部屋の色

2017年7月8日(土) 緑茶カウント:0杯

部屋の真ん中で仰向けになり、堂々と死ぬゴキブリの遺骸。それはむしろ、知らない誰かがこっそり部屋に入って、ポトリとイタズラを仕掛けたと考えた方がよっぽど自然な光景で、故に翌日も翌々日も、帰宅するなり恐々と、遺骸の所在を確かめた。

ポトリと一つ、ある遺骸。

翌日も翌々日もその次の日も四日目も、同じ場所に同じように、ゴキブリが仰向けになって死んでいる。最早誰かによる作為を信じずにはいられぬ状況がそこにあり、つまりそれは一人暮らしの我が家に、誰かが悪意を持って無断で入り込んでいる気色の悪い事実がそこに、と恐ろしい想像をしながら家路を辿り、今現在は他者の気配は何もなく、ゴキブリの遺骸も以来見かけることもなく、平和な日々を過ごしていて、電灯を点けるたびにほっと一息ついている。

パーソナルスペースは多少広い自覚があるが、部屋に誰か見知らぬ人が入るのは誰だって嫌だろう。特に来客など滅多にない我が家では、年に一度か二年に一度ある、業者の点検すら、本心を言えばご遠慮願いたい。そもそも四人家族で暮らしていて、自分以外の足跡も色濃い実家ではたまの来客も違和感がなかったが、今の家は本当に自分一人しかいないため、他者の存在に大きな違和感と抵抗感を抱くのである。

それはきっと、自分の色合いが強すぎるせいかもしれない。一人暮らしであれば、床に落ちる髪もゴミも全て根源は明確で、部屋にある本やポスター、干された衣服の持ち主も明確で、他者の想像をする余地がない。対して家族で住んでいると、落ちている髪もゴミも誰のものかと断定できず、本もポスターも家族の誰かの趣味としか思われない。自分が若干曖昧になるのである。ところが一人暮らしの場合、トイレが汚れていれば百パーセント掃除を怠った人間を特定できて、あらゆる趣味も全て個人のものと断定される。それこそが抵抗感の根源に違いないと思う。

そしてまた、ゴキブリが出る原因も己のせいだと責められているような気分になり、いやいやだいたいここは古い木造建築の一室だし、と思うも掃除が苦手で収集癖のある自分、自覚するところもないではなく、またまたホウ酸団子の新調を検討するのであった。



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