日記録6杯

2019年2月8日(金) 緑茶カウント:6杯

その日は珍しく……と言っても九時頃だがね。朝に外に出て住宅地を歩いていたら。
それはもう、大きな鳥に遭遇したんだ。まるで鶴のような。

白く大きな鳥が当たり前のようにブロック塀の上に佇んでいた。灰と青を混ぜたような羽と黄色の嘴、そして眼光鋭い目が印象的だった。その鳥が、鶴を連想するような大きな鳥が、池も川もない住宅地の、一戸建てと道路を隔てるブロック塀の上に当たり前のように立ち、くの字に足を曲げて悠々と歩いた。

距離はわずか一メートル。呆気に取られて立ち止まる己を見下ろし、大きな鳥は羽ばたいて距離を取ると隣の家の庭に駐車された自動車の屋根に乗った。すたんと。それはあまりに堂々としていて、あまりにも住宅地の風景に似つかわしくなくて、まるで夢を見たような、不思議な気分に陥った。

後で調べたらあの鳥はアオサギだった。彼か彼女か、この鳥がどこから来たのかはわからない。ただ己は確かに、この鳥を見た瞬間愉しさを感じたのだった。日常に踊る非日常の光景に。

あのアオサギはどこから来てどこに行ったのか。わからない。



日記録6杯, 日常,

2018年7月30日(月) 緑茶カウント:6杯

二日前に開けて以来口をつけていない牛乳があったとしよう。さて、この牛乳は己にとって毒か否か。

毒か否か、と考えた時点でそれは毒に変貌する。例え傷んでいないとしても。

どうにも食品に対しての不安に己は弱いらしく、「大丈夫だろうか」と思った時点で必ず腹を壊す。大丈夫に違いないと思い直しても壊す。そして不思議なことに、同じ二日前に開けた牛乳であっても二日前と一日前に口をつけて安心して飲めていれば同じ日数が経っていても腹を壊さない。何故なら、そこに不安が無いからだ。

どうやら、目を離している間に何かが作用しているに違いないと信じてしまうらしい。目を見張ってさえすれば安心だが、一度範囲の外に出てしまうとそれはもう毒と成り果てるのだ。

いったいどこでどの信仰を抱くに至ったかは不明だが、抱いているからには上手に付き合うしか道がなく、なるべく毎日口をつけようと努力する次第である。あぁ、不思議な習性だ。



日記録6杯, 日常,

2018年7月26日(木) 緑茶カウント:6杯

うなぎが食べたい。うなぎが食べたい。すごく食べたい。
すごく食べたいが我慢している。絶滅危惧種に指定されたが故に。

うなぎが食べたい。うなぎが食べたい。とても食べたい。誕生日が土用の丑の日に近いため、誕生日にうなぎを食べることを楽しみにしていた。うなぎは美味しい。あの甘辛いタレの染みたご飯に乗ったホロッとした身を口に運ぶ楽しさ。思い切ってお重を持ってかっこむ喜び。でも我慢している。食べないようにしている。食べないようにしているけど食べたい。

うなぎ、食べたいなぁ。

まぁ、自ら求めないというマイルールを課しているだけなので、コース料理の小鉢に混ざっていた場合などは食べるのだが。出てきた場合にまで残すのはもったいないので食べるのだが。でもなるべく食べないようにしている。このご時勢なので食べないようにしている。

うなぎ、うなぎ。
うなぎ、食べたいなぁ。
食べたいなぁ。



日記録6杯, 日常

2017年12月17日(日) 緑茶カウント:6杯

急須がほっこり温かくて、時間を置いて手を乗せてもまだ温かくて、空の急須からじんわりと伝わる熱と、咽喉を通って胃袋に届く緑茶の熱い熱を感じて、六畳間にて一人、ほっとしたのであった。

傍らでは加湿器がしゅんしゅん沸いている。その横には買ったばかりのちょっと良いシャツが吊るされている。さらにその横に洗濯し、水分をまとった使い古しのタオルに寝巻き。それらに温かな風をあてるのは六畳間専用のエアコン。朝からずっと労働を余儀なくされ、文句も言わず働いている。

向かって左にはベッドがあり、その上に乗るのは太陽光をいっぱいに浴びたものの、寒空に放り出されて冷え切った布団だ。それも、エアコンの風を浴びてようやく温まった頃だろう。ほう、と一息つきながら緑茶をもう一口。熱湯を注ぐ気はなかったが、冷めるのを待てなかったために随分熱い。故に苦味が強いが、まぁ美味しい。

昨日は仮面ライダーの映画を観た。二回目だ。初回に比べ、登場人物の関係性や世界観の設定も理解が深まっていたためにより物語を楽しむことができた。面白かった。そしてこの日は何故だか早くに眠くなり、普段よりも随分早く、二十四時頃に布団に入り、うとうと眠って起きたのが九時。何と健全な時間だろう。驚愕しつつせっかくなのでと朝日に布団を浴びせ、洗濯をし、ゴウンゴウンと洗濯機の鳴る音を聞きながらトイレ掃除その他の諸々の用事を済ませ、昼には牛乳を飲みつつパン屋の美味しいパンを食べ、日が暮れる前に習慣にしている常備菜作りを終えた。

ぷかあ、と、己が煙草喫みなら、ここで一服楽しんでいるのだろうね。

代わりに湯船になみなみたたえた温度の水に体を浮かべ、はぁ、と息を吐き、そろそろ髪を切りたいなぁ、ついでにいっそ次は試しに金髪にしてみっかなぁ、と思う。風呂上りにはこの日拵えた様々な副菜と主菜を一つ皿に並べ、とっとっとっとビールを注ぎ、音の鳴らない乾杯で虚空を揺らす。ビールっつったら五百が当たり前だったが、このところは三百五十も呑みきれない日があって、それはとにかく疲れているから。疲労のあまりたかだか三百五十のビールに含まれるアルコールすらままならない。しかし今日は五百を三本呑んでもよゆーよゆー。あぁ、良い日だな。やはりビールの美味しさは健康のバロメーターだな、なんつって、人心地着いた後、こうして緑茶を片手に日記を書いている。先ほどよりも熱を失ったが、まだ急須は温かい。胃の底には茶葉を揺らして生まれたやわらかな香りの水がたゆたっている。あぁ、幸せだ、と胸に思って。



日記録6杯, 日常

2017年8月20日(日) 緑茶カウント:6杯

この部屋に引っ越す前に住んでいたところでは、ベッドの下に収納ケースを四つ詰め込み、その中に衣類やタオルをしまっていた。特に不自由は無く快適だった。ある日必要があって今の部屋に引っ越した。この部屋は以前の部屋よりも押入れが大きかったため、四つの収納ケースに加えて二つ、六つの収納ケースを押入れに入れることができた。自然、ベッドの下には空間が生まれた。

さて。このときしみじみ思ったのは、ベッドの下に空きスペースがあるだけで圧迫感が減るなぁ、ということ。部屋の大きさは変わらないものの、窮屈さが減り、開放感が生まれたのである。そうして己は、ここに物を詰め込むのはやめよう、と決めたのだった。

あれから五年。あのときの開放感が強く印象に残っていた己は今もベッド下に何も詰め込んでいない。そこには空きスペースが広がっている。では開放感があるかと言えばこの家にそんなものはどこにもない。ベッドの下には空きスペースが広がっている。代わりに床の半分以上に本が山となって積み重なり、足の踏み場に苦労する有様。ベッドの上にも本があり、寝るときには本をこたつの上に移動させ、起きたらこたつの上の本をベッドに移動させる。歩けば雪崩が起き、座っても雪崩が起きる。積み重なる本の山のどこに目当ての本があるのかわからず、あっちをひっくり返しこっちをひっくり返しと目的のものを見つけたときにはまた部屋が散らかり、寝ても覚めてもうんざりする。そんな絶望的な様相であった。

本末転倒である。何がベッド下の空きスペースだ。確かにここに物がないと広々と見えてとても良かった。とはいえ、それどころではないじゃあないか!

本と共に積もり積もったストレスが爆発したのだろうか。気付けば己は起床と同時にパソコンを立ち上げ、衝動的に無印良品のネットショップにアクセスし、メジャーであちこちの寸法を測り、収納ケースを三つ注文した。今週末には届くらしい。片付けよう。片付けよう! 片付けたい!! 今はその想いだけで生きている。