ワールドカップの効果
2014年6月15日(日) 緑茶カウント:3杯
ワールドカップのたびに実感することは、己のタイムラインに流れる情報は偏っているのだなぁ、ということだ。
Twitterは自分が関心を抱いた人物のみをフォローしており、関心が無く、それどころか例えば嫌悪感を抱いた人物をフォローすることなど絶対に無い。したがって、自分の趣味趣向に合った情報が流れるタイムラインが形成されるのである。
するとだね。ワールドカップを迎えると、「あぁ、サッカーの話題に付いていけなく非国民扱いされる! 辛い!」「あいつら普段サッカーに興味無いくせに、ワールドカップのときばかり盛り上がりやがって! ミーハーめ!」「今ワールドカップなんだ、でも全然興味無いやどことどこが試合してるの?」「ワールドカップだけど我が家は全く関係無い日常を過ごしております」というツイートばかり流れ、ワールドカップに沸き立つツイートはほとんど流れないのである。
そして自分はサッカーに興味無いぜチクショーというツイートを見ることでワールドカップの開催を知り、同時に、あぁやはり自分のタイムラインは偏っているな、ということを実感するのだ。偏っているということは、選択していない思考や思想が外にあるということ。そう、普段見るタイムラインではよく見る意見や思想も、結局は自分が選り好んで作ったものであり、決してそれが世界の全てでは無く、メジャーでも無いのである。
それを知り、実感し、思い返すことが己にとってのワールドカップの効果なのかもしれない。結局人は、自分に都合の良いものや好きなものを選びがちなのだよ。だからこそそれを忘れないようにしないといけないのさ。