日記録1杯, 日常

2015年5月15日(金) 緑茶カウント:1杯

あら嬉しい。片隅にひっそりと設置しているカウンターが六万を突破したようで。最近はどうにも更新頻度が落ちているが、今後もマイペースにやっていくので、お暇なときにでも覗きに来てくださいな。

今日は一つ、緑茶で乾杯!



日記録3杯, 日常, 筋肉少女帯

2015年5月14日(木) 緑茶カウント:3杯

発売日前日にフライングゲットしてから、筋肉少女帯人間椅子の「地獄のアロハ」を聴いて聴いて聴きまくっている。中でも筋肉少女帯がカバーした「ダイナマイト」を聴いて聴いて聴いて聴きまくっている。

原曲の「ダイナマイト」は、免許を質に入れ無一文になりながらも、なおも血眼になりながらパチンコを打ち続ける男の必死の形相が目に浮かぶ凄まじい楽曲だが、これをパチンコをやらないオーケンが歌ったものだから、怒涛の如く駆け抜ける演奏をバックに元気で楽しげでお気楽な声が響き渡るのだ。何とも言えない妙に味わい深いカバーである。原曲で歌われる男の隣で歌っていたらぶん殴られそうである。

そしてまた、己もパチンコを全く知らず、“「3」で当たれば小当たり”や“連チャン”が何を意味しているのかよくわからず、何と無くフィーバーしていることが感じられるものの、いや無一文になるくらいだからフィーバーはしていないよなぁ、とどういう状況なのか把握出来ないため、何度も聴いているのにいつまでたってもどこかぼんやりしている。曲を理解するためにはパチンコを勉強する必要があるだろう。まさかその必要性を感じる日が来るとは思わなかった。

しばらくはダイナマイトフィーバーが続きそうである。パチンコには行かないけれど。にーれんちゃん!



日記録3杯, 日常

2015年5月10日(日) 緑茶カウント:3杯

メンズとレディースとキッズの衣類が混在する衣装ケースの中を見ると、なるほどーここのお宅は三人家族なのね、と知らない人なら思うかもしれないが、実際にこの部屋に住んでいるのは人類一人であり、メンズレディースキッズの衣類も、並べてみれば全て似たようなサイズなのである。

好みの服をどこで買うか。これは己にとって大きな課題で、それはサイズの問題によるものなのだが、これまではメンズとレディースから選んできて、おかげでシャツのあわせがどっちが上でも違和感があったりなかったりするようになってしまった。そしてここでキッズが追加。ついに三種類に成り果てた。

よくよく考えてみれば己は小学中学あたりからほぼ身長が伸びていないのである。じりじり伸びたがその程度なのである。と、いうことは。つまり別にキッズサイズでも問題ないんじゃね? キッズの大きめの奴ならぴったりなんじゃね? と思い、試着してみたらぴったりだった。ぴったりだったので買った。

最近の子供服は大人っぽいデザインも多いので違和感も無く。ただ後日、友人と一緒に買い物に行ったとき、「キッズサイズ見てくるわ」と行ってそのコーナーに向かったら、友人は冗談だと思って笑っていたのだが、本気で物色し始めてさらに試着までし出した己を見て仰天していたのが何だかとても面白く、愉快な気分になれたのだった。

不便であり便利である。なかなか楽しい。



日記録2杯, 日常

2015年5月1日(金) 緑茶カウント:2杯

なかなか、面白おかしく暮らすのは難しい。そんなことを実感する日々である。半年経った。どうにもしんどい。一年前の今は元気だったのに、と思いつつ、時が経つにつれそれも言えなくなってくる。元気だった頃がさらに昔になっていく。一年前は元気だったのに、が、一年前ももう…になっていく。

しんどいときにしか聴けない音楽がある。大槻ケンヂの「I STAND HERE FOR YOU」と、水戸華之介の「ヨキコトキク」。「I STAND HERE FOR YOU」は、オーケンの作品の中でも最も狂気性の高いアルバムだ。「レティクル座妄想」は狂気をテーマに作られたアルバムだが、あがく中で狂気が垣間見えるのが「I STAND HERE FOR YOU」。より素であり、より危ういのである。

その「I STAND HERE FOR YOU」は精神が平静なときに聴くと落ち込むが、どうにもやりきれないときに聴くとカタルシスを得られるアルバムで、つまりこれを聴いて楽になるとき、自分は大分参っている証拠である。それを自覚出来るのは有難い。

「ヨキコトキク」は発売された当初しか聴けなかったアルバムだ。どうにも、気軽に聴くには重いアルバムで、しんどさを感じるため普段聴くことはほとんど無い。このアルバムに収録されている曲をライブで聴くと、ちょっと嫌だな、聴きたくないな、と思うことさえある。つらいのだ。

しかし、どうしても聴きたくてたまらないときがたまにある。そのときばかりは重さを感じず、スッと心にしみこんで、己の心の中にある重みをほんの少し溶かしてくれるのである。

限られたタイミングでしか聴けない音楽を楽しめるのだから、全く悪いことばかりでは無いんだぜ、というのは流石に無理矢理なプラス思考だろう。だが、まぁ、何とか舵取りをするのである。どうにかこの二つの音楽にすがりながら立て直していくのである。どうにか、こうにか。



日記録0杯, 日常

2015年4月20日(月) 緑茶カウント:0杯

そりゃあなるだろうよと思っていたので、美容師が気を遣いながら恐る恐る指摘してくれたとき、さほど大きなショックは受けず、むしろ納得したのだが、それでもやはりちょっとは気が滅入るのである。

円形脱毛症再発。

以前出来たのは震災のときだった。ニュース映像を観すぎてしんどくなってしまったのだ。あのときは五百円玉ハゲが一つと、半月の形のハゲが一つ。どちらも襟足に出来て、皮膚科に行って薬をもらってじっくりゆっくり完治させた。

今は皮膚科には通っていない。二週間に一度心療内科に通って話を聞いてもらいつつ、漢方を処方してもらっている。心療内科の医師には「それは死別反応と言うのだよ」と教えてもらい、誰にでもあることで、時間とともに癒していく必要があると言われている。それは人によっては半年、長ければ二年続くと言う。

今の自分はまだまだ今まで通りとは言い難く、楽しいことは楽しいし、御飯も美味しく、遊びにも出かけるが、ふと思い出しては泣きそうになる日々が続いていて、鼻がつんと痛くなることを感じながら、でもしょうがないよな、そういうものだよな、と納得している。

しかしだ。いくら納得しているとはいえ、襟足にハゲが三つも出来たら困るのである。美容師に指摘されたのは五百円玉大の一つであったが、本日よく見たらさらにその横に十円玉大のものが二つあった。計五百二十円。見事に襟足がまだらである。もういっそ刈り上げてしまいたい。

だが悪いことばかりでもない。最初に出来た五百円玉ハゲからは、ちらほらと短い毛が生えてきていた。一歩進んで二歩下がる。少しずつではあるが、前進出来ているようだ。

まぁ、何とか。乗り越えよう。