2015年12月29日(火) 緑茶カウント:3杯
テレビがつきっ放しだったから。そんな理由で観戦していた格闘技の試合。ルール? 全くわからんよ。だって我が家で格闘技の試合を観るという習慣は今まで全く無かったから。そして己も全く興味を示さなかったから。喧嘩の記憶すら薄い。小六の頃、椅子や机を持ち上げ抱え殴り合いの喧嘩をした放課後の記憶。それが最後に何もない。
ボクシングもプロレスも知らない己には、半裸の男二人がもちゃもちゃペチペチしながら肌を叩き合っているようにしか見えなかった。痛そうに見えないのに痛いらしい。次第に片方がぐったりしてくるが、どこで致命傷を得ているのかわからない。だって効果音も衝撃波も無いのだもの。ひたすら肌をペチペチもちゃもちゃしているようにしか見えないのだもの。しかしペチペチもちゃもちゃされている人は大ダメージを受けているらしい。でもそれを実感できない。テレビを観ている己には。
ここまで他人事として受け取れる試合もなかなか珍しい。ここまで実感できないのも珍しい。複雑なルールならもとより、殴り合いというわかりやすいルールの中で。己は何か欠落してしまったのかしら。食い下がるよすがは小六の記憶しかない。だが思い返しても、血を流すような殴り合いはしておらず、血を流す殴り合いを画面で見ても何も実感できず、ただただもちゃもちゃしているなぁと思うばかりで、熱狂できない自分を寂しく思うのであった。
何とも言えない寂しさを抱きながら画面を観る。きっとこの人達は必死に生きているだろうに己はそれを受け取れない。何なんだろうこれは、と思いつつ。涙を流す勝者が観客に対して膝を折り、頭を下げる姿を観た。自分はただビールを呑んでいた。ただただ入り込めない寂しさを感じていた。もうちょっと踏み込めばわかるかもしれないと思いつつ、小六の記憶を再生していた。しかし小六の記憶は既に十年以上前。擦り切れたテープは色鮮やかに映してくれない。己は思いを馳せるばかりだった。見えない記憶に対して。あぁ。