紙と肉
2017年7月21日(金) 緑茶カウント:0杯
歳をとって気付いたことは、子供の頃の自分は結構良いものを食べさせてもらっていたのではなかろうか、ということだった。
もしや。いや、きっとそうなのだろうと目の前の網で焦げる肉の切れ端を見て思う。紙のような肉の切れ端を。
焼肉食べようぜ、と適当に入った店で注文した食べ放題。端末を操り注文し、目の前に並べられた皿には今まで焼肉店で見たことがない形状の肉が乗っていた。薄い。ペラい。しかし肉である。網に乗せる。すぐにチリチリになる。焦げる。急いで食べる。焦げる。
それは己の知るカルビではなかった。しかし確かにカルビであった。メニュー表を見る限り。
また後日。年嵩の人に焼肉をご馳走してもらう機会があった。連れられた店でその人がほいほいとメニュー表を見ながら注文し、出てきた肉。一緒に連れられた人がわあわあと喜び、目の前の人は「今まで食べたことがないだろう」と優しく微笑む。その肉はとても美味しかった。同時にそれは見知った肉でもあった。
成人し、自分の懐と相談しながら物を買って物を食べ、そんな日々の日常の中でふと気付く。ないがしろにされた自覚なんてものはそもそも全くないが、それにしても自分は結構、大事に育てられていたらしい。
子供の頃の己が平静に食べていたそれらをいつか自力で平静に得られるだろうか。いつか掴みたい、と願いたい。