日記録0杯, 日常

2013年7月27日(土) 緑茶カウント:0杯

ぐったり疲れた。最近夕飯に手を抜くことが多く、ろくなものを食べていなかったので、今日はそれなりにちゃんとしようと肉野菜炒め、もずく、味噌汁、ご飯を並べ、しっかり食べたら思いのほか腹が一杯になり、ドッと疲労と眠気が押し寄せてきて、歯磨きと食器洗いを済ませ、コンタクトレンズを外した後、しかし漫画を読みたい気分もあったので布団に寝そべって漫画を読むも、あ、やっぱ眠いだめだとそのまま眠り、目覚めたのが一時間後。驚いた。痺れるような疲労が全身を支配していて、体を動かせることはできるものの動くのが非常に辛いのである。

そしてまた一時間眠り、目が覚めても疲労は残っていたが日記を書くために起きた。思えば今週はろくに食べられなかったりしたものなぁ。少々無理が来ていたのかもしれない。



日記録0杯, 日常,

2013年7月25日(木) 緑茶カウント:0杯

卵かけご飯を語る人を見て思う。日本人の心と言っても過言ではないほど親しまれた家庭用ファーストフード。そのくせこだわる人はこだわり抜き、黄身を崩すタイミング、ご飯の温度、使う醤油の種類にまで気を使うと言うが、自分はこの卵かけご飯というものを食べたことが一度しか無い。

食べたのは確か成人後だ。卵かけご飯にネガティブなイメージを抱いたのは小学校低学年のとき。家族に卵かけご飯を食べる人がいないので、そのときまで「卵かけご飯を食べる人」を見たことが無かったのだが、初めて見たその人は非常に行儀の悪い人で、握り箸で両肘をテーブルに乗せながら、ずるずると茶碗に口をつけて啜るので、以来、卵かけご飯を見るとあの食事のイメージが連想されてしまうため食指が動いたことが無く、そうでなくとも恐らく苦手な味と食感だろうと思い込んでいたため一度も食べようとしたことが無かったが、大人になって、一度くらいは試してみようと思い、新鮮な卵と温かいご飯と醤油を用意して混ぜて食べてみたのだ。

子供の頃の自分は正しかったことがよくわかった。

以来食べていない。だが、楽しそうに卵かけご飯について語る人を見ると少しうらやましく感じるので、また試してみたら違うかもしれない、と思いつつ、やっぱ変わらないだろうなとも思っているので、目玉焼きをご飯に乗せて食べるのだ。火が通っていれば好きなんだ。



日記録0杯, 日常

2013年7月24日(水) 緑茶カウント:0杯

とりあえず不安は解消された。ほっとした。ようやく食欲が戻ってきた。脱力した。疲れた。気が抜けた。でもまだわからない。

楽しみを前に不安になりたくないんだ。「もしかしたら来ないかもしれない」「直前でキャンセルの連絡が入るかもしれない」と憂鬱になりたくないんだ。心から迷い無く楽しみたいんだ。憂鬱になることを避けるあまりに予定を入れることを恐れるようになりたくないんだ。でも悲しいことになりつつあるんだ。

何も期待をしなければ期待を裏切られることも無い、期待をする方が間違いなんだ、なんて思いたくないじゃないか。思いたくないのだよ。本当は。だけどそう思わなければやってられなくなっているんだ。

「大丈夫」と思いたいが、出来ないのが悲しい。自分は信頼したいんだ。



日記録0杯, 日常,

2013年7月6日(土) 緑茶カウント:0杯

漫画「ワカコ酒」でも描かれていたが、揚げたての唐揚げと温めた唐揚げは別の食べ物だ。ということを、唐揚げを揚げながら実感した夏の夜。自分は汗を流しながら暑い暑い台所に立っていた。

近所の弁当屋では唐揚げの安売りセールをやっていた。近所のスーパーでは鶏もも肉が通常価格で売られていた。値段的に言えば、弁当屋でパックの唐揚げを買う方が断然お得だ。しかし自分は、あくまでも「揚げたて」の唐揚げを食べたかったのだ。

料理酒と醤油を混ぜ、生姜とにんにくを摩り下ろしたタレに鶏もも肉を漬け、放置している間に焼きナスを作ってこれを冷蔵。しっかりと冷やし、フライパンに油をなみなみと入れ、小麦粉と片栗粉をボウルに混ぜる。漬け置きした肉に粉をこってりと塗し、煮立った油に入れる。美味しくないわけがない!

油の中で泳ぐ唐揚げが狐色に染まった頃、菜箸でそれを掴むと肉の内から沸騰する音が聞こえる。これこそが美味しさの正体だ。菜箸を数回振って、それを口の中に放り込み、噛み潰すとジュワアァと溢れる油と肉汁、サクサクの衣。口いっぱいに広がる旨みに笑みがこぼれる。唐揚げの真骨頂だ。

それはもうビールが進んで進んで。ビールが尽きた後、ウォッカを呑んでジンを呑んだがまだ足りない。暑い熱い台所で汗を流しながら唐揚げを作り、汗を流しながら唐揚げを喰らい、何て楽しい夏だろう!

そして今余韻に浸りながらジントニックを一杯。美味しくて楽しい夜を満喫している。あぁ、幸福だ。



日記録0杯, 中華料理屋, 日常,

2013年7月5日(金) 緑茶カウント:0杯

二十一時までは確実に元気だったが、どこかで糸がぷっちり切れて疲労が肩にのしかかりもうだめだ疲れた何もする気がしない。空腹感すら煩わしく願うことは全身の体重を床の上に投げ出すことのみ。だが、煩わしくとも空腹は確実にあり、何か食べなきゃならないことは確かなので、食欲を感じないものの行き着けの中華料理屋に行った。

餃子を食べる元気は無い。酒を呑みたい気分でもない。強いて言えばチャーハンが食べたいが、ここのチャーハンは量が多い。以前注文したときなど、想像の四倍の量のチャーハンがでっかい皿に山盛りでよそわれ、食べても食べても食べても食べても減らないチャーハンに苦心したものだ。しかもそのときは餃子とビールまで頼んでいて、何度ギブアップしそうになったかわからない。そのうえ油が大量に使われているから胃に来るのだ、これが。

そんなもんを何故疲れているときに食べるのか、と自分に問いたい。案の定疲れた。美味しかったが疲れた。今回はチャーハンだけを頼んだが、疲れた体には多すぎた。正直三分の一で良かった。量を減らしてもらえないかな、と思った。恐らく頼めば調整してくれるだろう。だが悔しかった。何か悔しかった。だって学生の頃はこれくらい余裕で食べられたはずだから。今もきっと食べられるはず。食べられる体でありたい。だから食べる。

だから食べるったって疲れてるんだってば。

あぁ、これから消化にエネルギーを使ってまた疲れるのか、と思いつつ重い腹をさすりながら家に帰った。疲れた。美味しかった。疲れた。