) 緑茶カウント:0杯

「プレミアムモルツ」「銀河高原ビール」「よなよなエール」「水曜日のネコ」「グランドキリンJPL」「東京に乾杯」「COEDO-瑠璃-」「オリオンビール」「華みやび」「東京クラフト」を買って、一人ビール祭りを楽しもうとしたのさ。

その夜に友人と長電話をし、結局翌日の朝に祭りの開催を決行したのである。友人はSNSで元気がなく、どうしたのかと尋ねたら家族二人の暮らしが家族三人の暮らしに変化し、ただでさえ家族二人の生活に無理を感じていた性格上、その後の暮らしに不安を抱いていたようで、その話を聞きつつ馬鹿話に興じたのであった。

子供が生まれた友人複数人から聞くには、生まれてすぐは父親の自覚が持てないとのことで、故に罪悪感を抱いているらしい。つまり、父親になったばかりで、母親が里帰りをして子育てをしている最中、まだ父親らしさを気付く時間もないままに父親らしさを求められ、とはいえ実感の抱きようもなく苦悩するらしい。なるほどそれは大変だなぁと思いつつ、部外者の己は話を聞いた。

ちょうどそのとき風呂に入る直前であったため、四十分間衣服を身に付けずに会話に興じていたと思うと滑稽である。そして電話を終え、風呂から上がり、部屋着を身にまといビールをニ缶呑んで歯を磨いて就寝し、昼から楽しいビール祭りをゆるゆると開催する土曜日。おかずとつまみを腹に入れ、日が沈み、爽やかな風が流れる土曜の昼から夜へと至る。ただただ平穏を感じるのであった。



日記録0杯, 日常, 漫画

2017年7月13日(木) 緑茶カウント:0杯

四十年ぶりに描かれた「ポーの一族」を傍らに置き、めくるページは角が丸くなった文庫本。四十年前に発表され、何度も読み返したそれをパラパラとめくりながら、時にじっくりと物語に耽り、思い出を反芻して世界に浸る。「わたしのことなぞ忘れたろうね」「覚えているよ 魔法使い」のやりとりは何度見てもこみ上げるものがある。

まさか新作が出ようとは夢にも思わなかった作品の新たなページに、物語。しかし買ったもののページを開かず、つい書棚に手を伸ばしてしまったのは、読みたい気持ちと半々に混ざるものの由縁だろうか。「ポーの一族」を教えてくれた人は新作の発表を知らずにこの世を去った。読むことで生まれる死者との相違が怖いのか、寂しいのか。死者の時間が進まないことを認識させられるのが悲しいのか。それとも、四十年を越えて動き出す物語の行く末が不安なのか。

時が止まった少年達の物語。描く筆致には四十年の歳月が滲み、表紙には流れる時と流れない時が同じように横たわっている。

もう少し経てば開けるだろう。それまではしばらく、このままで。



日記録0杯, 日常

2017年7月8日(土) 緑茶カウント:0杯

部屋の真ん中で仰向けになり、堂々と死ぬゴキブリの遺骸。それはむしろ、知らない誰かがこっそり部屋に入って、ポトリとイタズラを仕掛けたと考えた方がよっぽど自然な光景で、故に翌日も翌々日も、帰宅するなり恐々と、遺骸の所在を確かめた。

ポトリと一つ、ある遺骸。

翌日も翌々日もその次の日も四日目も、同じ場所に同じように、ゴキブリが仰向けになって死んでいる。最早誰かによる作為を信じずにはいられぬ状況がそこにあり、つまりそれは一人暮らしの我が家に、誰かが悪意を持って無断で入り込んでいる気色の悪い事実がそこに、と恐ろしい想像をしながら家路を辿り、今現在は他者の気配は何もなく、ゴキブリの遺骸も以来見かけることもなく、平和な日々を過ごしていて、電灯を点けるたびにほっと一息ついている。

パーソナルスペースは多少広い自覚があるが、部屋に誰か見知らぬ人が入るのは誰だって嫌だろう。特に来客など滅多にない我が家では、年に一度か二年に一度ある、業者の点検すら、本心を言えばご遠慮願いたい。そもそも四人家族で暮らしていて、自分以外の足跡も色濃い実家ではたまの来客も違和感がなかったが、今の家は本当に自分一人しかいないため、他者の存在に大きな違和感と抵抗感を抱くのである。

それはきっと、自分の色合いが強すぎるせいかもしれない。一人暮らしであれば、床に落ちる髪もゴミも全て根源は明確で、部屋にある本やポスター、干された衣服の持ち主も明確で、他者の想像をする余地がない。対して家族で住んでいると、落ちている髪もゴミも誰のものかと断定できず、本もポスターも家族の誰かの趣味としか思われない。自分が若干曖昧になるのである。ところが一人暮らしの場合、トイレが汚れていれば百パーセント掃除を怠った人間を特定できて、あらゆる趣味も全て個人のものと断定される。それこそが抵抗感の根源に違いないと思う。

そしてまた、ゴキブリが出る原因も己のせいだと責められているような気分になり、いやいやだいたいここは古い木造建築の一室だし、と思うも掃除が苦手で収集癖のある自分、自覚するところもないではなく、またまたホウ酸団子の新調を検討するのであった。