日記録4杯, 日常

2015年4月18日(土) 緑茶カウント:4杯

五時の鐘の音で目が覚めた。無論、夕方の五時である。カーテンから差す日の光はまだ明るかったが、直に沈んでしまうだろう。昨夜寝たのは二時。つまり、一、二、三、四…十五時間も寝続けていたのだった。己は。

ほぼ二日分の睡眠である。起き上がると体のあちこちに鈍い痛みがあり、関節からバキバキと音が鳴った。うーん。いつまでも寝続けられるのは一人暮らしの特権だが、生活が乱れるのは難点でもある。あぁ、咽喉が渇いた。水分補給だってずっと出来ていなかったものなぁ。そりゃあ咽喉も渇くだろうよ。納得しながら冷蔵庫の中の冷えた玉露を飲んだ。ああー、美味い。

多分ストレスのせいだな、と思う。先日の日記にも書いたが、かなり負担を感じていた。苦しかった。そのため何も考えずたた眠り続ける時間が必要になったのだろう。問題は解決されていないが、睡眠のおかげで心労はリセットされている。楽な気分だった。

とはいえ毎日毎日十五時間寝続けるわけにもいかない。どうにかしてストレスを軽減しなければならないだろう。と思いつつ、今日も早めに寝よう。とりあえずは、休息だ。



日記録3杯, 日常

2015年4月15日(水) 緑茶カウント:3杯

人に会うのは楽しい。遊びに行くのも呑みに行くのも楽しい。しかし楽しさを感じるためには、楽しさを感じるためには、どうしても一人の時間が必要なのである。己の場合。

ここ数日己はストレスを溜め込んでいて、上手く発散出来ずにいて困っている。原因は知れている。人付き合いに疲れているのだ。ゆえに、ここをどうにか解決しなければならないのだが、その方法を見つけられないでいるのである。

有難いことだと思う。頻繁に遊ぼう呑みに行こうと誘ってくれるのである。出会って数ヶ月しか経っていないにも関わらず、一足飛びに垣根を飛び越えて来てくれるのである。だが、だが、有難いのだが、その垣根はまだもうちょっと垣根として機能していて欲しいんだ。つまり、距離感を縮めるスピードに違いがありすぎるのである。そしてまた、「一緒に遊びたい」と思う頻度に開きがありすぎるのである。

今までの交友関係を思い返すに、長続きをしたのは「ずっと一緒」じゃない友人ばかりである。一度も同じクラスになったことが無かったり、そもそも学校さえ違ったり、同じサークルに所属していても会うのはせいぜい週に二回程度であったり。大学時代、サークルの友人達はいつも空き教室に集まって昼食を摂っていたようだが、己はそれに参加せず、たまに顔を出す程度であった。どんなに気の合う友人でも毎日一緒だと疲れてしまうのである。そしてそれを知っているから、意識的に一人の時間を作るようにしていたのである。

呑み会は楽しい。楽しいが、家に帰って、自分で夕飯を作り、風呂に入り、お茶を飲み、日記を書いて一日を思い返し、ぼーっとする時間が無いと息が詰まるのだ。また、その時間を確保出来るからこそ、誰かと一緒にいることを楽しめるのである。ところが誘ってくれる人は常にわいわいするのが好きらしい。そのため頻繁に誘ってくれるのだが、そのたびに断っていて、断ることに罪悪感を抱き、それがまたストレスになっている。

あぁ、何と言う悪循環! 一人で電車にでも乗って、ぼーっとしながら旅に出たい。あてどもなく! どこまでも!



日記録2杯, M.S.SProject, 日常

2015年4月12日(日) 緑茶カウント:2杯

ちょっと面白い趣向の本を読んだのでここに紹介したい。それは旅行記であり、写真集であり、タレント本でもあるのだが、己は事前情報を全く持たずにその本を手に取った。タイトルは「あろまさんぽ 弐」で、著者名は「あろまほっと」。ニコニコ動画やyoutubeでゲームの実況をしている集団の一人とのことである。そして自分はその界隈について縁が薄いためよく知らない。

サクサク読める本が欲しいなぁ、と思っていたのだ。何か、写真が多めの旅行記なんかは良いかもしれない。お茶のお供に出来るような、家でくつろぎながら読める本が良い、と思いつつ本屋をうろうろし、いくつかの本を手にとっては棚に戻し手にとっては棚に戻しを繰り返し、ある手に取った一冊。ページをめくるとドーンと高崎名物「だるま弁当」の写真が! 同じページには群馬の名物「焼きまんじゅう」も! しかもこの人美味しいと言ってくれている! 良い人じゃないか!

さらにページをめくると沖縄、長崎、長瀞と、過去の旅行の思い出が蘇る懐かしい景色の数々。あーこれは良いかもしれない。すごくノスタルジックな気分に浸れそう。ということで購入を決定し、家についてからじっくり読んでみると、微妙に変な本であることがわかったのだ。

この本、人物は後ろ頭しか写ってない。

この「あろまさんぽ 弐」は、旅の写真に著者のコメントが添えられている構成で、著者はカメラマンであると同時に被写体でもあり、行く先々の観光地で散歩をする「あろまほっとの写真」と、「あろまほっとが撮影した写真」の二種類で構成されている。ここまではさほどおかしくないのだが、撮影されている「あろまほっとの写真」がどれもこれも後姿だけなのである。斜め後ろからのアングルでは横顔がかすかに見えるがほぼ後ろ頭である。

では正面からの撮影は皆無かと言うと、一応あるにはあるのだが、全て般若の面を被っており、のどかな観光地がいきなりコスプレ会場ないしは怪談ワールドへと変化するのである。しかも般若の面を被ったまま観光地の美味しいものを堪能している。わけがわからない。

しかも般若だけではない。ページをめくるとサングラスをかけた全身覆面男が登場し、これはいったい何の本だと思わざるを得ない。この全身覆面男は著者と同じゲーム実況集団の一員だそうなのだが、事前知識が無い者からすると戸惑いしか感じない。

全身覆面男の名前は「eoheoh」で、流石に旅行地では覆面姿ではなかったが、著者と同じく一貫して後ろ頭オンリーのショットばかりである。

どうも、顔出しを控えているようで、そのための措置が般若と覆面らしい。何も般若と覆面を選ばんでも…と思ったが、旅先で背負っているリュックサックに堂々と般若の面をキーホールダーの如くぶら下げている姿を見るに、かなり般若を気に入っている人なのかもしれない。

そんなわけでこの旅行記のような写真集のようなタレント本のような本は、人物写真は多いのに「顔」は一切写らないのだが、それが実に良い塩梅なのである。「顔」が写らないことで「個人」をイメージしづらくなっているので、本を読みながら自分が旅行に行ったような気分に浸れるのである。旅行のロールプレイを味わえるといったらわかりやすいだろうか。ちょうど、友人達と旅行に出かけたときの、友人の後ろ頭を眺めながら旅先を歩いた、そんな感覚が湧いてくるのである。

顔が写らないことでこんな効果が得られるとは。恐らく、著者も狙ってはいなかったのではないかと思う。猫を「ぬこ」と呼ぶなどのネットスラングもちょこちょこ入っているので抵抗のある人もいるかもしれないが、自分は結構好きである。書店で見かけたら、是非。



日記録0杯, 日常

2015年4月8日(水) 緑茶カウント:0杯

「SPA!」という週刊誌に筋肉少女帯人間椅子の特集が載るとのことで、生まれて初めて「SPA!」なる雑誌を店頭で買い求めたのだが、これがとても買いづらい表紙で、中身もそれに準じており、特集を堪能した後目次を眺め、ページをパラパラとめくり、これを購読している人はいったい何を求めているのだろう? という疑問が浮かんだ。

のっけからしてすごい。佳子様と木村拓哉のカラー特集までは普通だが、着物を着た女性が裾を捲り上げて尻を丸出しにしているグラビアが載っている。これは色っぽいのか馬鹿っぽいのかよくわからず、どちらかというと滑稽に映る。だってあなた、着物を着ていてわざわざ裾をたくし上げて尻丸出しですよ。下着つけているけど。馬鹿みたいじゃないですか。何これ。

つくづく、ギャグとエロスは紙一重だなぁと思いつつ、これを喜ぶ人もいるのかしらと思いながらページをめくるとハプニングバー特集。まずハプニングバーとは何か検索しウィキペディア様のお世話になったところで余計な知識が増えて、要約するとそういったお店の摘発が増えているよー中身は過激だよーというものだ。ここ。ここが気になる。

これを読む人は「摘発が増えているのか寂しいなあ」と思うのか、「こんなけしからんことをしている人々がいるのか羨ましいなぁ」と思うのか「よっしゃ俺も行こう」と思うのか、「いいなーこういう世界もあるのか俺は行けないけどこうして紙面で別世界を垣間見えるのは楽しいね」と思うのか、どれなんだ、何が求められているのか、ということで、いったいどういう読み方をすべきものなのかしらん、ということが気になるというかわからないのである。

美味しい隠れ家的レストランの記事を読むようなものなのかしら。今で言えばこっそり生レバーを提供してくれるような。それをいいなーと思って読むものなのかしら。わからんなぁ。それも毎週こういう記事を読む人がいるのでしょ? 需要があるのでしょ? 面白いのでしょ? 面白いというか興奮するものなの? わからんなぁ、と思いながらページをめくり、疑問符を浮かべ、筋肉少女帯人間椅子の特集を堪能し、この特集がSPA!に載っているということは、筋肉少女帯人間椅子の記事にぐっとくる人が毎週これを読んでいる可能性もあるわけで。どこかにきっと共通点があることを考えると楽しいような不思議なような。そんな塩梅になるのであった。



日記録0杯, 日常

2015年4月5日(日) 緑茶カウント:0杯

色画用紙と糊とはさみ。綺麗なシールに鉛筆、消しゴム。これらを持って友人宅に集まり、あーでもないこーでもないと言いながら、色紙をチョキチョキ、シールをペタペタ。三十路間近の男女五人が集まってしたことは、友人の結婚式のサプライズムービーの素材作りである。

お祝いのメッセージカードを持った写真を撮り、それを集めて映像を作るという企画。では、どうせなら皆で集まって作ろうじゃないかとご近所さん同士で集まり、文具店に赴いて紙やシールを買い求めたのだ。そしてチョキチョキペタペタ。当初、ファミレスに行ってちゃちゃっとやろうかなんぞという話も出たが予定を変更し友人の家に集まって良かったとつくづく思う。これはなかなか、大変だ。

己ははさみを使わず、色紙を指で千切って貼り絵を作った。貼り絵なんぞ何年ぶりにしただろう。学校を卒業して以来作った記憶は無い。そしてそれは友人達も同じなようで、ハートマークを描くのに苦労している様が見えて何だか微笑ましい。そうか、そもそも絵を描く行為が十年ぶりという人もいるのだなぁ。ハートマークを左右対称に描くのも難しいのだなぁ。

二時間しっかり工作に費やした後は大人の時間である。焼き鳥を食べつつ酒を呑んで至福を味わいつつ、話は学生時代に戻り、あれやこれやと源氏物語や古事記について茶々を入れながら語らい合う面白さよ。タイムスリップしたかのような一時で、無性に楽しく感じつつどこか少しだけ切なかった。

美術ではなく、あくまでも工作の時間。機会があればまたやりたい。