日記録2杯, 日常

2014年12月18日(木) 緑茶カウント:2杯

湯気を立てる丼を前にして腹痛にうめいていた。痛い。とても痛い。ついさっきまで、あぁ腹が減った腹が減ったと頭の中で呟きつつ、野菜を切り肉を炒め鍋で煮ていそいそと働いていたのに、出来上がった途端、何故か腹痛が発生したのである。

痛かった。とても痛かった。それは空腹を放置したような、もしくは食べた直後に全力疾走したような、キリキリとした痛みだった。脂汗が出るほどでは無いがしんどい。とても痛い。痛みの波は無く、ただただ同じ痛みがじっと続くのであった。

原因はわからない。もしかしたら空腹を放置しすぎた結果かもしれない。実際腹は減っている。そこで食べてみた。目の前の丼を。優しい味である。熱々である。味覚的には美味しい。だが全然美味しくない。

苦しい食事であった。途中箸を止めつつゆっくりゆっくり食べた。そして食べきった。食べきっても痛みは引かなかった。原因がわからない。だが、しばらくじっとしていたら落ち着いた。結局原因はわからない。わからないがほっとした。実に苦しい食事であった。あぁ、痛かった。



日記録2杯, 日常

2014年12月16日(火) 緑茶カウント:2杯

室温九度の牢獄の中で、暖房を二十八度に設定して全力稼動させる夜。寒さに凍える最中、つい自動的に脳内再生されるのは筋肉少女帯がカバーした井上陽水の「氷の世界」とそのプロモーションビデオで、あの耽美だか馬鹿なんだかわらない映像を巡らせつつひたすら体を縮めている。寒い。何故こんなにも寒い目に合わなければいけないのかと冬を憎みたくなるほど寒い。夏の到来が待ち遠しい。切実に。

あぁ、寒いなぁ!!



日記録2杯, 日常

2014年12月9日(火) 緑茶カウント:2杯

日記の書き方を忘れてしまったように感じるのは、日常を拾う感度が弱まっているせいかもしれない、というほど、大したことは書いちゃあいなかったが、今日一日何があっただろう、何を考えただろうと思い返すも、あまり出て来ないのが不思議だ。

とりあえず今日はお茶を二杯飲んだ。甘くて苦くて爽やかで美味しい。明日は筋トレを再開したい。それと、ヒラサワのライブDVDを新しく購入したもののまだ封を開けられていないので、これも観たい。ただ、今はひたすら筋少だけを聞き続けたい気持ちもある。

あぁ、こういう風に書いていたんだったかな。



日記録2杯, 日常, 非日常

2014年12月7日(日) 緑茶カウント:2杯

一区切り、ついたのだろうか。

お骨を母の生まれ故郷に運んだ。五十日祭には子供の頃、母とよく遊んだという従兄弟や親戚の方々が集まってくれた。母に似ている、似ているとよく言われた。かと思えば父に似ている、似ているとも言われた。そりゃあそうか。だが当人らに自覚は無く、不思議な心持になる。

忌明けもへったくれも無いほど、己は通常通り生活をしていた。よってここから何か生活が変わるわけでは無い。きっとこれからも思いを馳せるだろうし、悲しみを噛み締めることもあるだろう。だが、ここを区切りとして、何か生活を変えてみようかという思いもある。

とりあえず今日と明日はゆっくり過ごそう。



日記録2杯, 日常

2014年11月12日(水) 緑茶カウント:2杯

祭壇の前で遺影を見つめていたら涙が溢れ、流れるままに任せていると、襖の向こうで飼い猫が鳴いた。にゃあーにゃあーと声をあげて鳴き止まない。立ち上がり、隣の部屋の猫のもとに向かう。猫は足にすりより、ソファに座ることを要求するので大人しくそれに従うと、膝に乗って丸まり、鼻を人の腕と胴の間に突っ込んで、ただただじっと黙っていたので、その背中をしばらく撫で続けた。

またあるとき。酒を呑んでいたらたまらない気持ちになって、座っていた猫の体を両腕で囲い、背中に顔を押し付けて泣いたが、猫は嫌がらず、ずっとそのままでいてくれた。

猫が慰めてくれている。

母のために遠方から親戚が駆けつけてくれた。葬儀社の人が親切にしてくれた。お悔やみの言葉をいただいた。涙を流してくれた。ありがたさを噛み締めては泣きたくなり、寂しさを感じては泣きたくなり、己はこんなに泣き虫だっただろうかと小学生の時分を思い出す。わりと泣き虫だったかもしれない。

そんな日々の中、ポストにハガキが一枚。応募していた筋肉少女帯の握手会当選告知のハガキだった。また涙が出た。少し励ましてもらえた気がした。ありがたいと思った。

こうして、悲しみと喜びを繰り返しながら日常に戻って行くことを、行けることを感じつつ、まだ嘘のような気分でいる。