日記録2杯, 日常, 筋肉少女帯

2014年10月8日(水) 緑茶カウント:2杯

筋肉少女帯の「THE SHOW MUST GO ON」を聴いている。まだ聴きこんでいないものの、繰り返し聴く中で一つ発見があった。

一周目に聴いてすんなりとツボにはまったのは「労働讃歌」「ゾロ目」「霊媒少女キャリー」「恋の蜜蜂飛行」。オーケンの歌い方で言うと、「労働讃歌」「ゾロ目」あたりの、耳慣れた歌声と叫ぶ調子がとても好きで、それでいて暑苦しいコーラスが入り、スピード感があり、ギターとピアノが激しい鍔迫り合いを演じる曲が好きなのだ。

しかし、二周目で己の心を掴んだのは「月に一度の天使(前編)(後編)」で、三周目に心が落ち着かなくなったのは「気もそぞろ」なのである。

「月に一度の天使(前編)」は、最初「香菜みたいだな」という感想を抱き、サラッと聴いただけだった。オーケンの妄想愛娘ブーム結構長いなー、程度にしか感じなかった。ところが「愛の讃歌」を経て「後編」を聴き、またぐるりと周って「前編」に戻ったとき、何とも言えない切なさに見舞われたのである。

成長した愛娘が身勝手な父親に愛想を尽かし、もう会わないと伝える。そこで「おこづかいあげるから」と引きとめようとするも叶わない。あぁ、引き止める台詞、そんなものしかないのかよ! という寂しさが! またきつい。それでいてリアルに感じるのだ。

前編の最後、「陽がくれたら」の後にあるのは「ラララ」で、もう「また来月」は無い。ガラケーを見つめる後姿が目に浮かぶ。そしてしょんぼりと曲は終わってしまうのだ。

ここから愛の讃歌を経るのが良い。時が経ち、後編に移行し、娘に会えなくなった父親は変わらず小さなライブハウスで歌う日々を続けているが、そこに奇跡のような変化が訪れるのだ。言ってしまえば都合が良い。かつて一方的に別れを告げた愛娘が父親の前に現れる。それも父親が教えた音楽や本を吸収して「また教えて」とやってくるのだ。頭の片隅で思う。こんなものは親父の妄想だと。ドリームだと。ファンタジーだと。しかし、この都合の良い展開が生じてくれて良かったと心から思うのだ! 奇跡をありがとう神様と、神に感謝を捧げたくなるのだ。

後編で特徴的なのはアコースティックギターの美しい調べだろう。シャンシャンと鈴のような音が降ってくるようで、暗いライブハウスで生きる父親の頭上に温かな光が降り注ぐのを表現しているようだ。

歌詞カードを見ていて先を知っているのに、愛娘がゆっくりと一言一言告白するごとに喜びが溢れ、泣きそうになる。前編だけでも物語として成立するが、後編に救いがあるからこそ前編が輝き、前編があるからこそ後編が響くのだ。現実ではこんなことはなかなか無いかもしれない。前編だけで物語が終わることなどいくらでもあるだろう。それを感じられるからこそ、後編の再会が嬉しいのだ。

そして「1234」からの親父の浮かれっぷりが微笑ましい。前編と後編で「ラララ」の意味が全く違う。前編は別れを、後半は溢れる喜び。この対比がたまらない。

「月に一度の天使」は前編後編が一曲にまとまっていたらまた印象が違っただろう。前後編に分かれた結果時間の経過と余韻が生じていて、前編の切なさも際立つのだ。

さて、もう一つ気になる「気もそぞろ」。こちらはまだきちんと聴きこめていないが、どうやらこちらもセンチメンタルな気分に陥ってしまうようで。明日またよくよく聴いてみよう。

ちなみに歌詞カードをじっくり見ても全然意味がわからんのは「吉原炎上」である。まず裏の意味があるのかただの言葉遊びなのかもよくわからないので、吉原について勉強しないといけないかもしれないと感じている。



日記録5杯, 日常, 筋肉少女帯

2014年9月13日(土) 緑茶カウント:5杯

今日一日でどれだけ筋少のMV「ゾロ目」を観たかわからない。もうやめよう、もったいないからもう再生は良そう、と思いつつ再生ボタンを押してしまい、冷めやらぬ興奮を糧として、MVを一時停止して凝視しながらゾロ目イメージのサイコロを描いた。

ダイス_オーケン

これである。実際に印刷していないのでわからないが、恐らくサイコロとして組み立てられるはずだ。

ちなみに縮小前のゾロ目オーケンはこちらである。サイコロの中に収めるため、二頭身で描くことを心がけたが、どうしても背が伸びてしまうことが多々あった。どれもMVのポーズを参考にしているので良かったら比べてみてほしい。

ゾロ目オーケン達サイズ調整

そしてここまでやってようやく興奮を消化して落ち着くことが出来たのだった。待ちわびた挙句の水はどうやら毒と化したらしい。あぁ、アルバムが待ち遠しい。



日記録2杯, 日常, 筋肉少女帯

2014年9月12日(金) 緑茶カウント:2杯



この一曲をどれほど待ちわびただろう。「蔦からまるQの惑星」が発売されてから、何と四年四ヶ月ぶりのオリジナルアルバム。その間にセルフカバーベストが発売されこそしたものの、ずっと心の底からオリジナルアルバムの発売を待っていて、待って待って待って待って待った挙句。水分を失ってカラカラに干からびた蟻が、大きな水の一滴を全身で受け止めたかのような衝撃に溺れそうになっている。たった一曲公開されただけで!

タイトルは「ゾロ目」。演歌を連想させるようなしっとりとした始まりから一転してハードロックの調べに変わり、これがまた好みのど真ん中。そしてオーケンの歌声である。あぁ、やっぱり、己はオーケンの歌声が一番好きなんだ、と思いつつ、思いつつ、あっははははははと声をあげて笑った。

一人画面に現れ、噛み締めるように歌い上げつつスローモーションでヌンチャクを振り出し、他のメンバーが画面に現れ、皆が一所懸命楽器を弾いている中ひたすらヌンチャクを振って振って振りまくっている。何だこれは。何の映像だ。それだけでも面白いのに何とオーケン以外のメンバーまでもがヌンチャクを振り出し、流石に橘高さんは最後までギターを弾いているだろうと思いきやあろうことかギターソロの最中にヌンチャクを振り出した。

格好良い曲なのに笑えて笑えて仕方が無い。何度も再生ボタンを押しては曲の格好良さに心を奪われつつゲラゲラ笑い、笑いに笑いに笑い続け、続けた末にすっかり見慣れて、最初に見てからたったの数時間しか経っていないのに、もう映像と音楽がマッチした最高に格好良いミュージックビデオにしか見えなくなってしまって、今では惚れ惚れしながら再生ボタンを押しまくっている。

喜びと興奮でパソコンの前から動けず、もったいないので見るのを控えようとしつつもついつい再生ボタンを押してしまい、わざとらしいCGの桜や、微妙に背景のCGから浮いている橘高さんの金髪の境目を味わい、ふと体温を測ったら七度二分で、一ヵ月後オリジナルアルバムが発売されたら自分は興奮の挙句に死ぬのではないかと思いつつ、久しぶりにアルコールのいらない金曜の夜を楽しんでいるのである。



日記録0杯, 日常, 筋肉少女帯

2014年7月23日(水) 緑茶カウント:0杯

The show must go on!

秋に発売される筋肉少女帯の新譜のタイトルが発表された。自然、Queenが連想されるが、オーケンによると「特別に関係があるとは言えません。ないとも言えないけれど」とのことだ。

訳は「ショーは続けなければならない」。四半世紀活動を続けてきた、ミュージシャンとしての覚悟が滲み出てるようで、KING-SHOWを名乗る、まるでサーカスのようなステージを作る彼らの姿が表されているようで、とても良い名前だと思う。実にぴったりだ。

それはただの義務感ではなく、「願望」「希望」の意味合いの「must」であることを感じつつ願いつつ。発売日の十月八日を心待ちにするのである。



未分類0杯, 筋肉少女帯, 非日常

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あぁ、素晴らしき多幸感。

やっぱり筋肉少女帯のライブは自分にとって特別なものだ。刷り込みと言っても良い。「格好良い!」「素晴らしい!」「気持ち良い!」「何て楽しいんだ!」と思うライブを己はいくつも知っている。しかし、「しっくり来る」のは筋少のライブだけのようなのだ。一番しっくり来て、あぁこれだ、とずっと欲しかったものを与えられたかのような感覚。自分にとってのライブの原点が筋少なのである。

今日はデビュー二十五周年記念最後のライブで、二十六周年へと突き進む、新たな旅路へ向かうライブである。ライブの中でオーケンは、今後の活動のネックとして「ボーカルオーケンの老人化現象」を冗談のように挙げ、ファンがネットでオーケンをおじいちゃんと呼んでいることを知っていると告白し、傷ついた傷ついたガラスのハートが傷ついたと嘆きつつ、オーディエンスに「おじいちゃーーーん!」コールをさせた。そして同時に、「四十五年後」という途方も無い数字を出して、未来への活動を示唆してくれたのである。

自分の好きなバンドやミュージシャンは自分より二十三十年上の人ばかり。だからたまにふっと先を思って悲しくなるのだ。十年後二十年後、自分が中年になったとき、活動をし続けてくれているミュージシャンがどれだけいるのだろうと。ライブに通う楽しみを持っていられるのだろうかと。だからこそ、今日のオーケンの発言は、例えファンサービスの一貫だとしても嬉しかったな。

開演SEは「21世紀の精神異常者」。これも刷り込みで、自分にとっては筋少のライブの始まりを知らせる鐘のような存在だ。筋少のライブでは必ずこのSEが流れるわけでは無い。だからこそ、これを聴くと気分が高揚し、とてつもなく嬉しくなるのである。

そこから始まったのが「サンフランシスコ」。あぁ、もうたまらないったら。

「サンフランシスコ」は橘高さんのギターとエディのピアノの鍔迫り合いが最大の見所だが、内田さんのベースソロも見逃せない。筋少は楽器が多いため、ベースの存在が他の楽器に比べるとあまり目立たないのだが、「サンフランシスコ」ではスポットライトの当たるベースソロがあるのである。この歪んだ音がたまらなく格好良い。紫のライトに照らされた内田さんは、朴訥とした印象のある人だが、一転、いつもこのベースソロでは艶かしく見える。それは何か、まるで普段見えないある一面が炙り出されたかのようだ。

このあたりでおぼろげなセットリストを記しておこうか。順序に間違いがあるやもしれないがご容赦を。


サンフランシスコ
アウェーインザイラフ

暴いておやりよドルバッキー
飼い犬が手を噛むので
労働者M(内田さんボーカル)
カーネーション・リインカーネーション(おいちゃんボーカル)

君よ!俺で変われ!
これでいいのだ

香菜、頭をよくしてあげよう
Guru
ワインライダー・フォーエバー

ツアーファイナル
バトル野郎~100万人の兄貴~
機械
イワンのばか

~アンコール~

新人バンドのテーマ
中2病の神ドロシー
釈迦
トリフィドの日が来ても二人だけは生き抜く


嬉しかったのは「飼い犬が手を噛むので」「暴いておやりよドルバッキー」、驚いたのは「カーネーション・リインカーネーション」。「飼い犬が手を噛むので」をライブで聴いたのは初めてで、イントロを聴いたとき、何が始まったのかわからなかった。ライブではあまりに耳慣れないものだったので。

ライブアレンジとして「素敵な審査員の皆さん」でメンバー紹介。おおー、筋少メンバーに審査されるのか、と思いつつ聴いていると、ラストに何と「日本青年館に来ているあなた達」も素敵な審査員に加わり、バーンと終わった。「ダメな奴はダメだよーーーー!!」と言う叫びは無く、あれ、これライブの流れとしては面白いけど、ストーリー的には良いの? 叩き潰されるべき我々が素敵な審査員の列に加わっちゃって良いの? と思った。

あと、「飼い犬が手を噛むので」で、エディが曲中にパイプ椅子を持って歩いて橘高さんの横にどっかり座り、橘高さんのギターソロをじーっと見て、ソロが終わったらまたパイプ椅子持って今度はおいちゃんの横に移動して、おいちゃんに背を向けて何もない下手を眺めていた。その他でも今日のエディは一段とフリーダムで、奇怪な動きに気付いて目が釘付けになることが多々あった。

「暴いておやりよドルバッキー」はひそかにずっと聴きたいと思っていたので、始まったときの興奮たるや! あの「バッキーバッキードルバッキー」の、内田さんの野太いコーラスが耳に心地良くて大好きなのだ。とても満足した。

そういえばドルバッキーで、オーケン変声器使ってなかったね、今回は。

さて。最近のライブではオーケンが途中でステージから脱出し、代わりに他のメンバーが歌う形が定型化されているが、今回は内田さんが「労働者M」を、おいちゃんが「カーネーション・リインカーネーション」を歌ったのだが、おいちゃんのカーネーションがとても素晴らしかった。

と言うのも、自分は「カーネーション・リインカーネーション」が大好きで、それこそライブのたびにやってくれても構わないが、大好きなので出し惜しみして欲しい、という厄介な欲求を抱いているほど。だから今日、オーケンじゃなくおいちゃんが歌うと聞いて、瞬間がっかりしたのである。あぁ、せっかくのカーネーション、オーケンのカーネーションを聴きたかったな、と。

ところが。始まりと同時にがっかりは消し飛んだ。おいちゃんの「カーネーション・リインカーネーション」が凄まじく良かったのである。

あの低い声がバツグンに合うのだ、そして間奏では声をひそませ、だんだんとボリュームを上げていき、最後に弾けるような声でシャウト。オーケンの歌い方をなぞるのではなく、おいちゃんならではのアレンジが入った「カーネーション・リインカーネーション」。背筋が続々した。

「Guru」は人気のわりに、自分はあまりグッと来ず、何となく筋少ファンの中でアウェーを感じる曲なのだが、背もたれに体重を預け、ゆったりとしながら脳を空っぽにして聴くと、純粋に音が心地良かった。

そうだ。そういえば今日のオーケンは咽喉の調子が良かったように思う。「アウェーインザライフ」の「ホームに変えろ!」の箇所は、ライブでは低音で歌うことが多かったが、今回はCDのように! 高音でシャウトしてくれて、それがとても嬉しかったんだ。無論、現在の自分に合わせて歌い方を変えるのはありだと思うが。それでも嬉しかったんだ。

MC中もやたらと高音を張り上げる箇所があったので、今日のオーケンは絶好調だったのかもしれない。

MCで印象に残った箇所は、何かの拍子か、突如オーケンと内田さんが、お互いに「オーケン」「うっちー」「オーケン」「うっちー」と呼び合い、それが非常に楽しそうだった。オーケンはその流れで、「中学の頃、ディクシ! と言って相手の二の腕を抜き手で突くのが流行って、それをやろうとしたけど、五十なのでやめました」と言った。そこに内田さんが「ディクシやってくれよ」と言い、オーディエンスからも「やってー!」と言う声。照れ笑いするオーケン。それを誤魔化すかのように「五十からはBL禁止!」と宣言するオーケン。オーケンの言うBLって何だかよくわからんなぁ。

大人になってもあだ名で呼び合える友人ってのは、貴重なもんだな、と改めて思った。大事にしないといけないね。

そうだ。あと、メンバー紹介のとき、今まではオーケンがメンバーを紹介し終わった後、自分で「ボーカル大槻ケンヂー!」と叫んで締めていたのだが、橘高さんや内田さんが「ボーカルオーケンー!」とオーケンの代わりに紹介してくれるようになっているのが、何だかグッと来たな。

五年前の武道館のときか。正直自分は、デビュー二十周年ったって、そのうち八年間は活動休止していたよなぁ…と思っていたんだ。二十分の八は結構大きい。しかし二十五分の八になったら八もだいぶ薄まって。あぁ、そのうち活動休止していた八年間なんて、誤差の範囲に感じられる日が来るのかもしれないと。メンバー同士のやりとりを観ながら思ったのだ。

秋には新譜が出る。ツアーも発表された。まだまだ活動は続く。あぁどうか、全員が全員、ずっと健康で、楽しくやってくれますようにと、終演SEを聴きながら思った。