日記録0杯, 日常, 漫画

2018年10月7日(日) 緑茶カウント:0杯

今も覚えている。十年以上前に一人暮らしを始めたその日、何が嬉しかったって、これでもう二度とちびまる子ちゃんを観ないで済むのだと思ったこと。
そして実際、遠ざかったことによりしっかりとストレスから解放され、以来ずっと自分はちびまる子ちゃんとさくらももこを苦手だと思っていた。嫌いだと思っていた。嫌悪していた。

さくらももこが亡くなったとき、ショックを受けた。
言葉にならなった。
何故なら己はずっとちびまる子ちゃんのアニメを観ることが苦痛で、嫌で、故にさくらももこが苦手だったからだ。

しかし幼少期に真似をして描いた絵はマリオとヨッシーとサムライスピリッツとちびまる子ちゃん。当時の己は確かに、ちびまる子ちゃんが好きだった。
そのことを知りながらも、嫌悪の方がずっとずっと強かった。

アニメで描かれる藤木へのいじめの描写が笑いとして扱われることが嫌だった。明らかに藤木は悪くないのに糾弾される様子に辟易した。とりあえず藤木を卑怯と罵っておけという風潮に異常を感じた。
故に、こんなクソみたいなアニメが国民的アニメと尊ばれ、ちょっと下ネタが露出するだけのクレヨンしんちゃんが下品だと非難されることに納得いかなかった。下品以上に、ずっと藤木いじめの方がひどいだろうと。何故そっちを問題視しないのかと。

高校生までは家族四人で暮らしていた。日曜日にはサザエさんとちびまる子ちゃんを観るのが常だった。己はこのニ作品を観るのが本当に嫌だった。しかし、自分の都合でチャンネルを変えることも団欒の場から抜け出すこともできなかった。

だから嬉しかったんだ、一人暮らしをして、初めてサザエさんとちびまる子ちゃんと遭遇しない日曜日を手に入れて。

以来、一度もそのニ作品は観ていない。ずっと平和に過ごしていた。
その中で。

かつて、己はちびまる子ちゃんが好きだった。実家の本棚にあった漫画を読んでいた。面白かった。幼少時に楽しく読んだ漫画と高校生の頃に観たアニメは繋がるようで繋がらないような、そんな不可解な印象がある。

さくらももこが亡くなり、ショックを得た。
どうしてショックを感じたのだろうと考えて、アニメの、一番初めの頃の、ごく初期のちびまる子ちゃんを観た。

面白かった。

どうかと思う毒や共感できない描写もありつつも、そこには一人の小学生の日常が描かれているだけだった。あの、いじめを笑いに変える気持ち悪さは今のところ、ない。
画面を観ながら呆然とした。だってそれは、あまりにも屈託なく面白かったから。

あぁ、そうか。そうなんだなぁ。
己が苦手に思っていたのは、さくらももこ自身ではなかったのかもしれない。ただの、「ちびまる子ちゃん」として醸成していった結果だったのかもしれない。
気付いた途端、ずっと胸に抱えていたわだかまりが溶けた気がした。身勝手だなぁ、と思った。少しだけ、安心した。

今度実家に帰ったら単行本を読んでみよう。当時の感覚を掘り起こせたら、嬉しい。



日記録0杯, 日常

2018年10月6日(土) 緑茶カウント:0杯

深夜に干しっぱなしにしていた洗濯物を畳んでいたら、ブゥンと羽ばたくものがあった。思わず身構え、着地した先を見やればそれはゴキブリでも蜂でもない四角くて平たい見慣れた姿。ザラザラした茶の色合いが美しいカメムシだった。

ガスを噴射されては困るが、刺激しなければ害は無い。とはいえずっとここに居てもらうわけにもいかないので、彼が着地した枕を手に取り、サッシをカラカラと開けて闇に手を伸ばし、枕を揺すぶった。

パタンとサッシを閉じ、カチャリと鍵を閉める。外では風が轟々吹いていてやかましい。何の歓待もせず強風の中に帰したことに罪悪感がないでもないが、きっと彼なら元気にやっていってくれるだろう、と何も知らないくせにそう自己完結して満足する。

まぁ、湿った洗濯物に虫が潜むのはよくあることだ。いつだったかなぁ。子供の頃にパンツを穿いたら、中にミツバチがいて、お尻を刺されてびっくりした記憶がある。あのときは泣いたかどうだったか。ミツバチも災難だったよなぁ。

思い出を懐かしみながら残りの洗濯物を畳む。一つだけ不思議に思うことは、彼がいつから潜んでいたかということ。というのも、己は基本的に洗濯は部屋干ししかしないからね。

ずっといたのだろうか。いつからいたのだろうか。うちは居心地が良かっただろうか。窓ガラスを揺るがす風の音を聞きながら思う。まぁ、またいつか気が向いたらいらっしゃい。



日記録0杯, 日常

2018年9月30日(日) 緑茶カウント:0杯

何とかギリギリ滑り込みセーフ! 十月一日に閉幕を迎える荒木飛呂彦原画展に行き、ちょいとその前に腹ごしらえを、と美術館の中にあるカフェでハッシュドビーフをもぐもぐと食べ、お腹一杯になって入り口から伸びる列に並んだ。

チケットが日時指定ということもあり、さほど待つことなく列はスムーズに進む。せっかくなので荒木先生が語る解説が聴ける音声ガイドを借りてソワソワしながら中へと入る。原画はテーマごとに分けて展示されていて、天井高くまで引き伸ばされた大きなカラーイラストを間近で眺める興奮にドキドキし、単行本で見るよりもずっと大きな原画にぽっこり乗せられた盛り上がったホワイトに目を奪われ、全体的にとても修正が少ないことに感服した。

嬉しかったのは六部の終盤、徐倫がエンポリオを逃がし、プッチ神父に立ち向かう瞬間の原画を見られたこと。あのシーンは何度見てもぐっと来るのだが、原画の迫力を前にすると胸に迫るものが凄まじく、涙の膜が眼球をじんわりと覆い、目が熱くなった。

この原画展のフィナーレとも言える、大型原画の書き下ろしも素晴らしかったなぁ。あれをあんなに近くで凝視出来て良かったと切に思う。しばらく自分はずっと疲れていて、好きなことをするにもエネルギーが必要でなかなか動けずにいたのだが、良いなぁ。自分の身長を超える大きな紙を前にして、インクをこぼさないようにペンの向きに気をつけながら線画を描き、途中で色が無くならないようたっぷりと絵の具を溶かし、壁に立てかけた紙に絵の具を乗せて、こぼれ落ちないよう苦心する荒木先生を見て、楽しそうだな、と思った。

しばらくあまり絵を描いていない。自分の好きなことは何だろう。それは絵かもしれないし絵ではないかもしれないが、好きなことを続けていきたい、どんなときにも楽しんでいたい、と思った。

あぁ、そうだな。そうなりたいものだな。何歳になっても。
三時間半じっくり原画を見て、あまりに集中して見たものだからすっかりくたくたになって、帰りの電車で痺れた脳を休めながらぼんやりそんなことを思った。そうありたい。そうなりたい、と。



未分類0杯, 筋肉少女帯, 非日常

半年ぶりの筋少ワンマンライブで、己は太陽に焼き殺された。真夏でもなく炎天下でもない九月下旬、ライブハウスの暗闇の中で太陽に焼き殺された。

何の心構えも無く、何気なく開いた封筒から出てきたのは最前列が約束された整理番号。え? あれ? 何だこの番号……とぼーっとしつつ現実を受け止め、「えっ、マジで」と一人部屋の中で呟いた。

再結成から筋少のライブに通い続けているが、今までスタンディングのライブで最前列に行けたことは一度も無かった。ハイストレンジネス・チケットメンバーズが発足されるまではだいたい八百番くらいの整理番号が常で、たまに四百を引き当てると嬉しくて小躍りしたものだ。

故に想像できるだろう。どれほど嬉しかったかを。

何かしらのうっかりで会場に入れなくなることが無いよう、小銭を大量に用意して現地に向かった。そして無事会場に着き、番号を呼ばれていそいそ並び、走り出したい気持ちを抑えて中に入った。

初めて見たよ、ステージの前がぽっかり空いていて、人々がパラパラと吸い寄せられるようにバーに掴まる嬉しげな光景を。
自分も大人だが、大人があんなに嬉しそうにしている背中を見たのは初めてだったかもしれない。

己も同じように吸い寄せられ、しっかりと最前列の柵を握る。わくわくして、そわそわして、落ち着かなかった。後ろを見やれば既に人々の列が出来ていて、まっさらだった空間にどんどん人が詰め掛けていく様子がどうにも不思議な心地がした。

何も遮るものがない視界を楽しみながら、スタッフの方々が準備をする様子を眺める。MC表だろうか、オーケンの手書きと思われる紙を黒いテープで入念にステージの床に貼る様子が見えて、今日はいったいどんなに面白いことが語られるだろうとわくわくしてたまらなかった。

自分が立ったのはちょうどおいちゃんとオーケンの間のあたり。
そして己は、おいちゃんという太陽に焼き殺されたのだった。

すごかった。やばかった。たまらなかった。
おいちゃんと目が合ったという錯覚に陥った瞬間、その一瞬の間、確かに己は恋に落ちた。心臓が止まりそうになった。まぶたの閉じ方を忘れてしまい、目を離すことが出来なくなった。

格好良かった……。

ド迫力の笑顔と時折見せる苦しげな表情。ガシッとスピーカーに足を乗せて前のめりになってオーディエンスを煽れば、そのブーツが己の目と鼻の先にあって、実体の生々しさが凄まじかった。いや、知ってるんだ。おいちゃんが実在することは。知っているのだが、それでもその迫力があまりにもすごくて、ブーツを編む糸目まで数えられるくらい近くて、圧倒されっ放しだったのだ。

そして本編最後。退場しようとするおいちゃんがひょいと投げてくれたピックが。「ディオネア・フューチャー」を演奏してゴリッと削れたピックが、すっぽりと手のひらの中に収まったのだ。
まるで、自分のために投げてもらえたかのように、錯覚しそうになるほどにそれは、すっぽりと手のひらに収まったのだ。

死ぬかと思った。

震えながら手のひらを開くと、本当においちゃんのピックが手の中にあった。おいちゃんのピックを手にしたのも初めてだった。信じられない宝物をもらった気持ちになった。



「ワインライダー・フォーエバー」から始まり、ワンマンでは珍しい「元祖高木ブー伝説」と最近あまり演奏されない「日本の米」が聴けたのが嬉しかった。「日本の米」はオーケンが咽喉の手術を受ける前にメンバーが歌っていたのを聴いたのが最後だろうか。こうしてまた、オーケンの歌う「日本の米」を聴けるようになって嬉しい。あの手術も思えば随分昔のことのように感じる。そう感じられるようになって本当に良かった。

中央にスタンドマイクが運び込まれ、何が始まるかと期待したら大好きな一曲、「僕の宗教へようこそ」! やったーーーーこれを聴けるとは! これ! これを歌うときのスタンドマイクを操る妖艶な手つきが美しくて好きなんだよなぁ。

新曲からは「ネクスト・ジェネレーション」と「オカルト」が披露された。さらに! 「オカルト」はMV撮影もここで行われたのでびっくりである。まず誰もいないステージで「オカルト」の録音を流してオーディエンスが曲の流れを把握し、その後メンバーとカメラマンがステージに現れ、曲を流しながらあて振りを行い、オーディエンスはさながらライブに参加しているかの如く腕を振り拳を突き上げ盛り上がるという演出だった。わー、面白いなぁ。

ちなみにプライバシーを配慮してオーディエンスの顔には全てモザイクをかけるとのこと。ど、どんなMVに仕上がるんだ……? 若干の疑問を残しつつ、最前列ということは己の腕が映っているかもしれない。おお、ドキドキしてしまう。見つけられるかな。見つけられたら嬉しいな。

「ネクスト・ジェネレーション」は歌詞が聞き取りづらかったため全容を把握できなかったが、故にCDで聴くのが尚更楽しみになった。早く歌詞カードをじっくり読みたい。

「ゾロ目」はまさかのおいちゃんと橘高さんの弾き語り! おいちゃんふーみんの弾き語りライブで圧倒されたそれをまさかまた筋少のライブで聴けるとは! 本当に、この曲を弾き語りで、アコースティックギターでやる凄まじさに脱帽する。橘高さんの迫力ある歌声に重なるおいちゃんの分厚いコーラスが美しい。

ちなみに弾き語りライブでは「あなたと愛したあの日まで」と橘高さんはよく歌っていたが、今回は原曲どおり「恋した」になっていた。

「ムツオさん」も久しぶりで嬉しかったし、「ハッピーアイスクリーム」は掛け合いの中で日常ではなかなか言えない言葉を大声で叫べるのが楽しくてたまらない。この叫ぶという行為もライブの醍醐味だよなぁ。

本編最後の「ディオネア・フューチャー」でステージ前に出てきてコーラスを絶唱するエディに夢中になった記憶はあるものの、前に書いたおいちゃんからのプレゼントにより、他の記憶のほとんどは吹っ飛んだ。

アンコールが終わった後、新しい赤い衣装に身を包んだおいちゃんが客席に手を伸ばしてくれて、おいちゃんがちょうど己の真上にいて、おいちゃんの衣装から垂れる何本もの赤い紐が雨のように降り注いで顔や手に触れて、わあ、わあ、わあ、わあ……と声にならないほど興奮して、最後、手を握ってもらえて、死ぬかと思った。

死ぬかと思った。

橘高さんにも手を握ってもらえて、ありがたくて、嬉しくて、頭がポワポワして、興奮でふらふらしながら物販に並んだらオーケンのチェキも買えて、一日にいろんなものを、絶景と握手とピックとチェキと最高の演奏と楽しいMCを一気に受け取ってしまって、ちょうど、今ちょっとへこんでいる時だったから、筋少はいつも、己が参っているときに素敵なものをくれるなあと嬉しくなって、がんばろ、と思いながら家路に着いた。

本当に最高の一日だった。ありがとう、筋肉少女帯。ありがとう、おいちゃん。
きっとこのピックがあれば、辛いときも乗り越えられるに違いない、と信じて。




ワインライダー・フォーエバー

トリフィドの日が来ても二人だけは生き抜く
LIVE HOUSE(おいちゃんボーカル)
元祖高木ブー伝説

日本の米
カーネーション・リインカーネーション
僕の宗教へようこそ

ネクスト・ジェネレーション(新曲)
ゾロ目(おいちゃん・ふーみん弾き語り)
サイコキラーズ・ラブ

イワンのばか
ムツオさん
ハッピーアイスクリーム
ディオネア・フューチャー

~アンコール~
オカルト(新曲。演奏はせず完成品を流す)
オカルト(当て振りでMV撮影)

香菜、頭をよくしてあげよう
釈迦



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日記録0杯, 日常

2018年9月15日(土) 緑茶カウント:0杯

弱り目に祟り目とはこのことか。現在、ちょっとしたトラブルに巻き込まれていてちょいと余裕が無い。報告ができるのは諸々落ち着いて人心地着いた頃だろうか。

いやあ、人生何があるかわからないね! 困ったものだよ!

とはいえそれなりに健康に楽しく過ごしているのでご安心を。今日は核P-MODEL大阪公演のライブ配信を観てハッピーな気持ちになったし、来週には筋少のイベントもある。楽しいこともたくさんあるのだ。

しかし精神的疲労も甚だしく困ったものだなぁと思う次第。体重が三キロ減ったが運動の成果かストレスの結果かわからないぜ。困ったものだよ。ははは。

ま、最後には笑い話になるのでご期待ください。ね!