日記録4杯, 日常, 漫画

2013年9月25日(水) 緑茶カウント:4杯

それは一つの自分にとっての財産だ。子供の頃、自然と「大島弓子」「萩尾望都」「山岸凉子」の作品に触れることの出来る環境にいられたことは、幸運なことだったと思う。それは実家の本棚に詰まっていて、所有者は母であったが、自由に手に取ることが出来た。

漫画に出会ったきっかけは「スーパーマリオくん」で、その後コロコロコミックを毎月読むようになり、漫画に親しんでいきながら、妹の「りぼん」を読みつつ、家の中にある本にも手を出して行った。それは古い絵柄ではあったが、自分の中で大きな線引きはされておらず、等しく「漫画」と受け止めて読んでいた。

「綿の国星」「バナナブレッドのプディング」「ポーの一族」「トーマの心臓」「天人唐草」「メデューサ」などなど。読み始めた時期は全ての意味を把握することが出来なかった。何せ「浪人」という言葉を知らず、「今なら少年Aですむ」の意味さえ知らなかった頃だ。そして数年おきに読み返し、漠然としていた物語がだんだんと輪郭をはっきりさせていくのである。

今は一人暮らしをしており、その本棚に触れることは年に数度のことであるが、自分の所有する本棚には「バナナブレッドのプディング」と「ポーの一族」が刺さっている。あと、「つるばらつるばら」が収録された本もどこかにあるはずだ。普段、友人達の前ではあまり語る機会の無い本達だが、たまに一節を思い出しては懐かしみ、物思いに耽ることがある。大分輪郭ははっきりしてきたが、まだ、読み込めていない気が何年経ってもするので。



日記録4杯, 日常

2013年9月11日(水) 緑茶カウント:4杯

「ずっと適当な格好してきたから服を見繕ってもらいたい」

中学時代の友人からの頼まれ事であるが、頼む相手を間違えているにも程があって早々に逃げ出したい思いと、うわーこいつの中では自分はまともなファッションセンスが養われている人間として成長しているのかーという思いにより、恥ずかしさと申し訳無さで身悶えしたくてたまらない。友人とは数年ぶりに一度会ったきりで、中学を卒業してから会うのは二度目。中学時代の衣装と言えば、言わずもがな学生服だ。即ち、友人は自分の私服を知らない。

そこまで素っ頓狂では無いが流行に頓着しないため格好良くは無く、そのことに負い目を感じてはいるものの改善するほどの積極性も無く、最悪清潔感さえそれなりに保てれば良いかと思いつつも開き直れるほどでは無く、だいたい常にジーパンとTシャツもしくはポロシャツという適当な衣服で生きていて、何をどこに合わせると格好よろしいとかよろしくないとか、そこらへんがさっぱりわからない。

むしろ見繕ってもらいたいのは自分の方だよと思いつつ、どういう店を探せば良いのだろうとネット検索しながら途方に暮れている。自分はいったい友人をどこに連れて行けば良いのか。わからない。



日記録4杯, 日常, 重陽の節句

2013年9月9日(月) 緑茶カウント:4杯

今日は五節句の中で一番目立たず、一番知名度の低い重陽の節句である。七草粥を食べる一月七日の人日の節句、雛祭りを祝う三月三日桃の節句こと上巳の節句、こいのぼりを揚げる五月五日端午の節句、そして織姫と彦星で御馴染み七月七日、七夕の節句。ここまでは皆覚えているのに九月九日重陽の節句だけ、目立ったイベントが無いため忘れ去られている。何て可哀想なのだろう。

よって自分はこの重陽の節句だけをひいきすると決めており、毎年毎年「今日は重陽の節句だよ!」とアピールしまくっているがほとんどの人は薄い反応を返すだけ。寂しいなぁ、と思いつつ、自分も声高に重陽の節句だ重陽の節句だと叫ぶだけで特に菊を愛でたりはしないが、来年の今日もきっとまた「重陽の節句だよ!」と叫んでいるだろう。だってこれを五年以上続けているのだから。

我ながらよくわからないこだわりだと思う。



日記録4杯, 日常, 町田康

2013年9月5日(木) 緑茶カウント:4杯

「餓鬼道巡行」「この世のメドレー」「ゴランノスポン」「どつぼ超然」「爆発道祖神」「人間小唄」「破滅の石だたみ」「バイ貝」……町田康のタイトルセンスって何て素敵なんだろう!

スペースの関係で単行本の購入は避けており、文庫化を待ち望んでいるため未だ手に取れていないタイトルも多いのだが。所有している中では「けものがれ、俺らと猿と」「人間の屑」「くっすん大黒」「テースト・オブ・苦虫」「実録・外道の条件」などのタイトルも好きだ。たまらない。

町田康の小説の中で一番好きなのは「夫婦茶碗」収録の「人間の屑」。ダメな人間がダメなまま奈落へ向かって全力疾走する様が悲しくも爽快な作品だ。町田康の作品にはいわゆる「ダメ人間」が多く登場するのだが、どいつもこいつも波に飲まれ流され何が何だかわからない中を生きながらも、何だかんだで行動力があるのがどうにも厄介で愛おしい。

町田康の文章に慣れていない人におすすめしたいのは「実録・外道の条件」。エッセイ風の作品はどれも読みやすいが、中でもこれは秀逸である。そして可哀想である。ずるい奴らやひどい奴らから外道な目に合わされる町田康に同情しつつ、その筆致により笑わされ、また、可哀想な姿から垣間見えるキュートさに気付いたら、次は小説「夫婦茶碗」を読んでみれば良い。くれぐれも一番最初に「きれぎれ」には手を出さないように。



日記録4杯, 日常, 水戸華之介

2013年9月3日(火) 緑茶カウント:4杯

多分何かしらの意味があるのだろうが、さっぱり意味を読み取れない。鍵を掴めば理解出来るのだろうが、鍵の在り処がわからない。それとももしや、実は意味があるように見えて何も意味も無いのだろうか。いやいや、この人の作ったものなら何かしらの意味があるはずだ。

水戸華之介、杉本恭一、吉田一休の三人から成るユニット「屑」。この屑の曲の一つに「君を守りたい」というタイトルのものがあるのだが、こちら、歌詞カードを見ても歌詞は書かれておらず、しかしインストゥルメンタルというわけでもなく、意味があるのか無いのかわからない音を三人で楽しげに歌うというもので、楽しそうなのは良いことだが、どうしてそれが「君を守りたい」というタイトルになるのかが、全然わからないのである。

で、あれば検索してみれば良いだろう、と思ったものの、ネタの解説なんぞ野暮がするもんよ、と言うかの如く鍵の手がかりは何も検索に引っかからず、そもそも「屑」に関わる記事すら少なく、身近な人に聞こうにも身近に屑を聴いている人がいないため、謎は深まるばかりなり。

常に気になっているわけでは無いが、たまに思い出しては何だろうと思い、今度聴くときには何かに気付けるかもしれないと思い耳を澄まして聴いてみるもやはりわからず、いつか鍵を見つけられる日が来るのだろうか。これで何の意味も無かったら泣く。