未分類0杯, 筋肉少女帯, 非日常

思いがけずもこの日は普段の五倍はストレスがかかる日で、「すらすら漢字が書けるなんてすごいですね。パソコン使えないんですか?」という脳が腐ったような問いかけを連発され精神が疲弊していたのだが、ライブ後、蓄積された疲労とストレスは全て霧散し、ただただ楽しかった多幸感を胸に抱きしめ、終演後会場にかけられた「気もそぞろ」を聴きながらふわふわと歩いたのだった。

開演前に物販に並び、欲しかったグッズを手に入れてドリンクカウンターに行き、ホットドッグとビールを両手に持っていそいそとベンチに腰を下ろした。ホットドッグは生地がもちもちしていて思いのほか美味しく、ビールがシュワシュワと咽喉をくすぐり徐々に疲労を溶かしていく。鞄の中には買ったばかりのディオネア模様のTシャツとタオルに、缶バッヂ、そしてオーケン弾き語りCDにオーケン物販のディオネアシャツ。今日は嫌なことがあったがこうして会場に来ることができたし物販も買えたしビールも美味い。よっしゃ。気を取り直してライブを楽しもう!

しかし、気を取り直そうと努力をする必要もなく、最高に楽しいエンターテイメントによって己の笑顔は満開になったのであった。

発売日から毎日毎日、飽くことなく聴き続けた新譜の発売記念ライブ。どのアルバムも大好きだが、とりわけこの「Future!」は自分にとって特別なものに感じていた。それは偏に「告白」の存在が大きいだろう。自分は決して「告白」で描かれる人物そのものではないが、何とも言えない居心地の悪さ、努力して擬態した結果完璧に仲間と勘違いされる自業自得のしんどさに苛まれることが少なくない。この歌は決して救いを提供するものではないが、「あ、オーケンの視界にはいるんだ、こういう人が」と感じさせられることこそが救いそのものなのである。

EXシアター六本木のやわらかな椅子に腰を沈め、開演のときを待つ。そして照明が落とされたかと思うと会場に響き渡るのは歓声と「週替わりの奇跡の神話」! 喜び勇んで席を立てばステージにメンバーが現れ、始まったのはアルバム一曲目の「オーケントレイン」!

ライブで初めて聴いていることが嘘のように自然と合いの手の拳が入るのは、何度も何度も聴き続けたからだ。「ガッタン!」「ゴットン!」「シュポシュポ~」って、なんて可愛らしい合いの手なんだろう! 最後の語りもがっつり語ってくれて嬉しかった。

二曲目の「ディオネア・フューチャー」では何と! マイクを片手に黒尽くめのエディが上手から現れ「無意識! 電波! メッセージ!! 脳! Wi-Fi!!」と低いシャウトを響かせながらステージを横断するサプライズ!! あまりの格好良さに思わず悲鳴が出てしまった。エディに心臓を撃ち抜かれた……。

人から箱男まではアルバム順で、ここから急に「ハニートラップの恋」へ! そして次が意外な一曲「新興宗教オレ教」! 腕を前に出し、両肘を触るあの「UFO」のポーズをとるオーケン。この曲、もしかしたらライブで聴くのは初めてかもしれないなぁ……と思っていたらすごいことが起こった。

オーディエンスに対し、この曲を覚えているかい? と問いかけ一緒に歌うことを促すオーケンだが、思いっきりズレたのである。「あれ? 今日はこういうアレンジ……なのかな?」と疑問に思うもやはり何かがおかしい。しかし流石の筋肉少女帯。ズレたまま完走しきったのである! これ、楽器隊は焦っただろうなぁ……。

「これでいいのだ」でタオルを振り回し、「わけあり物件」「エニグマ」へ! 妖しさと格好良さが共存する素晴らしいステージで、楽器隊に見入りつつ、ドラム台の上でシャウトを続けるオーケンにゾワゾワし、本当にもう、目が足りない! 生の迫力にただただ圧倒された。

「告白」「奇術師」「サイコキラーズ・ラブ」は着席して聴いた。「告白」で無限に繰り返される「テレテレテレテレ」は録音で、さもありなんと思いつつこれも生でやってほしかったなーと思った。

「奇術師」はじっくりと橘高さんのギターが堪能できて幸せだった。以前「家なき子と打点王」をライブでやるときに、冒頭で橘高さんのギターソロがあってあれが最高に好きで、またやってくれないかなぁ、と願っていただけに嬉しい。ミラーボールがくるくる回り、鱗のような白い光が会場をくるくる泳ぎ、その中でしっとりともの悲しい、胸を締め付けられる音色が響きわたる。ほう、と自然ため息が出た。

ついにバンドバージョンで聴けた「サイコキラーズ・ラブ」。聴きながらこれはサイコキラーに向けた曲ではなく、サイコキラーではないけれど、居心地の悪さを感じている人々のための曲なのだろうなぁ、と思った。

「イワンのばか」で立ち上がって大いに盛り上がり、久しぶりの「心の折れたエンジェル」! 「釈迦」でシャララシャカシャカ大暴れし、本編最後は「T2」! 「異議なし!!」と思いっきり拳を振りぬく気持ちよさよ。濁流を泳ぎきったような清清しさがあった。

アンコール一曲目は「3歳の花嫁」で、やはり涙腺が刺激された。「いくら3歳とはいえ人生における大事なイベントを父親とってどうなんだ、大丈夫か」と父親と娘に対し不安になる物語で、最後まで聴いたところで父親の印象が好転することも特にないのに、「空に向かって手を振るちっちゃな手の愛らしさ」で感動させられてしまうこの曲はすごい。

「人間嫌いの歌」が始まったときはニヤッとした。「告白」をやったその日にこの歌をうたう、そんなオーケンが大好きだ。

最後は「サンフランシスコ」で思いっきり飛び上がって締め。座席ありのライブだと前後左右に空間があるので思いっきり飛べて嬉しい。

MCではオーケンが仮面ライダーに出演する話と、ラジオで一番受けるのはパンの話、ということで繰り広げられるパントークにおいちゃんが「物パン」とうまいことを言ってオーケンを驚かせる、などなど盛りだくさんで、毎度のことながら大いに笑い、叫んで、飛んで、そりゃあもうストレスなんかどこかに吹っ飛んでしまうよなぁ。

開演前にドリンクチケットを引き換えたがどうしても余韻に浸りたくてビールを一杯買い、ふわふわしながら呑んだ。咽喉の奥で炭酸がシュワシュワ弾けた。美味しかった。何もかもが心地良かった。


オーケントレイン
ディオネア・フューチャー

人から箱男
ハニートラップの恋
新興宗教オレ教

これでいいのだ
わけあり物件
エニグマ

告白
奇術師
サイコキラーズ・ラブ

イワンのばか
心の折れたエンジェル
釈迦
T2

~アンコール~
3歳の花嫁
人間嫌いの歌
サンフランシスコ


未分類0杯, のほほん学校, 筋肉少女帯, 非日常

最高に楽しかった。最初から最後までゲラッゲラ笑った。

台風の吹き荒れる中どうしたものかと思ったが、幸運にも己が外に出たときは雨風が弱まり、普段の雨の日と同じ調子で外に出ることができた。長靴を履いて水溜りも気にせずカポカポ歩く。電車も遅れることなく通常どおり運行し、何一つ不自由することなく目的地に着いた。

今回の会場「座・高円寺2」。一度来たことがあったおかげで、さらっと地図を見るだけで辿り着くことができた。己の席は真ん中寄りのそれなりに前の方で、うわあこんなに広々観られるなんて! と喜びを抱きつつやわらかな椅子に腰を下ろす。十二分に近い。嬉しい。

開演まで、まずは今回のゲストの氣志團・綾小路翔にまつわる映像が流され、次にオーケンが参加しているROOTS66が手がけるエンディング「おそ松さん」の映像、そして新譜「Future!」のMV「エニグマ」が大きなスクリーンに映された。「おそ松さん」は音が先に流れ、映像がスクリーンに出るのが遅れたため、肝腎のオーケンの声が目立つ部分ではスクリーンが白紙だった。このゆるい感じがのほほん学校らしい。

会場が暗くなり、まずオーケン一人が登場。先日のタワレコでのインストアイベントと同じように、「香菜、頭をよくしてあげよう」を弾き語ってくれた。筋少の大ファンで音楽なしでは生きられない人間でありつつ、音楽の技巧については全く詳しくない人間なのだが、それでもオーケンのギターはたまに聴くと上達しているなぁ、すごいなぁ、と感じさせられる。愛あってのものだろう。

そして筋少メンバーが呼び込まれ、楽しいトークタイムに。皆、筋少のライブとは違うゆるっとした格好で、普段着とライブの中間をイメージさせる出で立ちだ。まずは高円寺フェスということで各々の高円寺の思い出や印象が語られる。大阪出身の橘高さんにとって高円寺は「日本らしさ」の象徴に近いイメージがあるらしく、怖い印象もあったそうだ。曰く、都会であれば渋谷もどこも大差ないが、高円寺にはその色が出ていると。故に中央線より南側にしか住んだことがないらしい。そこにオーケン、「そうだよ高円寺は怖いんだよ!」と色々なエピソードを披露してくれた。

ツイートできない危ない話を交えつつ爆笑トークは続く。昔々、インベーダーゲームの大きな筐体を購入したオーケンのために、おいちゃん達がその筐体を自転車に乗せて、えっちらおっちらオーケンの家に運んだことがあったそうだ。また、有頂天の芝居の練習をどこどこでしていたとおいちゃんが高円寺の思い出を語り、空手バカボンでは単純なコントをケラさんを差し置いてオーケンが書いていたが、ある日ケラさんが書いてきた台本があまりにもシュールだった話などが長々と語られ、こんなにケラさんの話ばっかりしてケラさん大好きかよ! と笑いが起こった。

今回せっかく筋少メンバーが揃ったので、とアコースティックで演奏されたのは「3歳の花嫁」と「サイコキラーズ・ラブ」。ケラさんの話題が出たのは「3歳の花嫁」の後だったかな? オーケンがこれを映画にしたいと語りだし、キャストは誰が良いかとメンバーに問う。困惑するメンバー。その中で演出はケラさんかな? と名前が上り、ケラさんだとシュールになっちゃうからなぁ、という話から有頂天や空バカの思い出になったのだ。

ちなみに「3歳の花嫁」での神父のセリフは今回内田さんが担当。橘高さんがちらっと内田さんを見て、セリフへと促している姿が印象的だった。この曲は本当に美しく、今日この場で聴けないかな聴きたいな、と期待していただけに嬉しい。

「サイコキラーズ・ラブ」は新譜発売前から披露されていただけに歌い慣れた印象があった。コーラスが重なっていく気持ちよさと、内田さんにより導かれるハンズクラップの美しさがたまらない。

盛り上がるトークの中、氣志團のボーカル・翔やんこと綾小路翔さんが拍手に迎えられ登場! 己はこの方をきちんと存じ上げないのだが、あえて翔やんと呼ばせていただこう。翔やんはこの日ハーフマラソンを終えてステージまで来てくれたそうで、脚が棒のようになっているそうだ。この雨の中ハーフマラソンを完走するとは……何て根性のある方なんだ……。

あえて言うと、己は氣志團についてほとんど知らない。ただ、筋少ファンであると同時に氣志團ファンである方は少なくないので、その方々の声により、真面目な好青年のイメージを抱いている。また、氣志團が開催するフェス「氣志團万博」のおもてなしは素晴らしく、ケータリングはどれも美味しいらしいことも聞いていた。故に良い人なんだろうなーという漠然としたイメージを抱いていた。

そしてこのステージに登場した翔やんのイメージといえば、当初のものと変わらない好青年そのものであった。

印象的だったのはハーフマラソンを走る中でのエピソード。翔やんは走り続ける中で、完走したもののずっと追い越され続けたという。そして走りながら走馬灯のように巡ったのは自分の過去。真面目で勉強ができたお子さんで、氣志團でデビューしてからはとんとん拍子に進み、早い段階から大きなステージに立つことが出来た。ところが近年、同じ時期にデビューしたバンドがようやく大きなステージに立てるようになったとき、そこにようやく至ったという熱意に敗北感を抱いたという。自分はこれから追い越される人生なのではないかと不安を抱いたそうだ。

その中で語られたのは、自分は千葉出身で東京をまるで敵のように、何が東京かという思いをエネルギーにしてきた。しかし今良い調子の人々は東京の育ちの良い人々で、それこそ「明日食べられるのか」と不安を抱いたことのないような、冷蔵庫を開ければ必ず食べ物が入っていて、一人暮らしをしていても仕送りをもらえるような、そんな安心の中で生きてきた人。そういった人と自分は違うとハーフマラソンを走る中で思ったと言う。

ハングリー精神を持つ地方出身者による東京を敵役としてみなす歌に対し、東京出身のうちださんが「しょうがないじゃん! 東京に住んでいるんだから、他にどこに行けばいいの?」と語ったエピソードも披露された。そんな中でオーケンは、東京のおぼっちゃんの僕と千葉出身の翔やんには他にない共通点がある、仮面ライダーに出演したことだ! と綺麗にまとめた。

ちなみにこの日、仮面ライダーの予告篇もスクリーンに出され、オーケンが仮面ライダーに出演するに至った経緯も語られた。芝居が出来ないことを自覚しているオーケンは断りに断り、「朝早くなんて起きられないですから」とまで言ったが、スタッフに「今はそんなこと全然ないですよ!」と押し切られたものの、撮影のため朝七時四十五分にダム集合、と指定され「ブラック企業か!」と突っ込みが入った。記念にと撮影されたオーケンの自撮りも公開されたが、見事にまぶたがむくんで眠そうだった。

最後オーケンと翔やんが二人で語るコーナーに入る前、筋少メンバーと翔やんが一対一で語る姿を見たいというオーケンによる無茶振りがあり、橘高さん、内田さん、おいちゃんの順でトークが行われた。橘高さんは翔やんの格好にシンパシーを感じる話で、それに対し翔やんは「中学生のときから見ているけど橘高さんは全然変わらない!」と褒めちぎった。

内田さんは「空手バカボンを聴いてくれてたんだね」と話を振り、内田さんの作ったソロの話へ移行しつつ、翔やんから「オーケンさんと内田さんはどこに引かれ合ったのか、どうして長く続いているのか」という質問が発せられる。オーケンと内田さんは「火事」「バッドマン」と答えるもさらに深堀りを要求され、二人して首を傾げるも答えは出ない。そこから翔やんのちょっと切ない話になり、オーケンが翔やんと橘高さんはバンドをファミリーと捉えるタイプ、うっちーとおいちゃんもそれに近い、僕は全然違う、死ぬときは別! と語った。

意外だったのがおいちゃんと翔やんで、SNSで繋がっていること、おいちゃんが韓国に行きたいなと思っていたところで翔やんが韓国に旅行に行ったエピソードが語られた。翔やんは今まで全く映画を観ず、スターウォーズも観たことがないほどだったが、映画を観ようと思い立ち、映画を観続ける中で韓国映画にはまったそうだ。それからおいちゃんと翔やんで韓国の話で盛り上がる盛り上がる。おいちゃんはこの日一番楽しそうで、笑顔がキラキラしていて眩かった。

メンバーが退場してからオーケンと翔やんで前述のハーフマラソンの話になり、最後に「オンリー・ユー」を二人で演奏して締め。ここに記した以外にもたくさんの面白トークがあり、特に氣志團万博運営の裏話、芸能人にオファーするうえでの難しさ、スポンサーとのいろいろな兼ね合いなど、聞き応えのある話が盛りだくさんだった。

帰り道は雨も弱まっていて平和そのもの。あぁ、楽しかったとニコニコしながら帰路に着いた。それにしても、あんなに成功していて、華やかに見える人でも大きな不安を抱えているのだなぁ。そうして当初、自分がイメージしていた以上に「こちら側」に近しい人のように感じる。だからこそ筋少ファンであると同時に氣志團ファンである人も多いのだろう、と思った。

意外なところに意外さを感じた一夜である。どっとはらい。



未分類0杯, ウタノコリ, 水戸華之介, 非日常

新大久保駅から歩いてしばらく行ったところにあるこじんまりとしたライブホール。去年も訪れたにも関わらず道に自信がなく、地図を片手に雨の中よちよちと歩いた。

赤くやわらかな椅子に腰を下ろし、ゆったりと開演を待ちながら、しばしうつらうつらと舟を漕いだ。去年の日記を読み返したところ、当時も己はこの会場でまどろんでいたらしい。夏の暑さから急激に寒くなり、ちょうど体が疲れるタイミングなのかもしれない。

会場の照明が落とされて生まれる期待感のこもったざわめきを耳にしながら瞼を開ける。ステージにぼうと光が灯り、夢から夢へと移動するかのような不思議な感覚を得た。そして程なくして現れたのはギターの澄田さん、キーボードの扇さん、そして本日の主役・ボーカルの水戸さんこと、水戸華之介である。

「猛き風にのせて」から始まり、新譜「知恵ノ輪」の一曲「イヌサルキジ」へ。「イヌイヌイヌイヌ!」「サルサルサルサル!」と拳を振り上げるのが楽しい。毎度のことながら、水戸さんのアコースティックライブはアコースティックという概念を覆す熱量が凄まじい。どんな会場であれ汗だくで跳ね、飛び、歌う水戸さんは芯からロックボーカリストなのだ。

「イヌサルキジ」は桃太郎のお供である三匹の動物に対し、良い気になっているようだがお前らなんか本当は大した存在じゃないくせに、と苦言を呈す曲である。さて、ではこの動物達に厳しい言葉を投げつけているのは誰だろう? 己は鬼ではないかと思う。桃太郎が来るまでは鬼も畜生も似たような存在だったはずなのに、桃太郎に黍団子をもらった途端、あたかも自分は立派な存在ですよ、と言わんばかりに正義面をしやがって、本当は俺らと大差ないくせに! と怒る鬼の歌ではなかろうか。

三曲目は「抱きしめる手」。「手!」とパッと手のひらを開いて腕を挙げるとき、自然と笑顔になってしまう。「ヨイヤサコラサ」の後はアンジーの「サカナ」で、明るく気楽な曲調から一転して暗い海の底のような雰囲気に。この緩急がたまらない。

しっとりどんよりしてしまった観客に、そこまで落ち込まなくてもと笑う水戸さん。そしてまたここで空気が変わる! 「腹々時計」のダッダッダーッ! という明るいイントロでわっと沸き立つ観客。何度か出し惜しみをする水戸さんと、歓声を上げるオーディエンスのやりとりを経て、熱く歌う水戸さんの声の迫力! 熱気がむんむんと伝わってくるようである。

「腹々時計」の後は「涙は空」へ。今日はあいにくの雨模様だったが、「知恵ノ輪」のジャケットのように、美しく晴れ渡った青空をイメージさせる曲が多かった。次の「ドラゴンパレード」もそうである。開いた絵本から明るい色彩が広がり、そのまま空を染め上げていくような。やさしく、軽やかで明るい歌だ。

歌詞を読めば決して底抜けに明るい内容ではない。死の近づきを感じさせる曲だ。雨雲を砂漠へ運ぶため、銀色の鱗を落としながら年老いたドラゴンが空を飛ぶ。千羽のヒバリが後を追い、若い天使達がエールを送る。このドラゴンは間もなく死ぬだろう。しかしヒバリと天使に愛されたドラゴンは砂漠に雨が降るのを見届けたらきっと満足して眠るのである。そこに悲しみはなく、あるのは充実した生の終わりだ。その温かさが感じられるからこそ、この曲は明るく軽やかなのである。

ここに来るまで気付かなかったが、己はこの「ドラゴンパレード」を今日一番、聴きたかったのかもしれない。

空つながりでもう一つ。水戸さんが小さな手帳を取り出し、じっと見つめながら人々のあだ名を読み上げていく。それはきっと小学校のクラスメイトや幼馴染のような、そんな幼いあだ名で、そんな彼らが四十代五十代の大人になり、今どんな状況であるかを端的に紹介していく。大工をしている人、教師になった人。子育てを終えた人、多重債務により自己破産をした人、リハビリ中の人、ガンで亡くなった人。そして彼らの名前を読み上げて、続く曲は「青空を見たとき」。

ここで連ねられる名前は恐らく架空の人物である。水戸さんは十五年前からこの曲を歌うときにかつて幼かった人々のあだ名を読み上げるようになったそうだ。だが十五年経ち、自分と観客が歳を重ねたことで手帳の人物の年齢が歌に合わなくなってしまった。そこで十五年ぶりに年齢と近況を更新したそうである。「また十五年経ったら書き直すかもしれないけど、その頃には(手帳の人物は)みんな死んでるかもしれない」と水戸さんは冗談を飛ばして笑っていた。今五十五歳の水戸さん、十五年後ともなれば七十歳だ。深い皺を刻み、指を舐めながらページをめくる水戸さんを観られる未来。きちんと生き残らねば、と思う。

「蝿の王様」の曲中、「可能性はゼロじゃない」に変化し、そこで澄ちゃんによるアコギによるギターソロ、扇さんによるキーボードソロ、そしてカズーで歌い踊る水戸さん!! どこかアダルトな雰囲気漂う妖しい時間の美しさ!! かーっこよかったなぁ!!

水戸さんがステージを下りて客席を練り歩くとき、扇さんもマラカスを掲げて赤いスカートを翻し、水戸さんの後について踊っていたシーンがあり、それがどうにもあでやかで格好良かった。キーボードを弾く力強さも美しい。

アンコール一曲目は、以前にも水戸さんのライブで聴いた覚えがあるものの曲名がわからないもの。「アモーレ!」と叫ぶ水戸さんのお気に入りの曲だそうで、水戸さんは今日この曲を歌いたくて歌いたくて、早くこの曲の時間になって欲しい! と願っていたそうだ。どなたか、タイトルをご存知だったら教えてほしい。

「ひそやかに熱く」は水戸さんによるストレートな応援歌だ。これも頭上に広がる青空を連想させる。水戸さんの伸びやかな歌声をこれでもかと堪能できて気持ちが良い。何度も書いていることだが、本当に水戸さんの歌声は素晴らしい。素敵だ。たまらない。

ダブルアンコール、最後の一曲は明るく「雑草ワンダーランド」。そうだ、これも青空の歌だ。夏の高い湿度、草いきれ、直撃する太陽光。アメニモマケズ、祝福せよ。あぁ、水戸さんに強烈な太陽光の、夏の日差しの祝福がありますように、と心から願う。水戸さんの歌がもっと多くの人に届いてほしい。そう願わずにはいられない。

そうそう。アンコールのときだっただろうか。澄ちゃんがハンドスピナーを得意げに回しながらステージに現れて、その様子が実にキュートだった。機材車移動をしている最中、どこかのインターチェンジか道の駅で五百円で購入したものだそうで、ストレスの溜まりやすい機材車の中でハンドスピナーは小さな癒しになったらしく、シュルシュル回る様子を見ているうちに水戸さんも欲しくなったそうだ。次回見かけたら俺は千五百円のやつを買ってやる! と意気込んでいた。

そしてダブルアンコール終了後、澄ちゃんはハンドスピナーを回しながらステージを去って行った。楽しそうで実に良いな、と思った。



日記録0杯, 日常,

2017年10月15日(日) 緑茶カウント:0杯

どうしたら常備菜を習慣化できるか、と人に問われることがある。己は休みの日に主食を一品、主菜を一品から三品、副菜を三品から五品作り、それを日々食べ続け、たまに惣菜を買い足したり外食をしたり、おかずを追加で作ったりしながら日々を過ごしている。昼食と夕食は基本的に作り置きで、作り置きにかかる時間は二時間から三時間ほど。調理中はライブDVDやアニメを流しっぱなしにして、時間経過を感じつつ楽しみながら作っている。参考にしているのは何冊かの料理本と、つくおきというサイトのレシピだ。

では、常備菜を習慣化するコツは何か。それは調理の手間を短縮する努力でもレシピを覚える記憶力でもなければ、料理の腕でもないと己は思う。要となるのは一つ、「毎日同じものを食べ続けても飽きない性質」である。

母は料理にことさら気を遣ってくれていた人で、毎日主菜副菜色とりどりの品々が食卓に並んでいた。煮物やキンピラ、カレーは二日続けて出てくることもあったが、トンカツは翌日カツの卵とじに姿を変え、一手間加えた品として出てきていた。三日目の煮物は万が一傷んでいたら良くないとって、子供に食べさせないよう注意を払っていた。

このような家庭で育ち、思い返してみても誠にありがたいなぁと思うものの、良いか悪いかわからぬが自分自身はわりと毎日同じものを食べることに頓着しない人間になった。なるべく日々変化が出るよう品数を揃えるも、毎日三品ずつにして日々の食事の種類を変えるのではなく、毎日七品同じものを食べ続ける方に行ってしまいがちなのである。何なのだろう。種類を食べたいのだろうか。

というわけで、朝昼夜で食べるものを変えているとはいえ、朝は一年三百六十五日毎日同じもの、昼は一週間同じもの、夜も一週間同じもの、といった有様で、たまにそこに外食や惣菜が食い込んできて彩りが変わる程度である。しかしどうしたことか、飽きない。毎日同じものを食べても平気である。

もしかしたらそれは、「今日は何を食べよう」と考えることが自分にとって、楽しみではなく面倒くさいことだからかもしれない。

美味しいものを食べる喜びよりも、食事のたびに考えなければならない面倒くささが勝ってしまう。美味しいものは好きだが、美味しいものを食べるために大きな労力は使いたくない。新しい店を探すのも面倒だし、毎日外食を続けるのも嫌だ。何より自分が作るものは、食材も味も自分好みでできている。無難なのだ、とにもかくにも。

故に二時間から三時間台所に立っていてもさほど苦痛ではなく、習慣として続けられるのだろう。決め手は食事への興味のなさと、毎日同じものを食べ続けても気にしない性質。これが常備菜を続けるコツである。……何て言ったら乱暴だろうか。



日記録0杯, 日常

2017年10月12日(木) 緑茶カウント:0杯

強い苦味と腐敗臭があって非常にまずいが、
脚の付け根のわずかな筋肉には、
わずかに、甲殻類系の風味が感じられる。

わずかに。

平沢進のライブを観に行ったとき、ライブホールの外でカサカサと地を這う虫を見た。灰色ががっていて触角が長く、体長は五センチほど。はてあれはもしやフナムシかな、海も近いし、と思ったものの家に帰ったときはライブの興奮で虫のことなんぞすっかり忘れていた。そうして数日経ってからそういやあれはフナムシだったのだろうかと気になりだし、カタカタとキーボードを叩いてポンと検索。一番上に表示されたウィキペディアのフナムシのページをクリックすれば、確かにあの虫はフナムシに間違いないようだ。なるほどなるほど、と読み進めると書いてあったフナムシの味。強い苦味と腐敗臭があって非常にまずいが、脚の付け根のわずかな筋肉には、わずかに甲殻類系の風味が感じられる。

しばしこの短い文章に見入った。強い苦味があるうえ腐敗臭までして、非常にまずいとまで言い切っているのに、それでも尚わずかなおいしさを追い求めるこの姿勢。フナムシの脚の付け根の筋肉なんてそりゃあもうわずかなものだろう。しかもようやく「風味」であって、旨味があるとまではいかない。しかしこのフナムシを味わった人は、そのわずかな部位から、ほんのわずかに甲殻類の風味を感じ取り、「これだ!」と記録したのである。こんな、気持ち悪いと厭忌され、嫌がられるフナムシの良いところを見つけたぞ! と万歳をする姿が目に浮かぶようである。きっとこの人はこのわずかな甲殻類の風味を感じ取ったとき、とても嬉しかったに違いない。

おめでとう、見知らぬ人よ。おめでとう、フナムシ。フナムシもきっと自分の脚の付け根のわずかな筋肉にそんな美点があろうとは思いも寄らぬことだろう。良かったねフナムシ。おめでとう、フナムシ。強い苦味があって腐敗臭がして非常にまずいけど良かったねフナムシ。強く生きろよ、フナムシ。