日記録4杯, 日常

2017年7月31日(月) 緑茶カウント:4杯

たまに、何でこの人はこんなに好いてくれているのだろうと不思議に思うことがある。例えばそれは毎年毎年、欠かさず誕生日プレゼントを贈ってくれる人、好きだよという言葉を目一杯伝えてくれる人に対して。そうして自分は、その人達に対していったい何ができているのだろうと思う。

それは自信の無さの表れかもしれない。その自覚はある。自分自身を過小評価するゆえに、自分ができることは誰しもできる些細なつまらないことと考え人を傷つける、そんな失敗もしたことがある。褒められても素直に受け取れず、自己卑下ばかりするのでせっかく褒めてくれた人をがっかりさせたり、面倒くさがらせてしまったこともある。今はそれを知ったため、褒められたことは素直に受け取って礼を言い、過剰に自己卑下しないように努めている。自信過剰になる必要はないが、自分自身しか持ち得ないもの、秀でているものもきっとあるのだ。

それでもたまに、その降りそそがられる愛は己にとって適切なものだろうか、と思うことがある。愛を全身に浴び、ありがたく思いつつ、何故この人はこんなにまでしてくれるのだろうと不思議に思う。そのぼんやりした表情をその人はどんな面持ちで眺めているだろう。

願うのは失望させたくないということ。報いたいということ。対等でありたいということ。しかしなかなか、まだ気持ちが追いつかない。



日記録2杯, 日常

2017年7月30日(日) 緑茶カウント:2杯

スポーツを観戦しながら熱心に応援している人は今までに何度も見たことがあるが、口汚く罵倒し続ける人の姿を見たのは初めてで、己は面食らったのだった。

例え自分のことではなかろうとも、罵声というものは聞いていると嫌な気分がするものだ。商店街の外れにある小さな電器店の前、道路に面して設置せられた大きなテレビの前でその男性は声を荒げていた。己はその向かいの店に用があって曇り空の下ポテポテ歩いていたところで、「ざまあみろ!!」「下手くそが!!」「死ね!!」と叫ぶ声を聞き、何か事件か何があったかとびっくりして声の主の方に目をやって、ただ野球観戦をしていただけ、ということを知ったのであった。

その声は電器店の向かいの店に入ってからもしばらく聞こえていて、それを聞きながら買い物をしつつ抱いていたのはじんわりとした違和感と嫌悪感。この人を見たのは初めてだが、よく来るのだろうか、店の人も困るだろうなぁと思いつつ気付いたのは、罵声を放つ男性の視点である。大概スポーツ観戦をするときは贔屓のチームに感情移入をして、彼らに対して声をかけるだろう。ところがその人は終始相手方のチームに対して声を挙げ、ひたすら罵倒し続けている。攻守交代も関係なく、視線の先はひたすら相手方のチームで、ただただ彼らのミスをあげつらい、罵倒し、呪っているのであった。

プツリと声が途絶えたのは店主がチャンネルを操作したからかもしれない。あの人は何がきっかけであのように試合を観るようになったのだろう。買い物袋を提げて外に出ればそこはいつもの商店街の風景で、電器店の前には誰もおらず、テレビは真っ黒にうつむいていた。



日記録0杯, 日常

2017年7月27日(木) 緑茶カウント:0杯

このところずっとゼロを記録している緑茶カウントを気にしている人もいるかもしれない。あんなにカウントが回転していた緑茶カウントがずっとゼロとはいかなることか。ついに緑茶に飽きたのか、と問う人もいれば、そもそも緑茶カウントとは何ぞやと思う人もいるだろう。

緑茶カウント。文字通り緑茶をカウントすることである。もっと丁寧に言うならば、朝起きてからこの日記を書き終わるまでの間に飲んだ緑茶の量を記録するものである。それと言うのも己は生粋の緑茶好きで、実家にいた頃なんぞ、己の他は誰も緑茶を飲まないのに一人で急須を傾けて出涸らしになっても飲み続けて、一人暮らしを始めてからはこれ幸いとばかりに急須を傾け続ける、そんな習性を持つのである。そしてある日、いったい己は一日に何杯の緑茶を飲んでいるのだろうと興味を持って日記に記録するようになった。それが緑茶カウントである。

ルールとして、ペットボトルの緑茶はカウントされない。茶葉から煮出したものか水出しの緑茶のみがカウント対象である。また、家で作ったものであっても麦茶やほうじ茶はカウントに含まれない。したがって仮に外でペットボトルの緑茶を二本飲み、家で麦茶を五杯飲んだ場合はゼロカウントである。そういったルールで緑茶カウントは運用されている。

そんな楽しい緑茶カウントのカウントがゼロのままなのは何故か。答えは簡単である。昼に麦茶を飲んで、夜に酒を呑んでいるからだ。あぁ、麦茶はともかく酒! 疲れたなぁ一杯飲みたいなぁしかし平日に呑む習慣はつけたくないな、よしオールフリーを呑んでみよ、はは、結構良いじゃんなかなか満足できるじゃん、つって毎日オールフリーを呑んでいたら、一本くらい良いんじゃない? ってオールフリーとビールを買うようになって、気付いたらビールばかり籠に入れるようになって、結果的にオールフリーによって飲酒習慣がつくというどうにもならないことになって、故に水分には事足りているのである。

このように書いている手元にもビール。暑い季節に美味しいビール。いやしかし。緑茶カウント、明日には復活させましょうぞ。



日記録0杯, 日常,

2017年7月21日(金) 緑茶カウント:0杯

歳をとって気付いたことは、子供の頃の自分は結構良いものを食べさせてもらっていたのではなかろうか、ということだった。

もしや。いや、きっとそうなのだろうと目の前の網で焦げる肉の切れ端を見て思う。紙のような肉の切れ端を。

焼肉食べようぜ、と適当に入った店で注文した食べ放題。端末を操り注文し、目の前に並べられた皿には今まで焼肉店で見たことがない形状の肉が乗っていた。薄い。ペラい。しかし肉である。網に乗せる。すぐにチリチリになる。焦げる。急いで食べる。焦げる。

それは己の知るカルビではなかった。しかし確かにカルビであった。メニュー表を見る限り。

また後日。年嵩の人に焼肉をご馳走してもらう機会があった。連れられた店でその人がほいほいとメニュー表を見ながら注文し、出てきた肉。一緒に連れられた人がわあわあと喜び、目の前の人は「今まで食べたことがないだろう」と優しく微笑む。その肉はとても美味しかった。同時にそれは見知った肉でもあった。

成人し、自分の懐と相談しながら物を買って物を食べ、そんな日々の日常の中でふと気付く。ないがしろにされた自覚なんてものはそもそも全くないが、それにしても自分は結構、大事に育てられていたらしい。

子供の頃の己が平静に食べていたそれらをいつか自力で平静に得られるだろうか。いつか掴みたい、と願いたい。



日記録0杯, 日常

2017年7月17日(月) 緑茶カウント:0杯

ちょうど腹に何も入れていなかったので、ここは一つコカコーラのLサイズに、ポップコーンに、パサパサのホットドッグを買って存分に楽しんでやろう、とうきうきしながら売店に並び、座席に腰掛けて齧ったホットドッグは思いのほかモチモチしていて美味しく、あれまと嬉しい拍子抜けをした十六時前。代わる代わる流れる予告編を眺めながら待っていたのは、己が高校生の頃に連載が始まり、今も続いている週刊少年ジャンプの作品である。

銀魂の実写映画。漫画の実写化というとなかなか、こう、あのあれで、今日銀魂を観る前に流れたジョジョ四部の予告編を見ただけでジョジョファン、それも第四部大好き野郎の己のダイヤモンドは砕けてしまい、ぐううと心の中で呻いたのであるが、何となく銀魂なら大丈夫だろうと思って観に行ったら大丈夫どころか完璧のパーフェクトで実に素晴らしく、とても面白かった。映画作品として面白いか否かは己にはわからない。漫画やアニメを観ていない人が楽しめるかどうかもわからない。と言うのも、この映画は銀魂の面白さをいかに実写で表現するかを追求した作品であるように思う。思いっきり銀魂を知っている人向けに振り切っていて、あとは知らんわかんねー奴は原作読んどけと突っ走っている印象を受ける。故に不親切ではあるのだが、どっちつかずな中途半端な作品になっていないのだ。

登場人物の誰も違和感がなく、新八なんてあなたをモデルに漫画の新八は生まれたの? と問いかけたくなるほど実に新八だった。登場人物の見た目だけでなく、話し方もアニメとの違和感が生じないよう気を配られていたように感じる。役者と声優は別の人間であるにも関わらず驚くほど違和感がなく、スッと頭に入ってくるのが見事だった。特に神楽はすごい。神楽独特のイントネーションがそのまま再現されていた。

個人的にびっくりしたのが木島また子だ。彼女の容姿と喋り口調は漫画の中でも若干浮いている印象を受けていて、実写映画のポスターでも「何故この娘だけへそを出しているのだ」と違和感があったのだが、映画の中では実に良く馴染んでいるのである。中でも「~ッス」という彼女の癖。漫画では時にしつこさを感じることすらあったのに実写ではごく自然に耳に入ったのは何故だろう。音を強調しすぎないようにしていたのだろうか。

武市変平太と新八のやりとりも実に良かった。何とも言えない気持ち悪さが表現されていて拍手を送りたくなる。あと何と言っても村田鉄矢の迫力! あの喋りを見て思ったが、己は登場人物が大声を出して絶叫しているだけで楽しくなってしまう人間なのかもしれない。何て単純な人間なんだ。

ギャグあり、戦闘シーンあり、銀魂独特のセリフありで銀魂が好きな人ならば大抵はにやにやできる映画ではなかろうか。あと、役者がこれでもかと言うほど顔をゆがめて口汚く絶叫する振り切りっぷりの見事さも必見である。実に銀魂。銀魂以外の何ものでもない、銀魂好きにとってはありがたいとても楽しい映画だった。