日記録4杯, 日常

2016年7月20日(水) 緑茶カウント:4杯

遠目に見える人影は微動だにせず、パラパラと横一列に並んでいる。四人の人影は動かない。歩を進めるにつれ人影はだんだん大きくなり、一人二人と数を増やすが動かない。誰一人として動かない。

この光景を眺めるたびに己はいつも不思議に思う。何故だ。初めてこの道を通る人ならいざ知らず、何故毎日通っているであろう人々がいつもここで待ち続けるのか。立ち止まる人影はスマートフォンを見つめていたり、傍らの人とお喋りしていたり、ぼーっと中空を眺めていたりと思い思いの姿でそこにいるが、彼らの横まで来た己が、すぐそばにある押しボタンに指をつくや否や、弾かれたようにわらわらと動き出す。何故だ。

何故この人達は毎日この道を利用しているだろうに、押しボタン式の信号機の前で延々と信号を待ち続けるのか。ちなみにこの信号機は押しボタンさえ押せば三秒後には信号が青に変わるが、押しボタンを押さない限り永遠に赤のままである。待てども待てども信号が青になる日など来やしないのに、押しボタンは目につく場所に設置されているというのに、誰も押しボタンを押さずただひたすらその場に佇んでいるのである。夜中の十時や十一時に。延々と。

もしや己が知らないだけでこの押しボタンには何かしらのいわくでもついているのだろうか。そんなことがあるはずもなく。今日も己は道の先に滞留する人影を眺めるのである。



未分類4杯, インストアイベント, 橘高文彦, 非日常

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押入れに仕舞いっぱなしで、滅多に使われないオリンパスのごついデジカメ。充電のためパソコンにコードを繋げば過去に撮影した写真が表示され、履歴を見るに軽く数年は使っていない。

そんな使用頻度の低いデジカメをわざわざ取り出した理由は一つ。だってこんな機会、滅多に無いから。

デジカメを活用した帰り道、夢のようなふわふわとした気持ちを噛み締めながら、それでいてずっと脳は興奮していて、口元が緩むのを抑えらず、ただひたすら「うわあ、うわあ、うわあ、うわあ!」と心の中で唱え続けていた。うわあ!

撮ってもらったよ! 橘高さんと! ツーショット写真を! 橘高さんと!

およそ十年前に筋肉少女帯を知ったことで「音楽」というものにはまった自分にとって、橘高さんのギターこそが己にとってのギターの音色である。橘高さんのギターが全ての基本になっている。故に自分が知る中で一番心地良く一番格好良い。その音色を奏でる橘高さんと。橘高さんと写真を撮れるなんて!

夢のようだった。しかし夢ではなかった。夢ではないかと確認するたびに並んだ写真が現実であることを教えてくれる。うわあ。うわあ。うわあ。

タワーレコード新宿店七階のイベントスペースに集う人々の前に颯爽と現れた橘高さんは、金色の髪をふわっふわに飾り立て、レースの華やかな黒のステージ衣装を身にまとい、爪は真っ黒でメイクもバッチリ。インストアイベントでは黒い帽子にサングラスに黒の私服というスタイルが常であるにも関わらず、この撮影会のために! 時間をかけて「橘高文彦」に変身してくださったのである! このサービス精神が嬉しい!

ちなみに今日のイベントは昼の十二時からだったので、橘高さんは朝の五時から用意をしなければならなかったそうである。「次やるときにはもっと遅い時間にやりましょうね」と言っていた。

今回、橘高さんのデビュー三十周年記念ライブ「AROUGE」「Fumihiko Kitsutaka’s Euphoria」「X.Y.Z.→A」「筋肉少女帯」の四公演が、それぞれ一枚ずつのブルーレイディスクとなって発売された。当初橘高さんはこの四枚をボックスにすることを考えていたらしい。ただ、子供の頃に欲しいファミコンのソフトが別のソフトとセットになって販売されてがっかりした経験があるので、せっかくのアニバーサリーでファンにそんな思いをさせるのは……ということで別々の販売にしたそうである。「ただ、四枚買ってくれた人だけの特典も用意しているからね!」と。ちなみに特典の内容はフォトブックと、五種類のピックセット。近くに立っていた男性が「ピック……良いなすごいな欲しい……」とつぶやいていた。

トークでは映像の内容にも触れていた。今回ブルーレイで発売し、クリアな音とクリアな映像でお届けしたが、「そこまでクリアである必要があるか……?」ということで、次回からはアートな感じの映像になるかもしれない、と冗談めかして語っていた。もしかしたら今回のディスクがクリアな映像を楽しめる最後の一枚になるかもしれないそうだ。

また、ブルーレイは橘高さんの記念ライブとして開催されたものを収録したものだが、同時にそれぞれのバンドの最新作であり、どれも充実した内容になっているとのこと。「ここにいない大槻さんのファンにも勧めといてね」と笑いながら話す橘高さんは実にキュートであった。

トークが終わったら撮影会に。ステージとオーディエンスの間に仕切りが作られ、順番に並んで一人ずつ入っていき、仕切りの奥で撮影が行われる。恐らく撮影の際に他者が写り込まないよう配慮してのことだろうが、写真に慣れていない人間としては人の目が遮断されるのは実にありがたかった。

並びながらカメラをチェックしたり、何を言おうか考えたりと、ドキドキしながら順番を待つ。そうしてついに自分の番がやってきて、カメラをスタッフのお姉さんに預けると、すぐそばに橘高さんが! 差し出される手を緊張しながら握り、うわあ橘高さん橘高さん、格好良いなぁ……! 間近で見るとすごい迫力だなぁ……! と感動する。

さて、ついに撮影を……というところで橘高さんからポーズの希望を聞かれた。ポーズ。何も考えていなかった。むしろリクエストが出来るなんて夢にも思っていなかった。思わず動揺して何も答えられない。すると橘高さん、「じゃあ、はい!」と言って、ポン、と優しく肩に手を置いてくれた。

肩に手!!

撮影後、お礼を言ってその場を離れ、数歩歩いて立ち止まり、カメラをチェックすると自分の真横に橘高さん。いつも見上げるステージの上にいる橘高さんが、自分の真横に。あの音色を奏でる指が自分の肩に。うわあ。うわあ。うわあ。

撮影会から既に数時間経っているが、未だ脳がふわふわしている。余韻に浸っている。一生の思い出である。

あぁ、嬉しい。



日記録4杯, 日常

2016年7月4日(月) 緑茶カウント:4杯

一月ほど前、フローリングで力なくうずくまっていたアダンソンハエトリグモがその後どこに行ったか知れないが、彼の家族か友人か親戚かが我が家の壁とカーテンをぴょこぴょこ跳ね回っていた。

アダンソンくんが繁殖している。

アダンソンハエトリグモは可愛い。まるっとしたフォルムで短い脚をわきわき動かしぴょこぴょこ跳ねる姿は非常にキュートだ。ずっと眺めていたくなる愛らしさがある。そのうえ部屋の害虫を食べてくれる益虫なので、我が家に滞在していただけることを己はとても嬉しく思う。ある一点から意識を逸らしさえすれば。

アダンソンくんが元気にぴょこぴょこ動き回っているということは。栄養がたっぷりとあるはずで。まぁ、いるだろうよ最近あまり出会っていないが。ホウ酸ダンゴをしかけているが。だってここは己と同い年か年上の木造アパートの二階なんだぜ。

アダンソンくんが繁殖している。可愛いが、家具の後ろを想像すると、ちょっと怖い。



日記録4杯, 日常

2016年7月3日(日) 緑茶カウント:4杯

土曜日は十六時に起床した。日曜日は十二時半に起床した。そうして二日連続でたっぷりと睡眠をとり、今日はゆったり過ごしたのである。

思うこと、考えることは山ほどある。

永田カビ作の「さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ」を読んで思ったことを先日の日記に書いた。半分は作品の感想であり、半分は自身の体験を綴ったものである。友人から「実は風俗で働いている」と告白を受けたとき、己は確か二十歳かそこらで、しかも非常に厄介な性質を抱えており、大分緩和されてきてはいるものの、未だそれを解消しきれていない。

何を抱えていたかというと、己はとにかく性的な話題に乗ることが苦手で、どのAV女優が素晴らしいかといった猥談はもちろん、友人の誰と誰が付き合っているという話すら苦手で、耳にすれば大げさでなく気分が悪くなり、自室の床に突っ伏して動けなくなることがままあった。とにかく、受け付けなかったのである。

幸運だったのは友人の多くが己の性質を慮ってくれていたことで、猥談はもとより恋愛の話すら己の前ではしないでくれていたので、だいたいは平穏に日々を過ごすことが出来た。全くもってありがたい話である。故に、親しい友人の交際関係を全く知らずに過ごし、大学卒業後に誰と誰が付き合って別れたといった話を知って仰天したことも多々あったのだが。

そんな性質を抱えた中での友人の告白である。友人から告白を受けた後、風俗の労働内容を調べてショックを受けたのであるが、友人がどんな名前の業種で働いていたのかを己は覚えていない。記憶が抜け落ちたかのようにすっぽりと忘れてしまった。もしかしたら調べたらわかるかもしれないが、忘れたままで良いだろうと思っている。

ただ印象的なのは、告白を受けた後に友人から食べかけの食べ物を差し出されたとき。己は親しい間柄あれば、わりと食べかけを口に含むことに抵抗がない。歯型のついた大福だろうが先方が嫌がらなければ齧ることができる。しかしそのとき己は確かに「汚い」と思ったのだ。

例えば、ものすごく奔放で、経験人数の多い友人が差し出した食べかけの食べ物を口に含むとき己は逡巡するだろうか。愛の有無が問題なのか? では、奔放な人がものすごく色好みなだけで、その関係に愛がなかったら? もしくは、食べかけを差し出す人が、頻繁に風俗を利用する立場の人であったなら?

このように色々考えた末に、きっとあのとき抵抗を感じたのは、労働内容を思い出してしまったからなのだろうなぁ、と思う。リンクしてしまったのだ、生々しく。

あのときの逡巡を悟られただろうかと思うことが未だにある。答えはずっと知りえない。



日記録4杯, 日常

2016年6月22日(水) 緑茶カウント:4杯

ひしめきあっていた建物の一箇所にぽっかりと空き地が出来ていて、その前を歩いた瞬間、そこに何があったのか思い出せない自分が生まれた。何度となく通りかかった場所であるというのに、ほんの一週間通らなかっただけなのに。

まるでパズルのピースが一つ抜けてしまったかのような空白。あるのは違和感ばかりなり。絶対に知っていたはずなのに思い出せない気持ち悪さが脳を渦巻く。出前屋か? 薬局か? わからない。

そうしてまた別の一所が先日空き地になり、翌日にはアスファルトで塗り固められ、今日にはよく見る駐車場に変化していた。変わる風景を眺めながら過去ここにあったものを思い返そうとするもごちゃりと混ざってしまって見えない。利用したことのない店だった。しかしずーっと見かけていた。その風景に己は馴染んでいた。馴染んでいたのに全く見えない。

今日も空き地を眺めながら、何があったかなぁと考える。日に日におぼろげになっていく。そのうち、違和感を払拭するために適当な記憶を上書きするかもしれない。そうすることでパズルのピースをはめたような気分になって安心することを期待して。

そうだ、あそこはきっと薬局だったのだ。と。