日記録3杯, 日常

2017年5月21日(日) 緑茶カウント:3杯

羽をコンパクトに畳んでいる。体長は三センチほどで、スリムな体型。羽の色は茶色で、今は天井近くに佇んでいる。もしかしたら、息を殺しているのかもしれない。

大分遅くなったがこたつ布団を取り払い、カバーを洗濯して中身の布団ともども日に干した。カンカン照りの夏のような日差しが降り注ぐ昼。己よりも年上の木造建築は熱を溜め込みやすいらしく、部屋の室温は三十二度。外の方がよほど涼しいのは窓を開けた瞬間に痛感した。では、書を持って外に出よう。鞄にkindleと財布とIC乗車券と携帯電話、そしてハンカチを詰め込み、ポケットにウォークマンを入れて家を出た。あぁ、やはり涼しい。

空調のきいた電車にガタゴトと揺られ、目指すは元町・中華街。欲しいシャツを売る店がここにあると言うので若干の遠出。座席に腰かけてポチリとkindleの電源をつけ、変わる風景を感じながら本を読む。最近は専ら太宰治ばかり読んでいて、このときは「お伽草紙」のページをめくっていた。

そして辿り着いた駅の先はお洒落な町並みで、あぁ、これは時間のあるときにゆっくり散策すべきところだった、と後悔したのは夕方に近い時間帯だったから。まだまだ明るく日中とはいえ日が落ちるのは早いもの。脇道を彩る敷石の鮮やかさに心を奪われつつも、地図を片手にさくさくと目当ての店へと進んだ。

店はあった。しかし欲しかった品は売り切れていた。あぁ、無念。しかし店員曰く、現在百貨店に出店しているので、そちらに在庫があるかもしれないとのこと。場所は東京・府中の街。電車でおよそ一時間先にある。

まぁ、どうせ他に用事もない。本も読みたいし足を延ばすか、とまたもや電車に揺られガタゴトガタゴト。「お伽草紙」を読み終わり、同じく太宰の著作「彼は昔の彼ならず」に移行し、百貨店に辿り着いたのは閉店二十分前。焦りつつも落ちついてエスカレーターのベルトを掴み、ようやく念願叶ったのであった。

そうして一時間かけて最寄り駅に着いた頃には日がすっかり落ちて真っ暗、玄関を開け窓を開き、冷めたこたつ布団を取り込めば一緒に入りたる来訪者。茶色の布団カバーの上で羽を休めていた小さな蛾がパタパタと、部屋の中を飛び回ったのだ。

それから彼か彼女かわからぬが、その蛾は天井近くに身を落ち着けて、休んでいるのか息を殺しているのか。ただただじっと固くなっている。自分は時々来訪者を見上げながら、視力の弱い目では彼の種類を特定出来ず、誰だろうなぁと思いながら、昆虫図鑑をめくっている。



日記録14周年企画, 4杯, 日常

2017年5月14日(日) 緑茶カウント:4杯

筋肉少女帯の楽曲「サーチライト」に「カリブロなんかは十九で死んだ」という歌詞がある。カリブロは若くしてこの世を去った非実在の詩人の名前である。故に、彼の名前をスーパーの野菜売り場で見たときには驚いて、思わず数歩通り過ぎた後早足でバックしてしまった。

またの名をロマネスコ。奇妙な形の野菜である。花蕾がフラクタル図形を描いていて、見ていると吸い込まれそうになる。食べたことはないが、味はカリフラワーやブロッコリーに近いらしい。

このカリブロをいつか料理してみたいと思いつつ、食欲を感じないまま今に至っている。

リクエスト企画で頂いたお題「作ってみたい料理、もしくは調理してみたい食材」について、リクエストを頂いてからたびたび考えてみたが、これという答えは出てこなかった。と言うのも自分は食に対して非常に保守的で、言ってしまえば「食べたことのあるものしか食べたくない」のである。未知の味を知る喜びよりも、美味しいとわかりきったものを食べる安心感を得たいのだ。故に何度も足を運んでいる店でも毎回同じ料理を食べ、それで満足してしまう。また、味の検討がつかないものが不得手なので、子供の頃に触れて来なかったエスニック料理やモツ料理はあまりお近づきになりたくない。材料の類推が出来ないものも苦手である。例えばテリーヌなど。我ながら面倒くさいと思う。

カリブロの名前を知らないまでも、写真を見たのは何年も前で、その数年後あちこちのスーパーで見かけるようになった。時と共に一般化し、流通するようになったのだろう。それから週に一度の買出しでスーパーに行くたびにカリブロを見てはその花蕾を眺め、興味深く思いつつ手に取ることなく素通りして、いつも買っている大根、玉ねぎ、ごぼう、ほうれん草を籠の中に入れている。頭の中に響くのは「サーチライト」を歌う声。カリブロなんかは十九で死んだ! あぁ、十九で死んだカリブロがスーパーの野菜売り場に並ぶ日が来ようとは! カリブロも夢にも思うまい!

いつか食べることがあるのだろうか。もしかしたら一生ないかもしれない。しかし歌声は一生響き続けるだろう。彼の野菜を見るたびに。

十九で死んだカリブロは、今は野菜売り場で休んでいる。



日記録0杯, 日常

2017年5月13日(土) 緑茶カウント:0杯

先代のノートパソコンを天袋に入れたままにしていたことを思い出したのが昨日の昼間。今後使う予定はないものの捨てるのが面倒なこともありずっと保管していたのである。確かあそこにACアダプタもあったのではないか、と記憶を辿り、帰ったらアレが使えるか確かめようと使命感を抱いたまま呑んで酔って午前三時に我が家に帰宅。アルコール漬けになった頭にもまだ昼に抱いた使命感はきっちりと残されたままで、ゆえに帰宅早々ベッドのへりに乗り上がり、天袋を開いて目当てのものを探し出した。足を滑らせて頭を打って死ぬようなことがなくて良かったと今になって思う。

そして帰って来たインターネットの世界。パソコンはみるみる充電され良い塩梅。あぁ、これで画面の暗さに不自由を抱くことなくパソコンで大いに遊べるぞ! と喜んで、風呂に入って身を清めた後、いそいそと「逃げるは恥だが役に立つ」を観始め、缶ビールを傾けて一人二次会。寝たのは四時だか五時だか知れぬが、二日酔いになることもなく快適な午を迎えたのであった。どっとはらい。



日記録0杯, 日常

2017年5月11日(木) 緑茶カウント:0杯

今日は「逃げるは恥だが役に立つ」を観ながらピザをつまみつつビールをあおろうと思っていたのに、こはいかなる凶事ぞ! あぁ、困ったことだ。ノートパソコンを自由に使えない。何故ならACアダプタが壊れてしまったらしいから。らしいと言うのは他の可能性が捨てきれないからで、とはいえ十中八九そうだろうと思っている。そうでなかったらそれはそれで困る。

バッテリーの残量は40%。これが切れたら新しいACアダプタを入手するまでパソコンは使えない。するとインターネットで大いに遊ぶことができないし、サイト更新もできない。体重の記録をつけることも出来なければ、文章を書くこともできないし、SAIで絵を描くこともできない。たかだかACアダプタが壊れるだけで結構な楽しみが制限される。全く困ったことである。

一応kindleを持っているため完全にインターネットの世界から遮断されることはないものの、無線LANの範囲内である我が六畳一間の外ではただの電子書籍リーダーでしかない。まぁ、これはノートパソコンも条件は同じか。とりあえず週末、出来たら明日電器店に走るとしよう。それまでは読書の世界にでも飛び込もうではないか。ははははは。困ったものだ。

それではしばしのお別れを。グッバイ!



日記録0杯, 日常

2017年5月7日(日) 緑茶カウント:0杯

それは布よりも最早タタミイワシに近く、乾くとバリバリに固まり、雀の涙程度なら吸うんじゃなかろうかという吸水性で、顔を拭けばガサガサとした肌触り、髪を拭けば吸いきれなかった雫が額を垂れて水浸し。かつてタオルであったものの、既にタオルとしての機能が完全に失われた死骸のような布で、それらが我が家のタオルの九割を占めていた。

気にはなっていた。ストレスも感じていた。何て言ってもタオルに求められる一番の機能、吸水性がゼロに近く、申し訳程度にしか水を拭えないうえ、ふんわり感は全くない。しかし長髪の民であれば苦労もあろうが短髪ゆえに何とかならないこともなく、不便を感じつつもずるずると使い続け、たまに実家に帰省してふわふわのタオルを使うたびに「これがタオルか……」と感銘を受け、我が家のタオルに思いを馳せて情けなさを感じていた。

帰省中に父が録画していたドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」を全話観た。かねがね面白いという噂は聞いていて、周囲の盛り上がりも知っていたが、盛り上がりを知った頃にはドラマは中盤に差し掛かっていたため機会を得ず、今まで観ることがなかったのである。しかし気にはなっていて、父も面白いと絶賛していたので休暇を利用して一気に観た。非常に面白かった。気付いたら原作の漫画を全巻買っていて、今はブルーレイの購入を検討しつつ、有料配信サービスを探し三十日の動画レンタルを利用した。そうして楽しく観返している。

あのドラマを観た自分はみくりさんと平匡さんの関係性を興味深く眺め、二人の恋愛を応援しつつも、どこか恋愛に発展してしまったことを残念に感じてもいた。ドラマとしては無論恋愛に発展した方が面白い。しかし恋愛に発展しない道を観てみたかったとも思うのだ。

様々な登場人物が持つ悩みや課題、置かれた状況。観る人はそれぞれに感情移入し、自分が知らなかった立場の人の境遇への気付きも得るだろう。ゆりちゃんや沼田さんのエピソードも非常に良かった。特に最終話でポジティブモンスターに発したゆりちゃんのメッセージ。また、序盤で沼田さんと風見さんが津崎家に宿泊することになったシーンで、平匡さんがゲイへの偏見に気付くシーン。印象的だった。

そして自分が思うのは、広くて綺麗な部屋に住み、週一で家事代行サービスを頼めるほどになりたいものだということで、とりあえず今できる快適な住まいを目指す第一歩ということで、家のタオルは全て雑巾にし、ふかふかの新しいタオルをどっさり購入したのであった。

新しいタオルは全て洗濯して今部屋の隅に干されている。他の人はあのドラマのどこに共感し、どこに気付きを得て、どこに憧れを抱いただろうか。どこかで語り合ってみたいものである。