未分類0杯, 町田康, 非日常

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憧れの町田康のライブを、ついに念願叶って生で目にして感動したのがちょうど一ヶ月前だったが、まさかその一ヵ月後に憧れの町田康による朗読を楽しみ、サインをいただき、握手をしていただき、脳が爆発することになろうとは夢にも思わなかった。夢にも思わなかった。

あー、嬉しい。

今回のイベントはタイトルの通り。「御伽草子」を各々の作家の味で現代風に書き換えた絵本の完結記念イベントである。場所は神保町の東京堂書店六階のホール。一階のカフェでイベントチケットとドリンクを交換し、会議室を連想させる無機質な部屋で作家の登場を待った。

穏やかな面持ちで現れた町田康は、一ヶ月前に暗闇の中で見たときと印象が変わらなかった。向かって左から町田康、堀江敏幸、藤野可織、三名の作家が長机を前に座る。長机にはコップとマイクとおしぼりが用意されていたが、コップは伏せられたままで、朗読が始まる前に作家から突っ込みが入るまで水が入れられることはなかった。どうやらスタッフが水を入れるタイミングを逃したらしい。

まずはこの「現代版 御伽草子」の仕事を依頼されたときの状況がほわほわと語られた。町田康が司会の代わりを務め、二人の作家に質問をすることでトークが回っていく。聞いたところ、この「現代版 御伽草子」の仕事は随分ふんわりしたかたちで依頼されたようで、最初は御伽草子をもとに何を書くべきなのかも作家によっては曖昧な認識で、堀江さんは絵がつくことすら後から知ったそうである。また、文章の後に絵を用意しなければならないため、締め切りが普段よりもきつかったらしい。

「現代版 御伽草子」を書くにあたっての姿勢もそれぞれ違い、藤野さんは町田康と堀江さんの作品を読んだとき、やりすぎてしまったと焦ったらしい。このとき、いったいどんな話を書いたのだろうと気になったのだが、後の朗読でその思い切りの良い改変っぷりを理解し、こりゃあ確かにと納得した。

トークは全体的にふわっふわしていた。自分は読書量が多くないうえ、かなり一極集中なタイプなので堀江さんも藤野さんも存じ上げなかったのだが、堀江さんがとても個性的な人であることが感じ取られた。動物園に行ったらゾウとキリンとカバだけで時間が潰せて、ゾウは二時間見ていられるほど好き、耳と尻尾が動くと幸せ、と淡々と語り、どこかに危うげな空気が混じる。そして締め切りについてはかなりな方らしい。その「かなり」とは、締め切りをきっちり守る真面目なパンクロッカー町田康と比較して、という意味である。

町田康が現代風にアレンジした「付喪神」については、町田康の言葉のセンスが面白いと堀江さんの口から語られた。例えば包丁がまな板に対して言う「おまえのそういう木材的にのんびりしたところが一番、嫌だったんだよ」という台詞。これを聞いたとき嬉しく思った。そうそう、「木材的にのんびり」という言葉の、何となく納得させられるイメージ。ここ、自分も好きだと思ったんだよなぁ。

あと、「御伽草子」を現代風に書き直すにあたって、古い言葉と新しい言葉をどのように混ぜるか、といった話も語られた。例えば堀江さんは「アンモラル」をあえて平仮名の「あんもらる」にして、あたかもその時代にあった言葉のように混ぜ込んでしまった。また、藤野さんは冒頭の「中ごろの事にやありけん」の意味を調べたところ気に入ったので、そこはその意味のままに書き下したそうだ。

町田康の「付喪神」について堀江さんからの言及も。ネタバレに配慮しつつ、後半でとんでもない展開になることについて触れた。そして後半、現代社会への批判が混ぜられているが、これは題材があった方が書きやすいんですか? だったかなぁ。ニュアンスを忘れてしまった。こういったことを聞いていた記憶があるのだが。それについて町田康はうーんと首をひねりつつ答えていた。

ちなみに町田康の「付喪神」は、「付喪神」と戦う相手が原典と異なっている。これについて、町田康は「そのままだと真言宗最強みたいになっちゃってつまらないから」といった内容のことを言っていたので家に帰ってから読んでみたが、確かに真言宗最強物語であった。なるほど。

トークの後は作家本人による朗読の時間に。町田康はいつものイントネーションで語っていて、ページをめくるときなどにたまに間が空くことはあれど、全く笑わないのがすごい。あの内容で噴き出さないのがすごい。いったいどんな内容なんだ、と気になる人は是非本を買って欲しい。わかるから。付喪神がヘッドバンギングするから。無論、会場からはたびたび笑いが起こっていた。

堀江さんはトークから時折醸し出される危うげな印象が引っ込み、淡々としていて聞きやすかった。藤野さんは語り口は普通なものの内容がぶっ飛んでいて、わりとストレートな現代批判が突っ込まれているように感じられた。正直最後まで聞きたかった。

最後はサイン会。もう興奮した。静かに興奮した。多くは語れなかったが、本も音楽も大好きなこと、新宿ロフトのライブに行ったことは告げられた。町田康はありがとうと言ってくれて、手を差し出してくれた。わーーーーーーーーーーーーーーー握手だーーーーーーーーうわあああああああああああ。気が狂った。

最後まで見届けてから会場を後にし、電車の中で町田康の「付喪神」とオリジナルの「付喪神」を読み比べた。あんなに荒唐無稽に感じられる町田康の「付喪神」は、意外にも原典に沿った内容になっていて、だから昔話って好きなんだようちくしょうめ、くーーーーーーと楽しさと嬉しさを改めて噛み締めたのであった。どっとはらい。



未分類0杯, 平沢進, 非日常

サッカーや野球のようなスポーツ観戦とライブコンサートの違いの一つに勝敗の有無がある。前者にはあり、後者には無い。よって通常、ライブコンサートの場合、終了後に勝利の美酒に酔うこともなければ贔屓チームの敗北に肩を落とすこともない。だいたい「今日の演奏良かったなー」「あの曲をやってくれて嬉しかったー」と満足して終わるが、今日は帰りの電車の中で、確かに己はうなだれていたのである。

まさかの、二日連続バッドエンド。
しかも、ほとんど同じルートで。

初めて参戦したインタラ「ノモノスとイミューム」では、二日連続グッドエンドで、さらにそれぞれ別種のルートを観ることが出来たのでルンルン気分で帰宅したが今回は。橋が破壊されず安心したのも束の間、アヴァターのポケットから転がり落ちたΣ-12の目玉が谷底へ落ちた瞬間の絶望感と言ったら無い。もう一度チャンスをくれと叫びたい気分だが今日は公演最終日。もうチャンスは無いのである。

そしてこの二日間で己はすっかりアヴァターに愛着を持ってしまっていた。己が参戦した一日目でアヴァターは何度も谷底へ落ちた。家に帰ってストーリーを思い返しながら歌詞を読み曲を聴き、どうにか彼をグッドエンドへ連れて行きたい、自我が無く不安ばかり抱えているアヴァターが堂々と己の信じる道を歩けるようになってほしい、と思ったのに。己の選択ミスにより、アヴァターはふたたび谷底へ突き落とされたのであった。

悲しかった。

アヴァターが何度も谷底へ落とされたかと思えば火事場のサリーのところに戻り、また落とされ、といった繰り返しの映像を見た後の「鉄切り歌」。冒頭で「何度も落ちる人を見た」と歌われ、まさにさっきの映像そのものでともすればギャグになりかねないが笑う余裕が無い。過去向く士に利用され、過去向く士の差し向ける幻影の衛星からの声を頼りに必死にホログラムの断崖を登っていたアヴァター。実際その崖は崖でも何でもなかったが、確かにあいつは頑張ったと思うぜ。

平沢の全力の歌唱「ホログラムを登る男」は今日も迫力満点で、この一曲で全ての力を使いきろうとしているのではないかと思うほど。この曲もグッドエンドルートへ進めていれば、怯え迷いながらも断崖を登りきり、真実を見つめることが出来るようになったアヴァターを祝福する歌になっていたんだろうなぁと思うとまた切ない。

とはいえ悲しくて切ないばかりではない。バッドエンドは残念だったがライブそのものはとても楽しかった。昨日は二階席から俯瞰の眺めを楽しみ、本日はアリーナ九列目の中央寄り。真正面から平沢をガッツリ観ることが出来た。両方味わえてラッキーだった。

二階席から観たときは降り注ぎ旋回する光の雨を見下ろせたので、ステージと会場がキラキラと彩られる様を視界に収めることが出来た。対して本日はまさに光の雨の中にいると言った感じ。カラフルなスポットライトが平沢を照らし、ライトは色も形も変えて縦横無尽に動き回る。青いライトで照らされるとまるで海の中にいるような心地になり、幾本もの細く白いライトがステージを照らせばまるで平沢が後光に照らされているように見えた。神々しかった。

そしてとっておきが最後に一つ。今回自力で「WORLD CELL」を回すことが出来なかったが、アンコールでステージに再登場した平沢、「私はどの平沢でしょう?」と口にする。何とアンコールで登場した平沢は今までステージに立っていた平沢ではないそうで、さっきまでの平沢に頼まれて「WORLD CELL」を回しにやってきたという、別次元の平沢だそうだ。つまり谷底に落とされたショックで自我を取り戻し、元のタイムラインで「WORLD CELL」を回したアヴァターそのものか…!?

別次元の平沢は「コツをつかんだ」と言っていともたやすく「WORLD CELL」を回した。もしこの彼があのアヴァターであるなら、不安ばかり抱えていて、自分で考えることが出来ず、過去向く士についてきた挙句に利用された男が、我々の世界を救うためにまたタイムラインを飛び越えてやってきてくれた……と考えると、バッドエンドではあるが、ここまでの道は無駄じゃなかったのかもしれないと思える。

「WORLD CELL」はまるで花咲くように徐々に開き、回転し、「穏やかで創造的な知識活動」の象徴だろう、光の粒子を集めていく。光はWORLD CELLを中心に渦に飲まれるように回転し、気付けば平沢の頭上には銀色に輝くミラーボール。そしてスクリーンと会場が一体となり、まるで自分達がWORLD CELLの中心にいるかのような錯覚を覚える光景に包まれたのである。美しかった。

あぁ、でもこれをお情けでなく、自力で観たかったなぁ。

他に印象的だった場面も書き記しておこう。「オーロラ」の最後の繰り返しで、背が多少弓なりになりつつも、余裕の表情で歌っていたことに驚いた。まだまだ余力はたっぷりある、といった様子である。流石だなぁと舌を巻いた。

「火事場のサリー」ではPEVO一号と共にステージの段差に座り、タルボを抱えて弾き語り。足でトントンとリズムをとりながら歌っていたのがキュートで、サビの声の美しさに聴き惚れた。透明感があってたまらない。そして「ハッ!」と言うところでは真面目な表情で右を向く仕草。格好良かった。

特筆すべきは「鉄切り歌」。通常、ミュージシャンが観客に合唱を促す場合、観客にマイクを向けることが多いと思う。しかし平沢は歌っている最中に不意に口をつぐみ、明後日の方向を向いて黙った。ここでその様子から読み取れた。「おまえらがうたえ」という言葉が。そして発生した「だんだん切れ!」という楽しい合唱。腰に手を当てて仁王立ちをして客席を睨みつける平沢は合唱をしている我々の様子を見守っているようにも見えれば、二日連続でバッドエンドルートを選んでしまったことに対するお怒りの表情にも見え、「あぁごめんなさい平沢様!!」と叫びたい気持ちになりつつひたすら「だんだん切れ!」と合唱した。めっちゃ楽しかった。

あと、Σ-12が海水浴に行くと言っていたのが面白くもあり嬉しくもあった。白虎野で公開手術の刑を受けた別次元の平沢がΣ-12である。結構な悲劇である。そのΣ-12がノモノス・ハンターとして働いたり、海水浴に出かけたりと、何だかんだで楽しそうにしているのが嬉しい。

インタラクティブ・ライブから帰り、日常に戻りつつある今はひたすら「ホログラムを登る男」を流しながらちょくちょく歌詞カードを手にとって読んでいる。ライブの後からアルバムの聴こえ方が変わった。点と点が繋がったのである。ただ耳に心地良かっただけの音が意味を持って脳に入ってくる。

谷底に突き落とされるあの背中はきっと、誰のものにもなるのだろう。あの二日間であれだけの愛着をアヴァターに持ってしまったのは、彼の要素が自分の中にもあるからに違いない。また、平沢の発するメッセージと正反対の人物「アヴァター」もまた平沢進の姿そのものだ。彼は別次元の平沢という設定だが、平沢の中にもそういった部分があって、それを自覚しつつ外道であり邪道である道を選ぶ覚悟を持って進んでいるのだろうか。

バッドエンドの悔いがあるせいか、ついつい考えてしまう。グッドエンドを観たかった気持ちに変わりは無いが、この余韻はこれはこれで、少し楽しい。



未分類3杯, 平沢進, 非日常

照明演出の豪華さとスクリーン映像のシンプルさが印象的なライブであった。二階席からの観覧により、ステージの平沢とアリーナ席が視界に収まり、ぐるりとホール内を見渡せばどの席もぎっちり満員御礼で、立見席にまで人がずらり。己が初めて平沢のライブを観たのは2011年の東京異次弦空洞だが、年々動員が増えているように感じるのは気のせいだろうか。

ステージの脇に近い座席からはステージのスクリーン映像が見えにくくなっているが、天井近くにモニターがあり、そこにスクリーン映像とステージの様子が映し出される配慮もあった。流石にインタラでスクリーンが見えなかったら物語が把握出来ないし辛いものなぁと納得。ありがたいことである。

今回はいったいどんな物語だろう、いったい何人の平沢が物語に組み込まれるのだろうか、とわくわくしていると開演の合図。しかしいつもとちょっと様子が違う。ステージの下手にスタッフのお姉さんが立ち、分岐の方法について解説と練習を行うとアナウンスが。何だ何だ? と思うとスクリーンに映し出されたのは機械的なデザインの円二つ。左が赤で、右が青。

ストーリーで分岐が発生した際、今までは右に進みたい人は右の表示が出たとき、左に行きたい人は左の表示が出たときに大声を出し、その声量の強さよって進むべき道を定めるパターンが多かった。しかし今回は、赤はメジャーコード、青はマイナーコードと定められ、自分が行きたい道の方の音程で大声を出し、その響きによって進むべき道を判定すると言う。

おおーう面白いけど難しそうだなーと思いつつ練習。実際、面白いけど難しかった。まず赤の円が存在を主張し、メジャーコードのサンプル音が鳴り、それを真似して大声を出す。次に青のマイナーコードを練習。そして赤と青、交互に声を出し、最後に赤と青が同時に点灯。無論メジャーとマイナーを同時に発生することなどできないので、ここで自分が進みたい道の音を選び、大声で叫ぶのである。

ホール中に響く二種の音。やってみるとわかるが、どうしても多い方に釣られそうになる。探り探りにもなる。こいつぁ大変だ、頑張らなきゃなと気合を入れたところで練習終了。ついに本当の開演と相成ったのである。

無人のステージに掲げられた巨大スクリーンに白髪のヒラサワこと「過去向く士」が映し出され、ストーリーが語られる。ものすごくざっくり言うと、この世界の存亡に関わる「WORLD CELL」が停止してしまったので、再稼動させなければならない事態になった。そこにやってきたのが「過去向く士」こと別の世界のヒラサワ。さらに、「過去向く士」を追ってやってきたのが「アヴァター」で、これもまた別の世界の平沢だが、主体性がなく常に不安を抱えて右往左往している。「過去向く士」はそんなアヴァターを利用して「WORLD CELL」を再稼動させようとしているのだが……。

ちなみに今回の公演ではバッドエンドのルートを辿り、アヴァターがいなくなった後いつの間にか現れて鉄を切る平沢と、背中に黒い羽の生えたヒラサワが空を飛んでいく映像が映し出された。過去向く士、アヴァター、ステージの平沢、Σ-12、鉄を切る平沢、黒い羽の生えたヒラサワ、この公演だけで六人の平沢が発生している。今までインタラを全て合計したら何人になるのだろうか。この無数の平沢を見分けることを考えたらおそ松さんを見分けるなんて余裕のよっちゃんなんじゃあないか? などとエンディングのスタッフロールを見ながら思った。

「断崖を登る」シーンがメインなこともあり、今回の映像は比較的シンプルである。崖と空と平沢と、宙に浮かぶ奇抜な登場人物。前回の「ノモノスとイミューム」に比べると随分あっさりしているが、準備期間の短さを考えるとよく間に合わせたな……と思わざるを得ない。

対して照明の豪華さはすごかった。ステージから客席に放たれるレーザーハープの美しさはもちろん、曲に合わせて色とりどりの光がホール中を旋回するのである。多彩な光の演出は息を呑む美しさで、音楽の美しさをより一層引き出していた。溢れる光と音の中、豊かな声で叫ぶ平沢を観て、光と音の魔術師というどこかで聴いたようなフレーズが脳裏に浮かんだ。

一曲目は「舵をとれ」で、二曲目から「アヴァター・アローン」「アディオス」「回路OFF 回路ON」と続いた。「ホログラムを登る男」以外で演奏されたのは「舵をとれ」「オーロラ」「橋大工」の三曲。「オーロラ」のとき、オレンジの光が照射されていてそれが実に美しかった。

「MURAMASA」では助っ人のPEVO1号が刀を持って登場し、振りかぶってレーザーハープの弦を切るという演出が! 切られた弦からイントロの「ビーッ!」という音が流れ、スクリーンには断崖を登るアヴァターの頭上に無数の刀が降り注ぐ。そして何故かアヴァターの眼下にはタコ! 巨大なタコ! スクリーンとステージ、どっちを観れば良いんだ、そもそも何故断崖にタコが……。このとき己は若干混乱していたと思う。

どの曲か忘れたが、ギターの出だしを間違えたのか、無音の中で「ピョーンッ」と響いた後、何事もなかったかのように弾きなおしたり、曲の入りがちょっと不安定だったりといった場面があって満足した。いやあやっぱり人間なんだなぁ……と思ってしまうのである。重々承知しているはずなのだが、未だに。

ド迫力だったのは「ホログラムを登る男」。始まりの声のパワーの強さに圧倒された。他の曲ももちろんすごいのだが、この曲が一等抜きん出ていた。生の歌声であることを強く実感した瞬間だった。CDも迫力があるのだが、あれはあえてやわらかく抑えているのか? わざと? と思うほど。脳と心臓を突き抜けていくというか。すごかった。

あと「オーロラ」のアレンジ。ライブで聴く機会が多い曲は、そのたびごとに別のパターンを楽しめるのが嬉しい。何とも得した気分である。

帰り道で「Wi-SiWi」の歌詞を反芻する。あのエンディングから考えるに、「起きろ外道」「笑え邪道」の「外道」と「邪道」は罵倒語の意味合いではなく、主体性なく道に迷いながら何となく周囲の空気に合わせて歩まれる「正道と言われているもの」の反対を表しているように思う。そしてあの谷底に落ちつつも目覚めたアヴァターのように、意思を持ってあえて外れた道、邪とされる道を進むことこそを祝福しているのだろうか。あぁ、でも歌詞カードをまだ読み込んでいない。

ライブの余韻に浸りつつ、反芻しながら今日は歌詞カードを味わおう。もしかしたら明日の公演で新たな発見を得られるかもしれない。



未分類0杯, 筋肉少女帯, 非日常

20151123

タワーレコード新宿店でインストアイベントが行われたトーク&ミニライブ。インストアイベントでは大抵、メンバーの頭が見えればラッキーくらいの位置なのだが、今回はがっつりと頭から爪先まで見える位置を確保出来た。ありがとう素敵な整理番号。途中何度かオーケンと目が合った…そんな幻覚が発生して非常に幸せだった。こういうことは思い込んだ方が勝ちかもしれない。

演奏された曲は「香菜、頭をよくしてあげよう」「おわかりいただけただろうか」「別の星の物語り」「LIVE HOUSE」の四曲。最初に香菜が始まったときは「えっ!? おまけのいちにちのイベントなのに!?」と度肝を抜かれたが、オーケンがギターを弾ける曲、ということで選ばれたようだ。

また、今回のイベントで特徴的だったのはメンバー全員が歌ったこと。香菜はオーケンで、おわかりが橘高さん、別の星が内田さん、LIVE HOUSEはもちろんおいちゃん。まさか全員の歌唱を間近で堪能出来るとは思わず、何とも豪華だなぁと非常に満足したのであった。

さて、覚えている内容を簡単にまとめてみようと思う。言い回しや順番が不正確な箇所もあるかもしれないが、大目に見てもらえるとありがたい。

■始まり
「お足元の悪い中ようこそ起こしくださいました」というオーケンの挨拶から始まり、今回のインストアライブこそがツアーファイナル、いや後夜祭だという話に。そして「おまけのいちにち(闘いの日々)」というアルバムに言及。再結成後は、「筋少はこうである」という確認と思い込みから始まり、「THE SHOW MUST GO ON」で完成形が出来た。そしてその後に、こんな変わったアルバムを作れた。それが嬉しい、という内容だった。

■レジテロの夢はビートルズ
「おまけのいちにち(闘いの日々)」に収録されている曲の話へ。「レジテロの夢」の歌詞についてオーケンが解説。序盤の「地獄ない 天国ない 空と今があるだけ」はビートルズの「イマジン」の歌詞の和訳から来ている。だから「ジョン・レノンでさえない」という言葉がある。ただ、筋少を聴く人はビートルズを聴く人が少なそうだからここで説明してみました、とオーケン。

■「香菜、頭をよくしてあげよう」演奏コーナー
オーケンがアコギを弾き、メンバーがオーケンのアコギに合わせて演奏……するのだが、何故かメンバー全員がオーケンを凝視していて、どこか戸惑っている空気が感じられる。そして探り探りのような危うさ。何だろう? と思ったら演奏後に判明。オーケンはこの曲を、人間椅子のワジーをはじめ、いろいろなミュージシャンとアコギで共演してきたのですっかり忘れていたそうなのだが、筋少メンバーと演奏したことは一度も無かったそうなのだ。まさかこの曲をアコギでどのように弾くか筋少メンバーがわからないとは夢にも思わなかったらしい。「ここでブレイクがくるなんて思わなかったよ!」と橘高さんが笑いながら抗議していた。というか、一度もメンバーと合わせずに本番に臨んだのか! すごいな!

■「おわかりいただけただろうか」演奏コーナー
橘高さんボーカルの力強い「おわかりいただけただろうか」。ここでオーケン、ギターの弦を木製の洗濯ばさみのようなもので挟み、さらに音が出ないようにしてほしいとスタッフに指示。このあたり、細かいところはおいちゃんが指示していた。ここから先はギターを持ちつつのエアギターで好き勝手にやるそうな。その件について橘高さん、ついこの間のライブのレポートがネットで公開されていたのだが、そのレポートに掲載されている写真がまさにギターを持ちつつエアギターのオーケンで、その写真だけ見るとものすごくギターが上手そうに見えることに言及。オーケン「良い写真を選んでくれましたね!」橘高さん「あれはずるい! 滅茶苦茶うまく見える! シールド刺さってないのに!」

そんなやりとりの後、「おわかりいただけただろうか」の演奏へ。橘高さん曰く、この曲をアコギで弾くと油断すると遅くなってしまうので気をつけて、とのこと。そして実際聴いてみると、アコギでやるのは無理があるんじゃないか!? と思う迫力だった。

■「別の星の物語り」演奏コーナー
この曲の作曲者は橘高さん。橘高さんといえばヘヴィメタル。そんな橘高さんが橘高さんらしくない曲を作ったその意図は? と尋ねるオーケン。「意図ぉ!?」と反応に困る橘高さん。そこから、「自分の担当ではない曲をたまに作ると面白い曲が出来る」という話へ。そこからさらに「THE SHOW MUST GO ON」の「恋の蜜蜂飛行」の話へ飛ぶ。この曲が出来たのは最後だそうで、もう一曲橘高メタルが欲しいなぁ、とオーケンが言ったところ、橘高さんが「メタル~…?」と渋り、そこへ「それは君の仕事だろう!」とオーケンが突っ込んだ、という懐かしい話へ。そうそう、そんな話もあったなぁ。

また、こんな話も。「別の星の物語り」はオーケンが歌う曲だが、オーケンの意向で内田さんのキーに合わせて通常よりも低くなったらしい。曰く、内田さんが歌うと似合いそうだったからとのこと。そして実際特典のCDで歌唱することになった内田さんは野口五郎を意識。さらにオーケンも実は野口五郎を意識して歌っていたことを告白。「わかる、わかるよ!」と笑う橘高さん。そろそろ己も野口五郎に手を出さねばなるまいな……と思った。

さて、演奏に移り、内田さんがウクレレベースをポクポクと叩き、メンバーもそれに合わせてギターをポクポク叩く。そのまま数秒。曲は始まらず、「この間は何?」「誰がカウントをとるの?」「内田がカウントをとるんじゃないの?」と突っ込むメンバーの声。その後ようやく内田さんがカウントをとることで曲が始まったが、しばらく無言の「ポクポクポク」が続き、「筋少は振ってるのに応えてもらえなかった、何か振られているけどそれがわからない、そういうのが多い、そのままここまで来てしまいました」という話に。

「別の星の物語り」のとき、内田さんが「手を振りながら去ってく」と歌いながら手を振る仕草を見たオーケンが、ワンテンポ遅れて真似して手を振っていたのがキュートだった。

■「LIVE HOUSE」演奏コーナー
たびたびネタにされていた「LIVE HOUSE」だが、実はエッグレイヤーでしかやってない、という話に。有頂天でも伝染病でもやっていない。伝染病をやっていた頃にはそもそも「LIVE HOUSE」は存在していなかった、とおいちゃん談。その露出頻度のわりに大いにネタにされていたせいか、おいちゃんの中で「LIVE HOUSE」は封印されていたそうだが、そんなにやっていなかったのに印象に残っていたってことはやっぱり良い曲だったってことだよ!! とオーケン。照れるおいちゃん。

いよいよ「おまけのいちにち(闘いの日々)」で「LIVE HOUSE」を録音することになったとき、エンジニアに参考までに当時のテープを聞きたいと要望があったそうで、おいちゃんは当時の録音テープを渡したそうだ。しかし、エンジニアから返信は来ず。後日会ったとき、エンジニアはとても何かを言いづらそうな顔をしていたそうで、その理由についてオーケンが言及。曰く、オーケンでもわかるくらい、ギターもベースもチューニングが合っていなかったそうだ。それなのに自信満々な歌唱が乗っていた、という代物らしい。しかしオーケンはこの若さの勢いのようなものをいたく気に入っているようで、特典にあのテープをつけたい、という話をしていた。

また、「LIVE HOUSE」の歌詞について、最初おいちゃんはうろ覚えで歌詞買いたそうなのだが、後で確認したら間違えていたのでリリース前にちゃんと直したそうだ。「うろ覚えはいけないね」と言うおいちゃんは、「LIVE HOUSE」の手書きの歌詞を未だにきちんと保管しているそうで、実現こそしなかったものの、その手書きの歌詞を歌詞カードに印刷する案もあったそうだ。

あと、ちょっと意外で嬉しい話が。「LIVE HOUSE」に収録されている歓声が、ライブでオーディエンスが実際あげた声を録音したものだそうだ。橘高さん曰く二公演分で、ここにいるお客さんならきっと入っているだろうね、とのこと。やばい興奮する。そこにオーケン「どうして二公演なんですか? 一公演じゃ足りなかったんですか?」と茶々を入れる。すかさず橘高さんが「よりたくさんの人の声を入れたかったんだよ!」と反撃。しつつ「素晴らしい素材をありがとうございます」というようなことを言って「素材!!!!」とオーケンに突っ込まれる。それをいなしつつ我々の方を向いて「声が入っているから、CDデビューしました~って親戚の人に手売りしてくれても良いよ」とニコニコ。くわあ。売りそう。

「LIVE HOUSE」の演奏中は手拍子が鳴り響き、さながらここがタワーレコードではなくまさにライブハウスのような空間に。濃い色のサングラスをかけたおいちゃんの歌唱が響き渡る。おいちゃんはわりと歌うのが好きで、歌いたくてエッグレイヤーを結成、というか乗っ取って「LIVE HOUSE」を歌ったそうだ。そんなおいちゃんに「よく今まで黙ってましたね」と言うオーケン。「歌いたいけど録音するほどじゃなかった」と返すおいちゃん。いやおいちゃん、あなたの歌唱は格好良いですよ。歌ってくださいよ。

ちらちらとスタッフのおねえさんが残り時間が書かれているであろうノートを持ってステージ前に乱入してくるのが微笑ましい。「LIVE HOUSE」が終わった後だっただろうか、来年、筋少が再結成後十年の節目を迎える話になった。早いなぁ。当時己は二十歳だったよ。それが三十になるんだよ。そりゃあ年もとるわなぁ。ありがたいありがたい。しみじみしていると、「LIVE HOUSE」のおいちゃんの手書きの歌詞のように、そういった年季物が他にもあるから、それを特典につけるかもしれないね、あぁでも言ったらつけなきゃいけなくなるねという話に。うわあつけてくださいよ! 是非! 後追いファンはそういったものに飢えているのだから! と興奮する自分。まあもちろん全員が全員じゃあないだろうけど。

■その他
あと、どこだったかな。立ち位置を変えると面白い、という話もあった。普段、皆さんいつも同じ位置で見てるでしょうけど、違うところに行くと別の景色が見えますよ。例えばいつも前方にいる人が後方に行くと照明の素晴らしさに気付いたり。そういえば前方はマーシャルの音がまっすぐに届いていますが大丈夫ですか? などなど。橘高さんもマーシャルの音を直に受けないよう調整しているそうだ。また、若い頃は特に、花道で花火などが爆発する演出があり、それが怖いので「わーーーーーー!!」と叫んでいたそうだ。そして今は橘高さん、おいちゃんと向き合うと「気付け」のためにお互い反射的に「わーーーー!」と叫んでいるそうだ。目が合うと「わーーーーー!!」二人が向かい合ったとき、ニコニコしながら大口を開けている様を目にしたことは多々あるが、あれ実際叫んでたんか。

それと最近、メンバーがライブ終了後、ステージから去るのが遅くなっている話へ。「再結成前はそうじゃなかったよね?」「だんだん遅くなってるよね?」とオーケン。頷く橘高さん。対してものすごく早いのがエディで、橘高さんがマーシャルを蹴り倒している頃には既にステージからいなくなっている。そこから、今度は「今エディが新幹線に乗りましたーもう名古屋を通過しましたー」とオーディエンスにアナウンスしようかという冗談が飛び交う。

最後は十二月二十三日の、リキッドのライブについて。「LIVE HOUSE」のトークから、「良い素材を提供してくださいね」と笑うオーケン。そしてメンバーが退場。今回、メンバー全員がサングラスをかけていて、オーケンはちょい悪親父ぶっていたのだが、最後にサングラスを外してくれて、見える目。やっぱ素顔の方が好きだなぁ格好良いなぁ、と思った。橘高さんはスタンドマイクに貼り付けたピックをパラパラと投げてくれ、己はそのおこぼれをちょうだいして、内田さんのスタンドマイクにはピックがくっついていたけど内田さん、指でウクレレベースを弾いていて、あれもしかしてのピック、ほとんど意味なかったんじゃね? と気付きながら、楽しいイベントは終わったのであった。おいちゃんはいつも通りニコニコの笑顔。橘高さんは気のせいかいつもよりクルクルのパーマ。オーケンの靴下はもしかしたらファンに言及されるかもしれないデザインで、内田さんは暖かそうな格好で。それを全て見られて嬉しかったなぁと思いつつ。四十五分の短さを知ったのである。



未分類0杯, 初参戦, 町田康, 非日常

この「宮川企画」の趣旨を全く把握しないままにチケットを取ったのは憧れの町田康が出演するから。「汝、我が民に非ズ」というプロジェクト名にて、ついに町田康がライブをやってくれるから。

そして。結局己はこの「宮川企画」が何を意図した企画だったのか知ることなく帰路に着いたのだが、ただただ多幸感。あぁ、だって、やっと町田康の歌を、姿を、生で堪能出来たのだから!

前から二列目で視界も良好。町田康の前に三組の出演者がステージに現れ、それぞれ楽しんだり合わないなーと思ったりしながら町田康の登場を待ちわびた。リアルタイムでサンプリングしながら歌う「UHNELLYS」は面白く、日本語ラップの「MOROHA」は、言葉と声に力強さを感じつつも自分の好みには合わなかった。台詞量が非常に多いので、西原理恵子や新井理恵のふきだしみたいな密度だな……と思ったことは印象に残っている。「行方知れズ」はすごかった。というか客の盛り上がりがすごかった。叫びながら踊り狂うはステージに乱入するはダイブが発生するわと直前までの空気から一変。横を見ればステージに背を向けて携帯電話を片手に自撮りを行う者もいる。おいここ写真撮影禁止だろうが、だめじゃないか何だこれ。今までこういうノリのライブに参加したことが無かったためちょっと戸惑った。

そして最後の出演者が町田康。グレーのジャケットに黒のシャツ、ダメージジーンズという出で立ちで、片手には歌詞が書かれた紙。長い髪が邪魔になるのか、たびたび髪を耳にかける仕草をしていた。眼鏡はかけていない。近年、書籍などで町田康の写真を見るときは眼鏡がかけられている姿が多かったので、ちょっと意外で嬉しかった。

一曲目は「305」。INU時代の曲で、何度となく聴いた曲である。この日は町田康名義ではなく「汝、我が民に非ズ」名義ゆえ、一曲目から知った曲をやってくれるとは思いもしなかったので興奮してしまった。

町田康と言うと目をかっと見開き、ギョロギョロさせながら歌うイメージを持っていた。しかし今目の前にいる本物の町田康は目をギューッとつむって力強く叫びながら歌っていた。時折、楽しそうに笑顔を見せながら歌うとき開かれる目がキュートである。膝を軽く折り、スタンドマイクを握り、叫ぶ声歌う声を聴く。危うさよりも穏やかさが感じられ、楽しそうだなと思った。

タイトルは不明だが、「遠く離れていても大丈夫ー遠く離れていても仲間だよー」といったような歌詞を歌っていたとき。きちんと聴き取れなかったので歌詞の全体像を把握出来なかったのだが、多分単純にハートフルな曲では無いのだろうな、何かあるのだろうなと思いながら聴いていたとき。曲中でぼそっと「俺から離れられると思うなよ」といった内容の言葉を町田康が呟いて、このときそこここから悲鳴が上がった。この一瞬の表情がとても格好良かった。

「305」の他、INUの曲では「フェイド・アウト」と「つるつるの壷」を歌ってくれた。「お前の頭を開いてちょっと気軽になって楽しめー」と歌うとき、町田康は両手を広げ、にこやかに楽しそうにしていて、それを見ている自分も楽しくなって、そしてこのフレーズが大好きな自分を再確認して、自分の頭を開いてちょっと気軽になりたい気分になった。

終始、楽しそうで嬉しかったなぁ。しつこい野次もあり、ちょっと黙ってろよと観客に対し腹の立つ場面もあったが、町田康本人は拾うところは拾って上手にいなしていた。「INU--!!」としつこく叫ぶ客がいれば「最近は猫の本も書いていまして」と言って笑いを誘う。歌詞を覚えていないと告白し、歌詞の書かれた紙を用意するも風に飛ばされしっちゃかめっちゃか。床に散らばった紙を拾いつつ、次の曲の歌詞がなかなか見つからず、本当に困ってしまったようで、「二分待ってください」「しばしご歓談を」と弱りながら観客に声をかけてまた笑いが起こる場面も。

最近野球に興味を持てない、何故なら誰が誰だかわからず感情移入出来ないから、というMCから、では誰が誰かわかった方が楽しめるでしょうから……とメンバー紹介が行われる場面も。他、告知もあったがアルバムやライブの予定については特に無かった。

新曲を聴ける嬉しさと、新曲を反芻出来ないもどかしさがない交ぜになる。リアルタイムで、今まで聴いたことが無かった町田康の曲が聴けるのは嬉しいのに、それを今度いつ聴けるかわからないなんて! ただ、新しくプロジェクト名を名乗るからには、きっと今後もちょこちょこと活動があるんじゃないかしら、あってほしいなぁと願いつつ。思えば聴きたい曲は他にもたくさんあって、「犬とチャーハンのすきま」の曲も聴きたいなぁそういえば新曲に「チャーーーーハーーーーーン!!!」「ラーーーーメーーーーーーーン!!!」って絶叫する曲があったなぁあれはいったいどんな歌詞だったのだろう読みたいなぁ、と思う夜。

思えば今週は二回も夢に町田康が出てきた。いったいどれだけ楽しみにしていたんだよと我ながら思ってしまう。初めて町田康を知ってからそろそろ十年。最初はエッセイから入り次にCDを買って文章も音楽も好きになった。特に文章にはちょっとどうだろうと思うくらいに影響を受けてしまった。大学の頃は町田康の詩集を常に鞄に忍ばせていた。あの頃も、一度観てみたいと思っていたのだ、そういえば。ついに叶ったんだなぁ。

最後に。今日、楽しそうに穏やかに歌う町田康の姿を観たとき。感動し興奮すると同時に、様々な人の口から語られる、昔の狂気じみた頃の姿、それはもうイメージでしか無いのだが、そのイメージがふっと出てきて、きっと全然違うのだろうな、と思った。だがそれを求めている人もいるのだろう。自分も全くゼロでは無い。ただやはり今こうしてここにいる町田康が好きで、その履歴も好きで、その先も観たいと思う。ギューッと目をつむって歌う姿から感じられる必死さをまた観たい。きっといつか、またどこかでやってくれることを願って。願って!