日記録4杯, 日常

2016年3月13日(日) 緑茶カウント:4杯

先日美容院で髪を切り、若干髪型を変えた。今までは全体的に短かったのだが、頭頂部を長めにし、側頭部を短くしつつ、頭頂部から側頭部の境界をなだらかにした。ツーブロックでもなくソフトモヒカンでもなく、何と形容するのが正しいかは知れぬが、まぁ気に入っている。

お世話になっている美容師はとても腕の良い人で、己の要望を上手に汲み取ってくれるのでありがたい。結婚の話題になると若干価値観が合わず辟易することもあるが、大概のことであれば楽しく会話ができ、内容によっては相談もできる。この日己が相談したのは整髪料についてである。ずっとハードジェルを使っていたがまとまりすぎてしまうのが気になり、ハードワックスに変えたが思うものとは仕上がりが異なる。ある程度動きを作れて、それなりに維持できるのはどの程度の固さのものが良いか。

そうして美容師が勧めてくれたのがやわらかい、水溶性のジェルだった。固く太い髪質でも形を整えられるが固まりすぎない。また、水溶性であるため洗い流すのも容易で使いやすいとのこと。試しにその場でつけてくれ、見てみるとなかなか良い感じ。購入を決め、家に持ち帰って翌日から使い始めた。

結果、満足。実に使いやすい。ベトベトしないしサラサラして固まり過ず、なかなか良い。おーこれは使い切ったらまた買わねばなるまいな、とここに来て初めて名称を確認したところ。えっ!?

ポマードと書かれていた。あの口裂け女が裸足で逃げ出す名称である。えっ!? ポマード? ポマードってもっとガッチリ固めるものじゃないのか? とびっくりしつつビンの裏に貼られたラベルをしげしげ眺める。ポマード……。何となくハードボイルドなイメージがあるが、このイメージもどこから来ているのかわからない。

そうして若干の衝撃を受けつつ今日もポマードを使用している。ポマード。ポマード。



日記録3杯, 日常

2016年3月12日(土) 緑茶カウント:3杯

小学校の頃より絵と漫画が好きで、休み時間は教室の中で過ごすことが多く、部屋には漫画と小説とCDが山積み。大学の頃こそ弓道をしていたが今は全く弓に触れておらず、筋トレを日課にしつつも特にこれと言ってスポーツを趣味としていない。興味深いと思った作品についてあれこれ想像を巡らすことが大好きで、最近は専ら筋肉少女帯の楽曲「枕投げ営業」の物語を脳内で展開することを趣味とし、また、深夜アニメ「おそ松さん」にはまりまくって松野家の一ヶ月の銭湯代を計算しては「都内共通入浴回数券(10枚4,200円)を使っても、一人で1ヶ月に12,600円、六人で75,600円もかかるぞ……」と慄いて松野家の経済事情に思いを馳せている。

そんな根っからの文化系オタクであるのに、体育会系と思われることがわりとある。この間などは「毎日マウンテンバイクに乗ってそう」と具体的なイメージを告げられ、いやどっちかと言うとオタクでスポーツとは縁遠いんですよ、と言うもあまり信じてもらえない。スポーツが好きそうと言われて気分を害すことはないが、そこからスポーツの話題を振られても全く対応出来ない。オリンピックもワールドカップも興味がなく、毎年気付いたら開催されていて気付いたら終わっていることの繰り返し。しかし目の前の人はスポーツの話をしたそうだぞ! ごめんよ! オリンピックって四年に一度のわりに結構ちょこちょこやってるなぁと思ったら冬季と夏季で開催年が違うんだね! そんな程度の認識だよ!

しかし、こういった他者と自己の認識のギャップは面白い。なるほどなぁ、他者から見ると自分はそのように見えるのか。中身は全然違うのになぁ。自分はずーっと自分をオタク以外の何者でもないと思っているがそれを知るのは自分ばかり。そしてまた、自分が「彼の人はこのような人なのだろう」と思ったことが、全く事実にあてはまらないこともある。いやーまさかあなたにそんな趣味があったなんて! と喜んだこともあれば驚いたこともあったし、すっごいものを見せつけられたぞ……と固まってしまったこともあった。

今でも覚えているのは友人のツイッター。普段から下ネタに抵抗がない印象はあったが、まさか、そんな、連日、直接的かつマニアックな淫語や局部の名称を怒涛のようにツイートしているとは流石に予想出来なかった……しかも投下されるイラストは十八禁祭りじゃあないですか……あなたがやおい好きなのは薄々知ってはいたけどあまりの衝撃にちょっと、えっと、どう反応すれば良いっすか? 己は?

予想だにせぬ方角から与えられた衝撃は多大なものだったが、その後も特に友人との付き合いは変わらない。たまにあのツイートを思い出しては「意外なものだなぁ」としみじみしている。いやー全く予想できなかったなぁ。すっごいこと呟くなぁ……。

ちなみに。「毎日マウンテンバイクに乗ってそう」と言った人に、「最近は深夜アニメのおそ松さんにはまりまくっていて、ブルーレイも買いました」と言ったら比喩ではなく口にしていた飲み物を噴き出した。わはははは。改めまして初めまして。己はこんな人間です。以後、お見知りおきを!



日記録

2016年3月6日(日) 緑茶カウント:0杯

バレンタインの一週間後。友人がくれたチョコレートの箱は渋い緑色で、差し出す友人は「好きな色だと思ったから」と言ってくれ、友人が己の好きな色を把握してくれている嬉しさに己は感動したのだった。

そして一時経って思う。これは、自己評価の低さの表れではないかと。また、他者への興味の薄さによるものではないかと。

己が感動したのは、まさか友人が己の好きな色を把握してくれているとは思わなかったからだ。故の感動だ。思いがけないプレゼントが嬉しかったのだ。しかしそれは、自分の好きな色一つ、友人は覚えていないだろうという意識の表れではないのか。もしくは、自分が他者の好きな色を知らないからこそ、知ってもらえていたことに感動したのではないかと。

箱を開くと四枚のチョコレートがあった。二色の味がした。美味しかった。チョコレートは全て胃の中に収めたが、渋い緑色のパッケージはまだ机の上にある。

自分は薄情者なのかしら。

毎年チョコレートをくれる友人がいる。その人は誕生日にもプレゼントを贈ってくれる。自分は誕生日には何も返さない。それは友人の誕生日の方が早いからだ。もらったときにはお返しが出来ない。ただ、友人はクリエイターであり、展示をやっていて、その作品を見るのが己は好きなので、足を運ぶたびにプレゼントを持っていく。きっと友人が喜んでくれるであろうものを吟味して。でも、誕生日プレゼントを考えるのは難しくて、いつも考えはするのだが、時期を逃してしまうのだ。

どうなのかなぁ。

ホワイトデーにはお返しをする。流石にこれは返さなければ、と意気込んで。喜んでもらえたら良いな、と思いつつ。やりすぎないよう注意しつつ。きっと自分はいつだって不安なのだ。自分なんかを好いてくれる人がいるのかと思うから。

今の自分は幸せである。幸福である。受け入れられている。しんどかったのは中学時代。二時性徴により、男女の区別がはっきりしてから、己の居場所は不明確になった。また、人格にも問題があった。そして常に誘う側で、同時に断られる側でもあった。それに慣れすぎてしまった。中学の頃教師に辛いと相談したとき、「大学生になれば、男女の境もなくなるから」と言われ、そこまで待てるかよと思ったが、実際なってみるとその言葉は正しく、それよりも早く、高校生になった時点で己の悩みはほぼ解消された。そこは変人の集まる美術部だったから。

よって己は今恵まれた環境にいるのだが、未だに自信を回復出来ていないらしく、思いがけないプレゼントをもらうたびにビクビクするのだが、そろそろ慣れねばなるまいな。自信を持ってありがとうと言えねばなるまいな。と思っているのさ。

だからホワイトデーには、きっと、喜んでもらえるものを贈るんだ。


日記録2杯, 日常

2016年3月5日(土) 緑茶カウント:2杯

ズジスワフ・ベクシンスキー。「終焉の画家」なる異名を持つポーランドの画家。彼の作品の一枚は「三回見たら死ぬ絵」としてインターネットで話題になったこともあるので、どこかしらで見たことがある人も多いだろう。己は彼の画集を一冊所有している。

命が尽きた世界。廃墟と同化する人間は骸骨のように痩せ細り、悲壮感だけを身にまとっている。胃の腑の底がぐらぐら揺れるような気持ち悪さと、言い知れぬ不安感。心臓がざわめき、不快すら感じるのに食い入るように見つめてしまう絵の数々。ページをめくるたびに引き込まれ、いつの間にか没頭している。そして、ざわめきの中で静かになっている心に気付くのだ。

さて。ある人に好きな画家がいるかと質問をされた。その人とは知り合って一ヶ月程度である。己はちょっと考えてベクシンスキーの名を挙げた。するとその人はスマートフォンで画像検索をかけ、出てきた絵を見ながら言う。「あーわかります。すごくウヲさんみたい! いかにもって感じです!」と。画像検索をかけ、出てきた絵を見ながら。出てきた絵を見ながら。

たった一ヶ月の間にその人は、己の中にいったいどんな闇を見たと言うのか。

ええー。と思いつつ。しかも本人、褒め言葉のつもりらしいことが後のやりとりで知れた。仮に自分の描く絵がベクシンスキーのようであるという評価ならまだしも、その人に絵は見せていないし、己の絵はベクシンスキーのような絵ではない。つまり、だ。

喜んで良いのかどうなのか、若干悩んだ出来事だった。いや、好きだけどさ。好きだけどさ!



日記録3杯, 日常

2016年3月3日(木) 緑茶カウント:3杯

中心結節ってご存知? 奥歯の真ん中って普通、くぼんでいるじゃあないですか。すり鉢状にくぼんでいるじゃあないですか。その一番低い中心から、ニョキッと角が生えている、それが中心結節。聞いた話によると、二十人に一人だか百人に一人はこれを持っているそうで、己もそのうちの一人なのだが、既にその角は失われ口の中には無いのである。

何故無いか。折れてしまったからだ。

通常へこんでいるところにニョキッと角が突き出ているので損傷しやすく、これが傷つかないよう前もって処置をとる場合が多いそうなのだが、己はその処置を受ける前に何かの拍子に折ってしまったのだ。そして問題だったのが、この角の中にまで神経が通っているということ。つまりたかだか歯の表面に出来ているちょっとした出っ張りが折れただけかと思いきや、神経まで損傷を受けてしまっていたのだ。しかも奥まで。結果、中心結節のあった歯は大工事を余儀なくされ、銀歯のカバーですっぽりと包まれることになったのである。

この歯に、二十万円を使うことにした。

去年、祖母からもらった二十万円。「私が生きている間に、ずっと使える、記念になるものを買ってあげたい」と言われ、断りきれず受け取ったものの、二十万円を使ってまで欲しいものが見つからずずっと手元にあったのだ。一度、良い椅子を買おうかと思ったが、部屋に置くスペースがないため諦めてそのままにしていた。ただ、ずっとこれをどのように使うべきか決められないことが気にかかっていて、時折思い出してはどうすれば良いだろうかと悩んでいたのだが。

歯。歯なら良いんじゃないか?

銀歯で包まれた歯は奥の方にあるため見えづらいが、やはりコンプレックスだった。これを保険適用外の白い歯にしよう。他にもいくつか、銀が埋め込まれた歯があるので、それも白にしよう。歯ならまさに「ずっと使えるもの」である。記念になるかはわからないが、この銀歯を白くできたらすごく嬉しい。何て言ったって自分は、歯磨きが好きで食後は必ず歯を磨くにも関わらず、歯科検診を受ければ「綺麗に磨けていますね」「歯茎も健康ですよ」と太鼓判を押されるにも関わらず、どうにもむし歯になりやすく、それを歯科医に話せば「遺伝ですね」と一刀両断されてしまう、不遇の身であるのだから。

と、いうことで現在わくわくしながら歯医者に通っている。全て終わる日が待ち遠しい。