日記録3杯, 日常

2014年6月24日(火) 緑茶カウント:3杯

近々買いたいと思っているもの、買う予定のものを並べてみようか。

「恋の薔薇薔薇殺人事件」(すかんち)/CD
「OPERA」(すかんち)/CD
「暴虐のからくり人形楽団」(谷山浩子×ROLLY(THE 卍))/CD

ちょうど七月も近いし、誕生日に買おうかな。

夏用ボディバッグ/鞄
ポロシャツ/衣類

このあたりはなるべく急ぎたい。特に鞄はそろそろ生地が暑苦しい。しかし理想の色に出会えない。ルリボシカミキリみたいな色の物が欲しい。

ピーラー/調理器具
すりこぎ/調理器具
すりばち/調理器具
大鍋/調理器具

このあたり、無くても何とかなるゆえずっと買っていなかったものだがそろそろ買っても良いはずだ。特にすりこぎとすりばち。力ずくでコマをすり潰すのはそろそろ止めにしたい。

あとは漫画で、「よつばと!」と「ドリフターズ」の新刊を待っているのだが、これはいつになるのやら。今年に購入出来たら良いなと思いつつ。なるべく忘れて待つようにしたい。しかし読みたい。あぁ読みたい。まだかなぁ。



日記録3杯, 日常

2014年6月23日(月) 緑茶カウント:3杯

ガタンゴトンと電車に揺られていた。吊革に掴まる自分の対面に座るはサラリーマンと思しき若い男性と、同じ社に勤めていると思われる二人の女性。三人は常識的な声量でおしゃべりをしていた。その会話は自然と己の耳に入ってくる。喋っているのは主に中央に座る女性だった。共働きなのに女は家事をやって当然、という意識の男は腹が立つ、と憤っている。その横に座る女性も頷いている。

口ぶりによると女性の怒りの対象は世間一般の男性が云々では無く、自身の配偶者のようだ。「遅くまで働いて疲れてるのに、弁当を作って欲しいって言うの。嫌になっちゃう。私だってお昼はコンビニなのに。自分で作れば良いじゃない!」あぁ、そりゃあ怒るのも最もだ。大変だなぁ。

するとあまり喋っていなかった男性が口を開いた。「そうですよね。うちも奥さん働いてるんで、僕自分で作ってますよ。夜に作って朝詰めてます」

「えーーーーーーー! 新婚なのに奥さんお弁当作ってくれないんですか? 可哀想!!」

えーーーーーーーー!? 思わず声が出そうになった。びっくりした。ここはその男性を褒めるところじゃなかったのか? 良い旦那さんじゃあ無いですか。だいたいあなたさっきまで共働きなのに弁当作れって言われて腹立つって怒ってたじゃないですかー。えーーーーー。

さらにびっくりしたのは、怒る女性に相槌を打って賛同していた隣の女性まで、「可哀想!」と言っていることだった。

電車を下りた後もあの衝撃は心に残っていた。自身に向けられた偏見に怒る人が同種の偏見を持っていて、それに気付かない構図。それが全てでは無かろうが、あの女性の旦那さんが家事を任せきりにするのは、もしかしたらその女性の言葉も多少は影響しているのかもしれない。なんてことを思った出来事だった。



日記録3杯, 日常

2014年6月15日(日) 緑茶カウント:3杯

ワールドカップのたびに実感することは、己のタイムラインに流れる情報は偏っているのだなぁ、ということだ。

Twitterは自分が関心を抱いた人物のみをフォローしており、関心が無く、それどころか例えば嫌悪感を抱いた人物をフォローすることなど絶対に無い。したがって、自分の趣味趣向に合った情報が流れるタイムラインが形成されるのである。

するとだね。ワールドカップを迎えると、「あぁ、サッカーの話題に付いていけなく非国民扱いされる! 辛い!」「あいつら普段サッカーに興味無いくせに、ワールドカップのときばかり盛り上がりやがって! ミーハーめ!」「今ワールドカップなんだ、でも全然興味無いやどことどこが試合してるの?」「ワールドカップだけど我が家は全く関係無い日常を過ごしております」というツイートばかり流れ、ワールドカップに沸き立つツイートはほとんど流れないのである。

そして自分はサッカーに興味無いぜチクショーというツイートを見ることでワールドカップの開催を知り、同時に、あぁやはり自分のタイムラインは偏っているな、ということを実感するのだ。偏っているということは、選択していない思考や思想が外にあるということ。そう、普段見るタイムラインではよく見る意見や思想も、結局は自分が選り好んで作ったものであり、決してそれが世界の全てでは無く、メジャーでも無いのである。

それを知り、実感し、思い返すことが己にとってのワールドカップの効果なのかもしれない。結局人は、自分に都合の良いものや好きなものを選びがちなのだよ。だからこそそれを忘れないようにしないといけないのさ。



日記録3杯, 日常

2014年6月11日(水) 緑茶カウント:3杯

可愛らしいお嬢さんがいる。知り合って一年ほどだろうか。彼女は天然ものの天然ボケで、よく突拍子も無い言動を繰り広げるのだが全く嫌味が無く、好ましい人だなぁという感想を己は抱いている。さて、知り合って一年ほどである。つまり初対面から一年経過しているのである。そんな彼女がある拍子に己の目の前至近距離に立ち、花がほころぶような笑顔を眼前で見せながら、まるで今初めて知った! と言わんばかりに「あっ。あ~!」と驚きの声を上げると、「ウヲさん! チビですね!!」と言い放った。ずっこけるかと思った。

「あなたそんなこたぁ随分前から知ってるでしょうに! 何故いきなり今になって喧嘩を売るのか!」

もう一度言う。ずっこけるかと思った。何故なら彼女、数ヶ月前に「意外と小さいですね!」という感想を己に漏らしているのである。つまりとっくに気付いているのである。何故今このタイミングで改めて言う。わからん。全くわからん。

「え~喧嘩なんて売ってませんよ~」とふわふわ笑う彼女の顔には悪気の欠片も見当たらず、自作の変な歌を歌いながら楽しげにその場を去っていくので、面白いから良いか…と己は笑ったのであった。変わった人だよ。



日記録3杯, 日常

2014年6月10日(火) 緑茶カウント:3杯

本当に、ここ数年常々思うのは、病気は我慢しちゃいけないってことだ。我慢したって進行するだけだ。早めに治療すればその分軽く済むし、体への負担も少ない。後にも引かない。何かのため、という理由があったとても、我慢しない方が良い。

あぁ、身近な誰かが病気にかかっているのね、と思ってちょうだいな。

もし猿の左手が手に入るならば己は真っ先に完治を願うだろうし、もし一生この先酒を呑まなければ彼の人の病気を治しましょうと囁く者がいるなら喜んで断酒をするだろう。自分の一番の願いは何だろう、と考えると、やはり自分ではどうにもならない、手が届かないところに意識が行く。だが、それはもしあのとき手を打っていたら、容易に状況を変えられたかもしれないことなのだ。

眠いのに体がつらくて眠れないと泣く人を見るのは悲しいよ。

やるせないなぁ、と思いつつ。そのつらさの根源、四肢の一つをいっそ切り取ってしまったら楽になれるんじゃないか、なんてひどいことを思いつつ。だってその人はつらくったってあった方が良いと言うんだぜ。そんなことはきっとわかりきったはずだったのに。

だから。予防も大事だが治療も大事。当たり前だが本当にそれ。何か不調を感じたら絶対に早めに手を打った方が良い。あぁ、全く、皆が皆健康だったら良いのに! と思いつつ、猿の左手に思いを馳せるのだ。