日記録0杯, 日常

2013年8月8日(木) 緑茶カウント:0杯

捕り放題、という表現の方が正しいのだろうが、道のあちこちに転がるセミの死骸を見て頭に浮かんだのは「死に放題」という言葉だった。

死に転がったセミを取り囲むように、ジーワジーワミーンミンミンミンシャーシャーシャーシャーとセミ達が人の頭の上で喚きたてる。誰もセミ捕りをしないのだろう、油断しくさったセミゼミが街路樹の高いところ低いところ好き好きにとまりひたすら無心で自己主張を続けている。こいつらもあと数日経てば死に放題の仲間入りをするのだろう。こいつらが全部死ぬのか。と思うとなかなかの迫力を感じる。

一週間で死ぬセミを可哀想と言う人もいれば、そうでないと言う人もいる。何年も暗く冷たい土の中で過ごして、やっと地上に出てきたのに、たったの一週間で死んでしまうなんて可哀想。いやいや、ずっと温かい土の中で暮らすことができて、働くのはたったの一週間で良いなんて天国じゃないか、全然可哀想じゃない、という人。自分は可哀想と言う感情は持たないものの、だからと言って何年間も土の中にいられることをうらやましいとは思わず、ただ思うことと言えば、何年も土の中で暮らし、さて地上に出るかと外を目指すもアスファルトに阻まれて出られない、なんてことになったらさぞかし絶望するだろうなあ、と言うことだ。

死に放題のセミが転がる下の、土とアスファルトの境目で力尽きたセミが何匹も何匹もいるかもしれないと思うと、ちょっと怖い。



日記録0杯, 日常,

2013年8月7日(水) 緑茶カウント:0杯

良くない。

最近急がしさやら何やらを理由に食事を省略することが多く、まともに食べているのは一日に一食程度。大量の野菜と肉を食べ、ご飯もしっかり食べることを信条としていたはずが、どうにも最近冷蔵庫の中の野菜が減らない。いつも週末に大量の野菜を買い込むのに、一週間経ってもほとんど買出しの必要が無いというのはいかがなものだろう。玉ねぎなんぞ一日一個消費する勢いだったはずなのに、まるまる一袋残っているじゃあないか。

冷蔵庫に残っているということはつまりその分の栄養が吸収されていないということで、それは栄養が足りていないということで、体に悪いということで。良くない。これは良くない。一人暮らしならそんなもんかもしれないが自分がしたいのはそんな食生活ではない。しっかり食べてしっかり動く。

忙しいが、なるべくきちんと夜も料理するよう努めよう。この生活を続けていたらだめになりそうだ。



日記録0杯, 日常

2013年8月6日(火) 緑茶カウント:0杯

今日はどうしたことか、朝からすこぶる体調が悪く、立つのも辛い有様だったが、栄養ドリンクを充填して気合を入れたらだんだんと元気になって元気になって元気になりすぎてしまい、驚くことにまだその効果が切れておらず、反動の到来に恐怖しながら寝てしまおうかと思っている。

今週もまた忙しそうだ。



日記録0杯, 日常

2013年8月5日(月) 緑茶カウント:0杯

「○○と△△は来てくれるって! ××からはまだ返事が来てないの」

結婚式のお誘いのメールに書かれていたこの一文より読み取れるのは、このメールを送る以前に既に人々に打診をし、それからしばらく経っているということであり、つまり言うなればこのお誘いは人数合わせに近いもので、無論誰が来るかを事前に教えれば安心してくれるだろうという親切心ゆえのことだろうが、もっと! うまく! やれ!!

友人繋がりで付き合いはあるものの、という間柄。さて、これは。どのように返事をしようか悩みものである。



日記録0杯, 日常

2013年8月4日(日) 緑茶カウント:0杯

商店街の中にある小さなカラオケ屋。そこは個人が経営しているような素朴さが外観からも滲み出ていて、気にはなりつつ一度も中を覗いたことが無かったのだが、先日ついに足を踏み入れたのはストレスを発散したかったから。本当は保存食用の野菜や肉をスーパーで買って帰るだけの予定のはずだったが、その前に。店の前を通りかかり、看板を見上げたとき、二時間寄り道してやれ、と思ったのだ。

結論から言うと、良かった。とても良かった。内装も素朴さに満ちていて、通された板張りの部屋には卓袱台と座布団が置かれており、背後には年季の入った黄ばんだエアコン、メニューを見ればフードの欄にはマジックで塗りつぶされた跡。生き残ったメニューは冷凍物だけの様子。壁にはけばけばしいイルカやクジラの絵は無く、ドアーはガラス張りでは無いごく普通の木のドアー。まるで友達の家に通されたかのようだった。

エアコンと同じく機械の種類も古いのか、配信されているはずの曲が入っていないのは残念だったが、店の感じは大いに気に入った。浪人の頃、時間が空いてたまに入っていたカラオケ店と同じ匂いがする。あの店は敷地の中に入るとバンガローのような小屋がいくつも点々と建てられていて、その一つ一つがカラオケボックスの個室になっていたのだ。あの店のおばちゃんのゆるーい雰囲気も好きだったが、気付いたときには無くなってしまっていたのだ。もう何年も前の話である。

そして自分は当時も絶唱した筋少と、その後覚えた平沢進・アンジーを好きなだけ歌ってスッキリして店を出た。咽喉がガラガラになった。楽しかった。ははは。