日記録0杯, 日常

2014年2月10日(月) 緑茶カウント:0杯

好きなミュージシャン、影響を受けた人々はたくさんいるが、それぞれその種類は若干違う。筋肉少女帯と大槻ケンヂは自分にとっては既に血肉であり、水戸さんはマイヒーローであり、平沢進は興味深い人であり、石川さんは憧れの人だ。

そして町田康については、ひそかに、もし生まれ変わりなるものが存在し、次回も人間になれるなら、町田康のような容姿に生まれたい、と思うくらい、格好良いと思っている。実は。とても。

いつだったか。「どんな顔が格好良いと思うか」と友人達と話をしたことがあり、そのときに考えてみたのだが、自分にとって一番格好良いと思う顔は町田康の顔だった。ぎょろっとした力のある目が最高に格好良い。とても素敵だ。あんな風になりたいものだ。特に、ちょっと若いときの。

無論、容姿ばかり好いているわけではなく、特に学生時代に至っては、常に彼の詩集を持ち歩くほど愛読し、文章においては深く影響を受けているが、あえて他とは別に特筆するとなると、容姿の要素は外せないのである。

我ながら面白いと思うのは、平沢進が未だに「興味深い人」であることで、これは数年前に平沢進を知ってからずっと変わらぬ捉え方である。知った当初と変わらず、今も「何て興味深い人なんだ!」と感嘆させられるところがたまらない。あと、彼について言うならば、SP-2関連の話がたまらなく好きなんだな。ここにとても惹かれるのである。

水戸さんはヒーローとしか言い表せない。また、筋少もヒラサワも石川さんも町田康も、好きではあるがヒーローではない。では、ヒーローとはいったい何だろう? ピンチのときにサッと現れて助けてくれる人だろうか。あぁ、なるほど。水戸さんの歌う視点の先に答えがあるのかもしれない。水戸さんの視点はいつだって弱者の立ち位置にあるのである。そこに目を向けられていることに喜びを感じ、勇気を抱くのかもしれない。

石川さんはとても真っ当な大人である。真っ当な大人であると同時に狂気と遊び心が見え隠れし、それらを操りながら生き切っているところに憧れる。何て格好良いのだろう。あんな大人になりたい、と常々思う。

大槻ケンヂと筋肉少女帯については、あまりにも深く身の内に浸透し、影響を受けすぎてすっかり血肉と化してしまった。出会わなければ今の自分はいないし、奪い取られたら死ぬだろう。それでいて、あるのが当たり前。そんな代物に成り果てている。

以上。自分にとっての、あれこれである。



日記録1杯, 日常,

2014年2月9日(日) 緑茶カウント:1杯

今日の緑茶カウントは一杯だが、いつもの一杯とは違うんだぜ。

玉露なのである。

それも、適温の湯でじっくりと茶葉を開かせた玉露なのである。

急須の蓋を開けると匂い立つ甘い香り。口に含めば舌の上に広がる柔らかな味。嚥下する際にかすかに感じられる苦味。なんて御託を並べるのは余韻が消えた後のことで、注意深く急須からマグカップに緑の液体を注ぎつつも、いつもの煎茶を飲むときと同じテンションで口に含んだら脳がびっくりし、「うわっ! うまっ!? うまーっ!」と叫んだ。

これは大事にとっておき、何かの折に飲むことにしよう、と大事に大事にとっておいた結果すっかり忘れ去り、新しい紅茶を一袋買ってきた今日、空いた茶筒は無かったかと調味料やら茶筒やらが置かれた台の上を漁り、手に取った一つの茶筒の蓋を開けてみての再会である。己はリスか。

永遠に湿気らなければまた忘れ去るのも悪くないが、せっかくの美味。なるべく記憶の片隅に置き、折に触れ思い出すことにしよう。特別な日に飲まなくても、これを飲めば特別な日に変わるのだから。



日記録2杯, 日常

2014年2月8日(土) 緑茶カウント:2杯

こんな大雪、見たことが無かった。

故郷の群馬県は雪が降らない。新潟との県境にある山に雲がかかり、新潟側に雪を降らす。そして水分を失い、カラッカラに乾いた風が県境の山から群馬の土地へ吹き降ろされる。これが群馬名物空っ風。よって、群馬はほとんど雪に見舞われず、年に一度か二度雪が降ることがあっても、大して積もることが無く溶けてしまうのが常だった。

だから経験したことが無かったのだ。こんな、脛まで埋まるような大雪は。

どうしても外せない用事があっていやいや外に出ると、外階段が雪に埋もれて坂になっていた。雪を落としつつ苦労して下に降り、大地を踏みしめようとすると足が脛まで埋まった。あたり一面が白銀に染まり、踏み荒らされた形跡すら無い。誰も外に出ていないのか、足跡さえ塗りつぶされたのか。一瞬、呆気にとられながら、こんなことならさっさと長靴を買っておくべきだったと深く後悔しつつ、用事を済ませるために先に進んだ。

視界は爽快であった。こまごまとしたもの、石も、ブロックも、雑草も、ゴミ捨て場に設置されたカラス避けの網も、アスファルトもコンクリートも、白線も横断歩道も、マンホールも空き缶も空き瓶もコンビニのビニール袋も何もかもが、全て一色に塗りつぶされているのは圧巻だった。この雪がもしも自分の力によって降らされたものだとしたら、きっと征服欲が充足されるだろう、と思うような。そしてまた、何かを征服したいと思う人の欲求の結果の快楽を垣間見たような気がして面白くも感じた。

あぁ。雪が溶けて、泥に混じって、ぐっちゃぐちゃに色が混じる景色を見るのが楽しみだ。



日記録0杯, 日常

2014年2月7日(金) 緑茶カウント:0杯


ピンク・トライアングル

子供のときより違和感があり、十代後半で思い込みによる自身に対する認識の間違いに気付き、二十歳になってようやく自分の方向性が見え、しかし人間なんて変化するのが当たり前。やすやすと自分で自分に対し断定が出来ず、様子を見ながら生きてきたが、三十も目前に迫る今、そろそろ自分を「これだ」と言い切って良いのではないか、と思いながら生きている。

先日の日記の通り、オリンピック自体には興味も関心も無いが、一つここで意思表示をしておこう。

そしてまた、この先自分が、一転して愛に目覚めたり性欲に目覚めたり男を好きになったり女を好きになったりしても、女になりたくなったり男になりたくなったりしても、どちらにもなれなかったとしても、現状維持のままだとしても、それを「自然」なものとして受け止めようと思う。

同時に、そんな自分に付き合ってくれる、放っておいてくれる友人と生きていけることを願いつつ、世の中のセクシャルマイノリティ達が、安寧に過ごせることを願いたい。



日記録1杯, 日常

2014年2月6日(木) 緑茶カウント:1杯

スポーツ関係の催しにはとんと疎く、一人暮らしゆえに家族とテレビを観ることもほとんど無いため、全く把握が出来ていないのだが、もしや既にオリンピックは始まっているのだろうか。

世間の盛り上がりを何と無く感じ取りつつ素通りするのは気楽で良い。自分と別のところで楽しんでいる人がいるのも良い。そんな共存が楽しい。