日記録2杯, 日常,

2014年3月25日(火) 緑茶カウント:2杯

空腹感を紛らわすため軽食を摂ることにした。冷蔵庫には大根、ゴボウ、人参、タマネギ、スモークチーズ、大根の味噌漬け、菜の花のお浸し、スナップエンドウのお浸し、デコポン、味噌、きゃらぶき、などなどがあるが、取り出したのはヨーグルトとバナナ。料理をするのが面倒くさかったのである。

そうして器にヨーグルトをよそい、皮を向いたバナナを入れてスプーンで潰し、バナナとヨーグルトが一体化するまで混ぜて、ほんの少し砂糖を加えてさらに混ぜてこれを食した。やさしい味がした。予想通りの味だが美味しい。美味しい………が、このドロドロに溶けたものを食べていると、まるで自分が固形物を噛めない力なき者か、噛めても飲み込めない力尽きた人か、飲み込めても消化出来ない力果てた人のような気分に陥る。爪先から脳天まで健康なのに、良くて病み上がりの気分である。

あぁ、流動食に似てるのか。と、その実物を見たことが無いのに思った。もしくは離乳食。赤子か病人の気分を味わえる軽食。必要も無いのに食後安静にしなければならない気分になる食べ物だった。妙なものだ。



日記録2杯, 日常

2014年3月24日(月) 緑茶カウント:2杯

この季節はいつも何を着れば良いかわからなくなってしまって困る。そして結局冬の装いのまま外に出て、人々とのギャップに悩むのだ。とはいえ夜になれば冷え、春服を着て外に出たことを後悔することもしばしばで、かといって夜に備えて上着を持ち歩くのは面倒くさい。しかし冬服では暑苦しい。

悩む。悩むが四月も目前だ。今週末あたり、春物を買っておきたいものだなぁ。



日記録1杯, 日常

2014年3月22日(土) 緑茶カウント:0杯

その人はこともなげに話していたが、聞いている自分は冷や汗が流れる、ほどではないものの、胸騒ぎを感じ、これは良くない質問をしてしまったか、と狼狽した。

質問の内容は単純だ。「どこか、観光するに適した神社を知らないか」。

さて。自分の宗教は何かと問うならば、それは神道である。しかし自分の宗教というよりも家の宗教と言う方が正しく、また、それはたまたまそうであったに過ぎず、普段ことさらに神道を意識することも無い。家が仏教の家であったならば自分はそれを自然に受け入れただろう。坊さんの世話になるか神主の世話になるか、その程度の違いにしかならない。

とはいえ無宗教かと言われればそれも違い、お天道様が見ているのだから悪いことはすべきでないとか、そんな程度の宗教的意識はあるにはあるが、さほど他者の宗教に対してどうこう言うことは無い。まぁ、神道はそもそも教典が無いので、ゆるいのだ。意識が。よって気が回らなかったのだ。ゆるくない意識を持つ人に対しての配慮が。

不味い話題を出してしまったな、と思った。「鳥居をくぐってはいけない」「おみくじを引いてはいけない」「自分とこの教祖様だけを信仰しなければならない」、したがって、神社については詳しくない。自分が知りたいのは最後の「詳しくない」の箇所だったが、印象に残ったのは頭のところだった。あぁ失敗した。己は失敗したのだよ。

日本は宗教に対してゆるいもの、という思い込みこそ間違いだったのだなぁ。知らぬ一面を垣間見て、まぁ、こんなこともあるかと思いつつ。神社や寺はただの観光名所ではないことを今更に思い知らされるのであった。



日記録0杯, 日常

2014年3月20日(木) 緑茶カウント:0杯

何故今になってそんなことを詰問されねばならぬのだ。酒豪の友人と杯を交し合う最中、会話の流れで軽く質問をされ、それに答えていたらいつの間にやら質問攻めをされ、それもなかなか厳しい気配。何だ何だ、何故今になって、そんなことにそんなにまで厳しい口調で問い詰められなければならないのだ。そして何故友人は、これこれこうであると説明したことを全く理解してくれないのか。

と、友人の妙な迫力に若干の恐怖を感じていたのだが、後になってわかった。友人は素面の顔で泥酔していたのである。顔を朱に染めず、口調も明瞭のまま、脳みそだけがとろけきっていたのだった。

店を出た後道端にうずくまる友人を介抱しつつ、顔に出ないのも難儀なものだと思いつつ、己も気をつけようと自戒した。



日記録1杯, 日常

2014年3月19日(水) 緑茶カウント:1杯

頭ではわかっているはずなのに、「春分」「秋分」の読みを、一瞬いつも迷ってしまうのは、わかっているつもりでわかっていないのかもしれない。結局。

金曜日は祝日だったんだなぁ。気付かなかったよ。