食べかけの食べ物

2016年7月3日(日) 緑茶カウント:4杯

土曜日は十六時に起床した。日曜日は十二時半に起床した。そうして二日連続でたっぷりと睡眠をとり、今日はゆったり過ごしたのである。

思うこと、考えることは山ほどある。

永田カビ作の「さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ」を読んで思ったことを先日の日記に書いた。半分は作品の感想であり、半分は自身の体験を綴ったものである。友人から「実は風俗で働いている」と告白を受けたとき、己は確か二十歳かそこらで、しかも非常に厄介な性質を抱えており、大分緩和されてきてはいるものの、未だそれを解消しきれていない。

何を抱えていたかというと、己はとにかく性的な話題に乗ることが苦手で、どのAV女優が素晴らしいかといった猥談はもちろん、友人の誰と誰が付き合っているという話すら苦手で、耳にすれば大げさでなく気分が悪くなり、自室の床に突っ伏して動けなくなることがままあった。とにかく、受け付けなかったのである。

幸運だったのは友人の多くが己の性質を慮ってくれていたことで、猥談はもとより恋愛の話すら己の前ではしないでくれていたので、だいたいは平穏に日々を過ごすことが出来た。全くもってありがたい話である。故に、親しい友人の交際関係を全く知らずに過ごし、大学卒業後に誰と誰が付き合って別れたといった話を知って仰天したことも多々あったのだが。

そんな性質を抱えた中での友人の告白である。友人から告白を受けた後、風俗の労働内容を調べてショックを受けたのであるが、友人がどんな名前の業種で働いていたのかを己は覚えていない。記憶が抜け落ちたかのようにすっぽりと忘れてしまった。もしかしたら調べたらわかるかもしれないが、忘れたままで良いだろうと思っている。

ただ印象的なのは、告白を受けた後に友人から食べかけの食べ物を差し出されたとき。己は親しい間柄あれば、わりと食べかけを口に含むことに抵抗がない。歯型のついた大福だろうが先方が嫌がらなければ齧ることができる。しかしそのとき己は確かに「汚い」と思ったのだ。

例えば、ものすごく奔放で、経験人数の多い友人が差し出した食べかけの食べ物を口に含むとき己は逡巡するだろうか。愛の有無が問題なのか? では、奔放な人がものすごく色好みなだけで、その関係に愛がなかったら? もしくは、食べかけを差し出す人が、頻繁に風俗を利用する立場の人であったなら?

このように色々考えた末に、きっとあのとき抵抗を感じたのは、労働内容を思い出してしまったからなのだろうなぁ、と思う。リンクしてしまったのだ、生々しく。

あのときの逡巡を悟られただろうかと思うことが未だにある。答えはずっと知りえない。



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