2016年1月17日(日) 緑茶カウント:1杯
思えば中学生の頃からそうだった。自分より年上のチャット仲間から、思考が大人びていると言われていた。それを有難い評価と受け入れつつ、まぁ二十歳になったら年相応と言われるのだろうなと考えていた。それは「はっはっはっ自分は大人っぽいんだなイエーイ」と自惚れないよう気をつけようとする思いも由縁の一つであったが、真実そのように信じていた。
しかし。二十歳になると今度は文章が老成していると言われるようになった。インターネットを通じて知り合い、インターネット以外では接触したことのない方々から、あるときに年齢を明かした瞬間「三十代だと思っていた」「四十代かと思っていた」「まさか自分より年下とは」と言われるようになった。これもまた有難いこととして己は受け入れた。実際嬉しかった。だが、きっと年を重ねれば実年齢と文章が釣り合うようになるのだろうと考えていた。
ところがどうだろう。三十を目前に控えた今も「文章が老成している」「落ち着いている」「まさか二十代とは」と言われている。そのことを己は嬉しいと思う。有難いな、ふふふとほくそ笑む自分を確認している。しかしわからない。いったいどのあたりが老成しているように見えるのか、落ち着いて見えるのかがさっぱりわからない。わりとはっちゃけてるよな? 若者言葉も使っているよな? でも落ち着いて見えるの? どこが? 何で?
嬉しいけどわからないけど嬉しいけどわからない。そうして、もしやこれは意外と、四十代になっても五十代になっても変わらないのかもしれないなぁと気付き始めている。いつか実年齢と釣り合う日が来るのだろうか。来ても良いし来なくても良いが、ただただ不思議だなぁと思う。ちなみにこの件について悩んではいない。ただ首を傾げているだけである。何だろう、年齢云々ではなくて時代にそぐわないのだろうか。わからない。不思議だなぁ。