日記録0杯, 日常

2014年12月1日(月) 緑茶カウント:0杯

一ヶ月経った。まだいまいち現実感が無いが、少しずつ慣れてきているのを感じている。ただ、ふとした折に喪失を感じては泣きそうな気持ちになる。

この一ヶ月、筋少とオーケンに大いに助けられた。葬儀から十日ほど経った頃、机の中を整理していたらすっかり忘れていた筋肉少女帯のライブチケットが出てきた。チケットを見たとき「あぁ、そういえば、買っていたんだなぁ…」と、まるで他人の持ち物を見つけたような、他人事のような気持ちになったが、行ってみたら楽しめた。鬱々としていたのに楽しめた。びっくりした。

十二月の筋肉少女帯のライブチケットを発券したらこれまでに見たことのない番号だった。そしてまた、応募したことすら記憶の外に追い出してしまっていたのに、筋肉少女帯の握手会当選券が届いて、涙が出そうになった。十年間聴き続けた音楽を演奏する人々と握手をし、会話を交わすことが出来た。涙が出た。その五日後に、電車のサインお渡し会に行ったら、何と電車のメンバーと、オーケンと握手して会話をすることが出来た。一週間のうちに、二回も。

まるで神様が慰めてくれているようだ、と思った。ほらほら、あんたの大好きなものだよ大好物だよ! と咽喉にスプーンを押し込まれているようで。無論それは己の主観であり、全てはただの偶然なのだが、確実に己は励まされたのだ。

ただ、それら全ての幸運が無くても良かったので、どうか、と思う気持ちもあり、悲しみを感じつつ、悲しみに慣れながら生きている。



日記録1杯, 日常

2014年11月22日(土) 緑茶カウント:1杯

友人と六本木のイルミネーションを見に行った。イルミネーションと言うと木々や家々に取り付けられた電飾が輝くものしか想像出来ていなかったが、そこにあったのは光のショーで、ロープを張られた四角い空間の中を、まるで生き物のように光線が泳ぎ舞う様は圧巻の一言。しばらくその幻想的な世界に見惚れることとなった。

イルミネーションを楽しんだ後は場所を変えて食事に行き、牡蠣フライやサラダを食べつつ主に漫画の話で盛り上がり、ちょっと母の話をして、最近観た映画がいかにつまらなかったか熱弁し、最後は漫画の話に戻って終着した。

こんなに長時間楽しく話したのは久しぶりのことで、晴れ晴れとした気分で帰宅した。
こうして少しずつ、戻っていくのだな。



日記録1杯, 日常

2014年11月18日(火) 緑茶カウント:0杯

遠くお墓のことを考えながら、先の人生を考える。母の故郷は九州で、祖父母の家から少しの場所に先祖代々の墓がある。母の骨を納骨し、いつか祖父母の骨を、父の骨を納めた後、空き家になった祖父母の家は取り壊されるか誰か別の人が住むだろう。そうして己にとっては縁の薄い、知った人の誰も住んでいない土地に、飛行機に乗って遠路はるばる、一人墓参りをする日のことを思うと、寂しい。

その頃には群馬の実家も無くなっているかもしれず、また寂しさが募る。きっといつか迎えることで、その寂しさを回避するためには、誰よりも早くさっさと死ぬのが容易な手だが、何だかんだで、意外と自分は長生きしたい願望があるので、もう全人類がずっとこのまま長生きすれば良いのにちくしょう、とやけになりつつ思いつつ、お骨を、納めたくないなぁ、と思っている。



日記録1杯, 日常

2014年11月17日(月) 緑茶カウント:1杯

人は死んだら脈が止まる。冷たくなる。目を開かなくなる。喋らなくなる。そこまでは理解出来るのに、この人の、中に蓄えられた知識と経験と技術が、全て消えてしまったことが、未だに信じられずにいる。

何年前のことだろう。何かで「美味礼賛」という本を知り、これは面白そうだ、読んでみたいと思いながら、そのことを何気なく母に語ったところ、母は居間を出て行って二階へと上り、戻ってきた母の手には「美味礼賛」の文庫があり、己は舌を巻いたのだ。適わないなぁ、と思った出来事である。

母の知識の片鱗が本という形で実家に堆積している。葬儀の後一週間、ひたすら家にこもって母の所有していた本を読んでいた。没頭しながら呆然としていた。これを読んで、様々なことを語り、面白おかしく教えてくれた人の知性が既にこの世に無いのがどうにも信じられなかった。

なるほど、霊魂を信じた人々の気持ちが今ならわかる。たったこれだけのことで、何十年も生きた人の知性が消えてたまるかと思いたくなる。霊媒師にすがりたくなる人もいるだろう。わからなくもない。

わからなくもないが己はそこに向かわないことを自分自身でわかっている。ただ、やはり信じられない。

そしてまた、己は母親と同時に、趣味仲間でありオタク仲間を亡くしてしまったことにたびたび気付き、趣味を共有出来ない寂しさを感じている。たま、筋肉少女帯、平沢進。水木しげる、大島弓子、萩尾望都、山岸凉子、ベルサイユのばら、動物のお医者さん。司馬遼太郎、清水義範、町田康。吉田戦車、いがらしみきお、西原理恵子、みうらじゅん。あぁ、まだまだキリが無い。VOW!やニコニコ動画も母経由で知ったのだ。

母はエディのピアノと橘高さんのギターが好きだった。そのくせ、筋少のDVDが観たいというので一緒に観ても、ずーっと喋ってばかりでろくに観やしないのだ。忌々しく思ったこともあったが、たまに帰省する子と趣味のものを観ながら酒を呑みつつ話すのが楽しくてたまらないのだと理解してからは腹も立たなくなり、DVDを流しながら母の話に付き合うようになった。

また、あの時間を過ごしたかったなぁ。



日記録2杯, 日常

2014年11月12日(水) 緑茶カウント:2杯

祭壇の前で遺影を見つめていたら涙が溢れ、流れるままに任せていると、襖の向こうで飼い猫が鳴いた。にゃあーにゃあーと声をあげて鳴き止まない。立ち上がり、隣の部屋の猫のもとに向かう。猫は足にすりより、ソファに座ることを要求するので大人しくそれに従うと、膝に乗って丸まり、鼻を人の腕と胴の間に突っ込んで、ただただじっと黙っていたので、その背中をしばらく撫で続けた。

またあるとき。酒を呑んでいたらたまらない気持ちになって、座っていた猫の体を両腕で囲い、背中に顔を押し付けて泣いたが、猫は嫌がらず、ずっとそのままでいてくれた。

猫が慰めてくれている。

母のために遠方から親戚が駆けつけてくれた。葬儀社の人が親切にしてくれた。お悔やみの言葉をいただいた。涙を流してくれた。ありがたさを噛み締めては泣きたくなり、寂しさを感じては泣きたくなり、己はこんなに泣き虫だっただろうかと小学生の時分を思い出す。わりと泣き虫だったかもしれない。

そんな日々の中、ポストにハガキが一枚。応募していた筋肉少女帯の握手会当選告知のハガキだった。また涙が出た。少し励ましてもらえた気がした。ありがたいと思った。

こうして、悲しみと喜びを繰り返しながら日常に戻って行くことを、行けることを感じつつ、まだ嘘のような気分でいる。