日記録1杯, 日常

2014年9月4日(木) 緑茶カウント:1杯

このところ体重と体脂肪率が落ちているわりに、脇腹と背中に肉の気配を感じている。ということは、脇腹と背中に肉がたまる代わりに、どこかの肉が落ちているはずなのだがそこがどこかわからず、ただただ不可解さを感じている。

昨今、忙しいあまりに運動が出来ていないが、しないとまずそうである。やろう。なるべく。と、胸に誓って。



日記録1杯, 日常,

2014年8月31日(日) 緑茶カウント:0杯

たかだか切っただけのトマトがどうしてこんなに美味いのだ。

塩すら振っていない。トマトを二個、厚めに切って皿に乗せただけ。これだけで立派なおかず、もしくは酒の肴になるのだから素晴らしい。そもそもトマト料理が大好きで、トマトの登場頻度の高いイタリアンに目が無いので、人よりトマトへの愛が強い自覚はあるが、やはりそれ以上にトマトそのものが美味いのだ。

しかし昨今はどうにも野菜の値段が高く、あれこれと買うと思った以上の支払い金額になるのが困ったものだが、それでもやはりこの季節、トマトの消費は抑えられず、ついでにミョウガの消費も抑えられず、毎日のようにトマトやミョウガを食べて、過ぎ行く夏を実感しているのである。



日記録1杯, 日常

2014年8月27日(水) 緑茶カウント:1杯

紙やすり、再生紙、低級トイレ紙、中級トイレ紙、高級トイレ紙、鼻セレブ。この六種類の紙が二十センチずつ繋がっていて、その順番は定まっておらず、千切って巻くまでどの紙が表に来るかわからない、そんなトイレットペーパーはいかがだろうか。そんなロシアンでルーレットなトイレットペーパーはいかがだろうか。質感は違えども色は限りなく一色に近く、触るまでどこが何かわからない。そんなトイレットペーパーはいかがだろうか。ということをここ数日廊下に置かれたトイレットペーパーを見るたびに思っていて、いかがですか。どなたか作りませんか。そしてどこぞの家に設置しませんか。我が家は結構ですので。どなたかやりませんか。



日記録1杯, 日常

2014年8月17日(日) 緑茶カウント:1杯

ただいまただいま。戻りました。楽しい休暇でございました。昼過ぎまで寝続け、アレルギー源の猫を愛で、ご馳走を喰らい酒を呑む日々でした。その合間合間に、十年前に読んだ「摩利と新吾」を読み直し、当時は深く感じ取れなかった摩利の苦悩に涙して、同時に天真爛漫な新吾の残酷さに悲しみを感じ、あぁこれは名作だなぁとひしひしと感じ入ったのでございます。

明日からまた頑張りましょう。そうしましょうぞ。



日記録1杯, 日常

2014年7月29日(火) 緑茶カウント:1杯

ポケモンで言えばレベル二十、所詮そんな程度の耐性だったようで、昨夜あの日記を書き終えた後、最近感じていたことを書き切った満足感を得たものの、どうにも落ち着かず、心臓がザワザワし、柄にも無い話題を選んでしまったことに対する居心地の悪さのような、そんなものに苛まれ、布団に入るも寝付けず、寝たかと思えば何度も目を覚まし、悪夢を見て、疲れ切って朝を迎えた。

全くここまで来たら愉快になるしか無いじゃないか! 阿呆な奴だなぁ、と俯瞰から自身のつむじを眺めて笑う。まぁ、受け入れましょう。己は己を肯定するよ。

ところで話は代わるが、自分の中ではポケモンは青の時代で止まっているので、冒頭のレベル二十はマックスレベルが百であることが前提の数値だが、もし二百や五百や千にまでゲージが膨らんでいたらどうしよう。どうか百の中の二十、程度で理解して欲しい。千分の二十はちょっと嫌だなぁ。