日記録2杯, 日常

2016年4月13日(水) 緑茶カウント:2杯

渋谷をぽくぽくと歩いていたら。一度だけ中に入ったことがある小さな映画館が閉館していた。貼り紙を見れば閉館したのは一月頃だそうで、既に三ヶ月も経っている。利用したことこそ一度きりだが、この映画館の前は何度も通っていたというのに何故今まで気付かなかったのだろう。

剥がされたポスターの跡が残る壁に、穴が開いたかのように真っ暗な窓口。建物自体の見た目には大きな変化がないというのに、人がいなくなって何年も経った廃墟のような寂しさがあった。

もう十年近く前だろうか。ここには友人の誘いで「秒速5センチメートル」を観に来たのだった。友人はその監督の作品のファンであり、観る前に「もしかしたら泣くかもしれない」と言っていた。長い付き合いの友人が涙をこぼすところを見たことがなかった自分は、からかい半分の気持ちで泣くかな泣くかなとわくわくしていた。

結論から言うと友人は泣かなかったが、とても綺麗な映画であった。あの日観たきりなので物語の細部は忘れてしまったが、背景と心の描写が繊細でとても美しかった。人物の顔の見分けがつきにくいのには難儀したなぁ。あと挿入歌の主張が強かった記憶がある。それをこの、小さな穴の底のような映画館で没頭しながら眺めたのだった。

この映画館に限らず、渋谷でも、近所でも、様々な建物が作りかえられている。見慣れた風景がどんどん変わっていく落ち着かなさは初めこそ大きかったものの、最近はあまりに頻繁なので慣れてきた。そして自分はその日も、寂しいなぁ、と思いつつその場を去り、また別のものへと意識を向けたのだった。



日記録2杯, おそ松さん, 日常

2016年3月30日(水) 緑茶カウント:2杯

ここ半年分の睡眠不足がドッと押し寄せてきていて眠い。ついにおそ松さんが最終回を迎えた。面白かったなぁ。こんなに毎週毎週、わくわくドキドキしながらアニメを観たのは何年ぶりだろうか。「ジョジョ」「月刊少女野崎くん」も楽しく観ていたが、どちらも先の展開を知っていたため、あの話がどのようにアニメで描かれるだろう、あの話をやってくれるだろうか、といった原作ありきの楽しみ方をしていた。対して「おそ松さん」は、次週何が起こるか全くわからない。高校生の頃、少年ジャンプをドキドキそわそわしながら読んでいたときの感覚が思い起こされ、非常に楽しかった。

自身の常識が揺さぶられる感覚も気持ち良かった。自分は下ネタが苦手である。未だに口に出来ない単語も多く、会話において難儀することもある。そんな中で毎週毎週連発されるあらゆる言葉達に、毎度毎度側頭部をハンマーでガーンと殴られて、揺さぶられる感覚を味わっていた。ディフォルメされた可愛らしい絵柄で誤魔化されているが、なかなかどうしてえぐいし下品だ。しかしそれらがあまりにもカジュアルに連発されるので、「えーと…下ネタだと思ってたけど、実はこの言葉は下ネタではない、のか……?」「性欲とはこんなにあからさまにするもの……だっけ? あれ?」とだんだんだんだんわからなくなってくるのである。自身の性質に窮屈さを感じていたこともあり、この混乱はなかなか心地良いものだった。

「おそ松さん」はどんなアニメかと問われたら、自分は「異常性をマイルドに隠しながら、異常者の日常を描いたアニメ」と答えるだろう。六つ子全員がニートで、それが許される空間。小学生ならともかく、成長期を迎える頃には誰かしら布団を分けようと言い出すだろうに、大人になっても一枚の布団で寝る彼らは、ことあるごとにあったはずの「変化の節目」を迎えることなく通り過ぎて、小学生のまま大人になってしまっている。

一日中遊んでいても怒られなくて、兄弟全員が一緒の布団で寝て、おやつを巡って大騒ぎするのは小学生にとってはごく普通の日常と言っていい。それを大人になってもごく当たり前のように続け、さらに小学生そのままではなく、飲酒やギャンブル、アダルトビデオといった大人ならではの「遊び」はちゃっかり味わっているアンバランスさ。彼らはあくまでも大人として描写されているのに、当たり前のように子供のようでいる。そのあたりに、己は怖さと薄ら寒さを感じていたなぁと改めて思う。

終わってしまったのは寂しいが、ぶっとんだ最終回のおかげで今はとても満ち足りている。実に楽しい半年間だった。



日記録2杯, 日常

2016年3月5日(土) 緑茶カウント:2杯

ズジスワフ・ベクシンスキー。「終焉の画家」なる異名を持つポーランドの画家。彼の作品の一枚は「三回見たら死ぬ絵」としてインターネットで話題になったこともあるので、どこかしらで見たことがある人も多いだろう。己は彼の画集を一冊所有している。

命が尽きた世界。廃墟と同化する人間は骸骨のように痩せ細り、悲壮感だけを身にまとっている。胃の腑の底がぐらぐら揺れるような気持ち悪さと、言い知れぬ不安感。心臓がざわめき、不快すら感じるのに食い入るように見つめてしまう絵の数々。ページをめくるたびに引き込まれ、いつの間にか没頭している。そして、ざわめきの中で静かになっている心に気付くのだ。

さて。ある人に好きな画家がいるかと質問をされた。その人とは知り合って一ヶ月程度である。己はちょっと考えてベクシンスキーの名を挙げた。するとその人はスマートフォンで画像検索をかけ、出てきた絵を見ながら言う。「あーわかります。すごくウヲさんみたい! いかにもって感じです!」と。画像検索をかけ、出てきた絵を見ながら。出てきた絵を見ながら。

たった一ヶ月の間にその人は、己の中にいったいどんな闇を見たと言うのか。

ええー。と思いつつ。しかも本人、褒め言葉のつもりらしいことが後のやりとりで知れた。仮に自分の描く絵がベクシンスキーのようであるという評価ならまだしも、その人に絵は見せていないし、己の絵はベクシンスキーのような絵ではない。つまり、だ。

喜んで良いのかどうなのか、若干悩んだ出来事だった。いや、好きだけどさ。好きだけどさ!



日記録2杯, 日常

2016年2月20日(土) 緑茶カウント:2杯

ええー。マジでどうしてこうなった。と思ったところで仕方がない。突然、サイトが壊れてしまった。URLを叩いてもサイトは真っ白で何も表示されず、管理画面にも入れない。え、ええ……。何これ、どうしよう。

悩みながら解決策を探した結果、管理画面に入れないという状態は変わらないものの、サイトを表示させることには成功し、よしよし一歩前進したなと安心したのも束の間、またサイトが真っ白になってしまい、己は呆然としたのであった。

2003年から続けているサイトがいきなり消える。日記もライブの感想も何もかもが消える。マジで? マジで? マジで? マジで?

泣きそうになったよ、マジで。

へとへとに疲れて眠りたいものの、復旧作業を止めることが出来ず、あらゆることを試し、あまりにもどうにもならなくて涙が滲んだ午前四時。何とか解決策を見つけて歓喜した午前五時。ここに至る道のりの遠さったらない。そして復旧の喜びを噛み締めながら、自分が思っていた以上に、このサイトは自分にとって大切な趣味になっていたことを実感したのであった。

一番最初に個人サイトを始めようと思ったきっかけは、ホームページというものを作ってみたかったから。自分だけのホームページを作るということが、とても格好良いことのように思えたから。当時遊びに行っていた趣味のサイトの掲示板に投稿するとき、「名前」「メールアドレス」だけではなく、「ホームページ」の欄にも文字を埋められる人に憧れたから。ブログもお絵かき掲示板もない時代だった。メモ帳にポチポチHTMLを打ち込んで、それからポチポチ日記を書くようになり、気付けば十三年経っていた。

多分、これは一生続けられる趣味なのだろうと思う。そして一生続けるためには、定期的なデータのバックアップと、ある程度の知識が必要とされることを実感した次第である。もう本当どうしようかと思った。あまりにもどうにもならなくてテストの過程でサイトを二つも作っちゃったよ。消すよ。あぁ疲れた。マジで疲れた。本当に疲れた。

まぁ、復旧できて良かったよ。



日記録2杯, 日常

2016年2月6日(土) 緑茶カウント:2杯

何年か前に描いたオーケンの模写。確か蔦Q時代である。

あぁ、何てめでたいことだろうか! 今日はオーケンこと、大槻ケンヂの五十歳の誕生日である。五十歳! 己が知ったときはまだ三十代で、初めてライブを観たときには四十一歳。それから毎年毎年、歳を重ねる姿を見つめ続けて五十歳。こうして五十歳のオーケンを見られることが、たまらなく嬉しい。

髪型が少しずつ変わり、容貌にも変化が生じていく。思えばターバンを巻いていた頃もあったなぁ。中野サンプラザの復活ライブを今観ると、若いなぁとびっくりする。蔦Qの頃は輪郭が丸くなっていたが、その後ダイエットに励みシュッとして、茶髪になったり白髪に戻したり。茶髪は茶髪で格好良かったが、白髪の非現実感はまさしくオーケンにぴったりですこぶる格好良い。

そしてやっぱり、ヒビが入っているオーケンが一番好きだ。昨今は筋少ライブでしかヒビワレメイクを見られないのが若干残念でありつつも、だからこそ筋少のオーケンがより一層特別なものになる。

遡れば高校時代。レンタルして聴いた「蜘蛛の糸」が全ての始まりだった。あれからオーケンの声と言葉は心の支えを超え、己の血肉になっている。大好きだ。これから先もずっと、六十歳七十歳八十歳九十歳、ずっとずっと見つめ続けて行きたい。

五十歳、半世紀! おめでとう!