日記録2杯, 日常,

2015年1月15日(木) 緑茶カウント:2杯

「癖のある味だが、慣れると美味しいよ」と人から食べ物を勧められたことは無いだろうか。己はある。そしてこの言葉を聞くにつけ思うのは、慣れなきゃ美味さを感じられないものは、果たして本当に美味しいものなのかということだ。

そんなことを考えながら、首を傾げつつ食べている。Twitterで「美味しい」と話題になっていたので試しに買ってみた、カルビーポテトチップスしあわせバタ~味を。バター、蜂蜜、パセリ、マスカルポーネチーズが織り成す、あまじょっぱい味わいのポテトチップスである。これについて、「癖のある味だが、慣れると美味しいよ」とは言われていないながらもその言葉を連想したのは、これが美味いのか不味いのか判断がつかなかったからである。

未知の味だった。口の中に入れた途端困惑した。吐き出す不味さは感じられないが、喜ぶ美味さも無く、ただただわからない。しかし、食べ続けるうちに慣れてきてだんだんと違和感が減ってきた。だが、やはり美味いかどうかはわからない。ひたすら困惑してしまう。

癖があるものの慣れると美味しいものは本当に美味いと言えるのか、と問うならば、きっと美味いのだろうと思う。味の経験値が足りないことで美味を感じられない場合、経験値を積むことで学習し、美味を感じられるようになる。それが慣れると美味いということなのだろう。子供にとって苦痛でしかない苦味を大人が美味に感じられるように。では、このポテトチップスは美味いのか? わからない。わからないが、困惑しつつ何だかんだで食べ続けていて、そのおかしさに面白味すら感じているので、もしかしたら消極的に美味しいのかもしれない。わからない。



日記録2杯, 日常

2015年1月7日(水) 緑茶カウント:2杯

網はある。網はあるものの、何故にこの眼科はこの激流を採用しているのか。

何度ここで冷や汗をかいたかわからない、とある眼科の洗面台。主にコンタクトレンズの着脱に使われるそれは綺麗に磨きぬかれ、右側には鏡とティッシュ、左側にはコンタクトレンズのケースが備えられている。ごく一般的な眼科の洗面台だ。しかしセンサー式の水道に手を翳すと一転、異常な洗面台として目に映る。何故だか知らぬが、一般家庭の蛇口を全力でひねった結果生じるレベルの水圧で、勢いよく激流が放たれるのである。

初めてこの洗面台を使用したときは、何かの罠に引っかかったのかと思った。指先に乗せたコンタクトレンズは激流に呑まれ渦を巻き、あわや排水口の奥へと思われたが、網に拾われて事なきを得た。事なきを得たいかがなものか。そもそも、眼科じゃなくともこんな勢いの水が出るセンサー式の水道なんぞ見たことが無い。そのうえで、何故よりにもよってコンタクトレンズの着脱のための洗面台で、これ。

センサー式ゆえ強弱の調節が出来ないのがまた歯がゆい。激流は突発的に流れ、勢いは衰えることなく、いきなりビャッと止まるのだ。実に歯切れが良い。メリハリがあるにも程がある。

この激流を前に己に出来ることはただ一つ。とにかく真剣に注意深く蛇口を向き合うことのみ。だが、いつも想像を超える激流が放たれるのでわりと毎度びっくりする。しかし。びびりつつ、使いづらいと思いつつ、ここに来てこの激流を見ると「あーこれこれ」と嬉しくなるようになってしまったので、使いやすくなったら寂しいかもしれない。

こういうわけのわからないものは、楽しい。



日記録2杯, 日常

2015年1月5日(月) 緑茶カウント:2杯

まぁ予想はしていたが。しかし達成してしまうとは。人生で一番体重が多かった時期と同じ体重になってしまった。無論身長は伸びていない。ギリギリ標準体重内ではあるものの、手持ちのズボンがきつくなってしまっている。ベルトも普段使わない穴に金具が通る。よろしくない。

十二月に、四月までに四キロ体重を落とすことを目標に掲げたが、とりあえず今月中に一キロ半落とそう。そのためには運動の再開と飲酒の断絶が必要である。あと糖分摂取も控えようか。

とりあえずせっかくなので、今の自分の写真を撮っておこう。そして毎月見比べてみるのである。こういう楽しみを設定するとやりがいが出来るのでよろしい。よし、やってみましょうぞ。



日記録2杯, 日常

2014年12月24日(水) 緑茶カウント:2杯

今日はほうれん草とチーズのオムレツとパンを食べ、緑茶を飲んでゆったりと過ごした。余韻を噛み締めながら飲む緑茶は実に美味く、こんなクリスマスイブも良いものだなとしみじみ思った。

ちょうど茶葉が無くなったので、明日は普段よりちょっと贅沢な茶葉を買おう。そうして家にある羊羹を分厚く切っていただくのだ。これはきっと、絶対に楽しい。



日記録2杯, 日常

2014年12月21日(日) 緑茶カウント:2杯

あぁ、寒い寒い。巻きつけたマフラーを首元に引き寄せ、冷たい風が吹く中を小走りで駆け抜ける。夜の二十三時。駅の周辺では酒に浮かれた人々を見かけたが、少し離れると人気も無くなる。とはいえ、自販機とコンビニと街灯の灯りがあるため真っ暗闇では無い。歩くのに不自由は無いが音が少なく、寂しい夜だ。無論ここに留まる理由も無く、己は我が家を目指してひたすら真面目に歩いていた。寒さの中で。

寒いのである。とにかく寒いのだ。とても意味無く立ち止まる気になれない寒さだ。コートを着ていたってマフラーをつけていたって寒いのだ。何もつけていない耳は言うまでもなく寒いのだ。そんな寒さの中、コンビニと駐車場の間の細い路地の隅で、成人男性二人が向かい合って座り込み、トランプをしているのを目撃し、思わず己の足は止まりそうになった。驚きのあまりに。

二十代、せいぜい三十といった面持ちだ。若いが、馬鹿をやるほど若すぎるようには見えない、一見すると常識的そうな格好の二人である。しっかりと防寒具に身を包み、トランプの「スピード」に興じている。それらを早足で駆け抜けながら見た。思わずあからさまに凝視してしまった。向こうも気付いたようだった。つい声をかけそうになったが飲み込んだ。おい、何故そこで、しかもこの真冬の寒さの中でトランプをしているのだよ。

これを見たのは二週間ほど前のことだが、以来二人がトランプ遊びをする姿は見ていない。暖かい季節に見てもそれは不思議な光景だっただろうが、よりにもよって凍てつく寒さの中で見た光景。あの道を通るたびにあの二人のことを思い出す。彼らは何ゆえそこでトランプをしなければならなかったのか。気になって仕方が無い。しかし、きっと、もしもう一度彼らがスピードをしている姿を見かけても声をかけずに通り過ぎるだろう。

これだから日常は面白い。