水戸さんの歌声は迸るエネルギーが具現化したものだと思う。今日この日も、朗々と響く太く美しい歌声を全身に浴びて、頭から、胸から、爪先から、漲るエネルギーを吸収する心地を得た。

それはとても有難く、気持ちの良い時間だった。

水戸さんのアコースティックライブはいつもパワフルで、これがアコースティックライブなのかと疑うほどにいつも水戸さんは大汗を流しながら熱気を纏い、全力で歌っている。楽器はピアノとパーカッション。腰痛により急遽参加できなくなった澄ちゃんのギターが聴けないことは寂しいが、代打で参加してくれたパーカッションのナカジマノブさんの存在感は一入だった。澄ちゃんの不在を残念に思いつつ、そのうえで何一つ損をしたとは思わない、むしろ貴重なものが聴けて嬉しいと思える素晴らしいライブだった。

五月に発売されたアルバム「ウタノコリ」に収録されている楽曲を中心に、アンジーからソロ、3-10Chainなどの幅広い楽曲が演奏された。一曲目で深く息を吸い込む水戸さんを見て、もしやと思えば予想的中。天井から壁までビリビリと声が伝うような、静かな迫力の中始まったのは「マグマの人よ」。この歌の迫力に引き込まれながら改めて思う。水戸さんの歌声の素晴らしさと、上手さと、エネルギーをこの身に浴びられる嬉しさを。そしてこの世の多くの人が、この歌声の威力を知らずに生きていることを惜しいと思う感情を。

強制しようとは思わない。殊更に布教しようとも思わない。ただただ、惜しいと思う。この歌声の響きが新大久保の労音大久保会館に留まっていることが。この歌声の威力が届かない人の耳があることが。

故にありがたいと思う。出会えるきっかけを得られたことに。同時に寂しいと思う。もっと届けば良いのにと。

扇さんの煌びやかなピアノの調べとノブさんによる細やかなパーカッション。ポコポコと響くコンガの音に、涼やかなタンバリンのリズム、耳に優しく切ない鈴の音。あのパワフルで元気な、人間椅子とのほほん学校での姿しか知らない己から見れば、とても繊細で優しくて、楽曲に合う音を慎重に選んで鳴らしてくれる様子が職人の手仕事のようにやわらかくて、この音を聴けることが嬉しくてならなかった。

ノブさんがここに来てくれたのは本当に運が良かったそうだ。普段が忙しいのに、ちょうどぽっかり空いていたという。澄ちゃんの腰痛による欠席が決まってから、水戸さんは急いであらゆる人々に連絡をとったそうだ。扇さんと二人でこなすことも出来るが、もともとそういう編成ならまだしも既に三人での演奏と発表してしまった後では観客から可哀想にと同情され、行き場のない母性が降り注がれるのではなかろうかと危惧したと言う。母性の降り注ぐ中でのライブは確かにまぁ、やりにくかろう。

そんな中での救世主の一人がノブさんである。ノブさんは連絡をもらったとき、用件を聞けなかったため水戸さんと趣味を共にするボードゲーム合宿かな、他には誰が来るのかなとうきうきしていたそうだ。あぁ、そんな中でライブに参加してくれたこの事実、本当にありがたくて仕方がない。

ノブさんの演奏の中で、特に印象に残っていたのは「天国ホテル」だ。シャンシャンと涼やかに鈴の音を鳴らしてくれて、それが実に美しく、切なかった。ツアーで焼肉定食を食べ、牛串を食べ、さらに夜に焼肉を食べ、水戸さんや扇さんがそろそろ収束に向かう中でさらにご飯をおかわりし、水戸さんに一日で牛一頭食べたと言われる人物とは思えないような、穏やかな手つきで楽器を鳴らしてくれた。

あの楽器に向かう目つきも覚えている。水戸さんの歌声と扇さんのピアノに調和する音を奏でる指先を操るその目は、ムードメーカーのアニキ像とはまた違った、涼やかな色をしていた。
ありがとう、ノブさん。

嬉しかったのは新曲の「浅い傷」が聴けたこと。デビュー三十周年を彩る楽曲にしてはネガティブな印象を与えるかもしれない……と水戸さんは仰るが、己はそうは思わない。転がり続けながら活動を続ける水戸さんが、そうしてずっと歌声を響かせてくれる水戸さんが、己は大好きだ。本当に死ぬほど、大好きなんだ。

嬉しかったよ。「センチメンタル・ストリート」が聴けたことが。嬉しかったよ。この曲で客席に下りてきた水戸さんと、拳をコツンとぶつけられたことが。そんな、水戸さんにとっては小さなことかもしれないことで、勇気とエネルギーを得られる人間がいるんだよ、と伝えたい。

澄ちゃんの欠席に伴い、各所へゲスト出演を依頼しセットリストを組み直すどさくさの中で紛れ込んだ一曲が「めぐり逢えたら」。曰く、扇さんが好きだからと紛れ込ませたらしい。歌った後に水戸さんは、この曲は五分ほどで書いた曲で、自分について省みることなくただただ都合の良いことを言っている歌詞だ、と分析していたのがおかしかった。

そのうえで、この曲を聴けたことが嬉しいし、紛れ込ませてくれた扇さんに感謝である。

今回唯一のカバー「マイウェイ」を熱唱する水戸さんを観て、ついついオーケンとうっちーの仲直りを連想してしまったのだが、その歌声の威力は雑念を振り払うほどのものだった。改めて思う、水戸さんは……、歌がうまい。とても。とてつもなく。

席に座っているのがもどかしいと感じるほど。拳を振り上げ、煽られれば歌い、立ち上がりたい衝動を抑えつつひたすら水戸さんと見つめる三時間。本日は新大久保駅でトラブルがあり、駅から出られず会場へ向かえなかっただろう人もいたことを水戸さんは聞いていたという。実はと言うと会場に着いたとはいえ己も他のでもないその一人で、新大久保駅に着いたと思ったら一歩も動かない人の海がぎゅんぎゅんになっていて、しばらく待ったもののどうにもならないため山手線で隣の駅の高田馬場へ移動、そうしてタクシーに乗ろうとするもタクシー乗り場は長蛇の列で……という塩梅で、通常であれば新大久保駅から十分で着く会場に、新大久保駅から会場まで一時間もかかった。それでも間に合ったとは運が良かったと思うし、開演時間を遅れても一曲目から全て聴けたのは、言葉にはされていないながらも思いやっていただけたのではなかろうか……と思ってしまう。

最後、「偶然にも明るい方へ」を聴いて胸の前で手を握りつつ思ったことは、これからも来年もその先も、ずっと水戸さんの歌声を聴きたいということ。
あなたの歌声を知れた人生を己は幸福に思います。故に、これからもずっと堪能していきたいです。そのように、強く願って。




2018年10月18日(木) 緑茶カウント:4杯

こうも寒くなってくると、屋台の暖簾をくぐって味の染みた大根とごぼう巻をつつきながら、くいっと熱燗を傾ける……なんて背中に憧れる。

ところが残念なことに、とても残念なことに。己は日本酒が苦手なのである。

日本酒も焼酎もピンと来ず、美味しく呑めるのはビールばかり。ハイボールもあまり得意ではなく、好んで呑むのはウイスキーの香りが消えるほど大量にレモンを絞ったレモンハイボールのみ。何にせよ呑めるのは冷たい酒ばかりで、お湯割りや熱燗とは縁がないのだ。

故に憧れる。あの温かな湯気に含まれるアルコールと出汁の香りを嗅ぎながら、胃の腑の底に火を点す寒い夜の晩酌に。

あぁ、良いなぁ。やってみたいなぁ。
いつか楽しめるときが来れば良いなぁ、と願って。




■10月8日23時「最前おめでとうございます!ストリームホールは~」の方へ

ありがとうございます! おっしゃるとおりまさに絶景で、おいちゃんのピックもゲットできて最高に幸せでした!
Foo-Shah-Zooは水戸さんとの対バンで何年か前に観たことがあります。ボーカルの扇さんが格好良かったです。今週末に行くウタノコリでも扇さんが出演するので楽しみです!

■10月9日0時「素敵なレポありがとうございます」の方へ

こちらこそご覧いただきありがとうございます!




2018年10月7日(日) 緑茶カウント:0杯

今も覚えている。十年以上前に一人暮らしを始めたその日、何が嬉しかったって、これでもう二度とちびまる子ちゃんを観ないで済むのだと思ったこと。
そして実際、遠ざかったことによりしっかりとストレスから解放され、以来ずっと自分はちびまる子ちゃんとさくらももこを苦手だと思っていた。嫌いだと思っていた。嫌悪していた。

さくらももこが亡くなったとき、ショックを受けた。
言葉にならなった。
何故なら己はずっとちびまる子ちゃんのアニメを観ることが苦痛で、嫌で、故にさくらももこが苦手だったからだ。

しかし幼少期に真似をして描いた絵はマリオとヨッシーとサムライスピリッツとちびまる子ちゃん。当時の己は確かに、ちびまる子ちゃんが好きだった。
そのことを知りながらも、嫌悪の方がずっとずっと強かった。

アニメで描かれる藤木へのいじめの描写が笑いとして扱われることが嫌だった。明らかに藤木は悪くないのに糾弾される様子に辟易した。とりあえず藤木を卑怯と罵っておけという風潮に異常を感じた。
故に、こんなクソみたいなアニメが国民的アニメと尊ばれ、ちょっと下ネタが露出するだけのクレヨンしんちゃんが下品だと非難されることに納得いかなかった。下品以上に、ずっと藤木いじめの方がひどいだろうと。何故そっちを問題視しないのかと。

高校生までは家族四人で暮らしていた。日曜日にはサザエさんとちびまる子ちゃんを観るのが常だった。己はこのニ作品を観るのが本当に嫌だった。しかし、自分の都合でチャンネルを変えることも団欒の場から抜け出すこともできなかった。

だから嬉しかったんだ、一人暮らしをして、初めてサザエさんとちびまる子ちゃんと遭遇しない日曜日を手に入れて。

以来、一度もそのニ作品は観ていない。ずっと平和に過ごしていた。
その中で。

かつて、己はちびまる子ちゃんが好きだった。実家の本棚にあった漫画を読んでいた。面白かった。幼少時に楽しく読んだ漫画と高校生の頃に観たアニメは繋がるようで繋がらないような、そんな不可解な印象がある。

さくらももこが亡くなり、ショックを得た。
どうしてショックを感じたのだろうと考えて、アニメの、一番初めの頃の、ごく初期のちびまる子ちゃんを観た。

面白かった。

どうかと思う毒や共感できない描写もありつつも、そこには一人の小学生の日常が描かれているだけだった。あの、いじめを笑いに変える気持ち悪さは今のところ、ない。
画面を観ながら呆然とした。だってそれは、あまりにも屈託なく面白かったから。

あぁ、そうか。そうなんだなぁ。
己が苦手に思っていたのは、さくらももこ自身ではなかったのかもしれない。ただの、「ちびまる子ちゃん」として醸成していった結果だったのかもしれない。
気付いた途端、ずっと胸に抱えていたわだかまりが溶けた気がした。身勝手だなぁ、と思った。少しだけ、安心した。

今度実家に帰ったら単行本を読んでみよう。当時の感覚を掘り起こせたら、嬉しい。




2018年10月6日(土) 緑茶カウント:0杯

深夜に干しっぱなしにしていた洗濯物を畳んでいたら、ブゥンと羽ばたくものがあった。思わず身構え、着地した先を見やればそれはゴキブリでも蜂でもない四角くて平たい見慣れた姿。ザラザラした茶の色合いが美しいカメムシだった。

ガスを噴射されては困るが、刺激しなければ害は無い。とはいえずっとここに居てもらうわけにもいかないので、彼が着地した枕を手に取り、サッシをカラカラと開けて闇に手を伸ばし、枕を揺すぶった。

パタンとサッシを閉じ、カチャリと鍵を閉める。外では風が轟々吹いていてやかましい。何の歓待もせず強風の中に帰したことに罪悪感がないでもないが、きっと彼なら元気にやっていってくれるだろう、と何も知らないくせにそう自己完結して満足する。

まぁ、湿った洗濯物に虫が潜むのはよくあることだ。いつだったかなぁ。子供の頃にパンツを穿いたら、中にミツバチがいて、お尻を刺されてびっくりした記憶がある。あのときは泣いたかどうだったか。ミツバチも災難だったよなぁ。

思い出を懐かしみながら残りの洗濯物を畳む。一つだけ不思議に思うことは、彼がいつから潜んでいたかということ。というのも、己は基本的に洗濯は部屋干ししかしないからね。

ずっといたのだろうか。いつからいたのだろうか。うちは居心地が良かっただろうか。窓ガラスを揺るがす風の音を聞きながら思う。まぁ、またいつか気が向いたらいらっしゃい。