商店街の二階の異界
2015年12月27日(日) 緑茶カウント:7杯
日曜日の賑やかな商店街。込み合ってはいるが歩きにくさを感じるほどではなく、ちょっと気になったところで立ち止まったり奥を覗いたりするくらいの余裕を持てる、そんな時間。午を少し過ぎているが軒先からはまだ良い匂いが漂っていて、ちょっとした屋台で買い食いをしている人もいる。己は腹に底を入れ目当ての本も手に入れたので、後は帰るだけ。だが特に急ぐ理由もなかったので、ぷらぷらと歩きながらたまに頭上を見上げていた。
商店街の二階はちょっとした異界である。看板を出したり暖簾を出したりと人を迎えるための装いで整えられた一階と、雰囲気が断絶している二階の差異。ある店の二階ではスヌーピー柄のタオルケットがはためいていて、その横で一抱えもあるぬいぐるみが日干しされている。ある店の二階には子供の体操着が吊るされている。またある店の二階は完全に窓が締め切られていてしばらく開けられた形跡が無い。きっと倉庫として活用されているのだろう。
丁寧に手入れをされた植木と手作りのプレート、ドアーを飾る手製のリース、磨きぬかれた窓の奥にはパッチワークが施されたテーブルクロスとクッション。水色のペンキで塗られた壁はいつ見ても色鮮やかだ。しかしペンキが塗られているのは一階だけで、壁を伝って視線を上に移動させると薄汚れた木の壁と色褪せた屋根が見える。窓には内側から木の板が打ち付けられ、茶色くなった新聞紙がガラスの隙間を埋めるように貼られている。ただ単に使われていない空間というだけなのだろうが、一階を見て、二階を見て、また一階を見て、一つの建物が上と下で全く別の空間に切り分けられているギャップに、いつも不思議な心地になる。果たしてこの店の人ににとってどちらが日常の世界なのだろうか。どちらが主の世界なのだろうか。
カフェの先へ進むと、前に入っていた店の看板が二階に残ったままのイタリアンレストラン。二階の看板はかろうじて電器屋と読めるがもう大分ボロボロだ。このレストランに入る人はきっとわざわざ空を見上げて電器屋の文字を読もうとしないだろう。きっと誰も気に留めないからそこに残ったままなのだ。まるで化石のようである。
日常と化石が混在する二階と、同じ高さで歩けたらさぞかし楽しかろうなぁ、と思いつつ。気の向くままにふらふら歩く。こういう時間が、わりと好きである。