日記録0杯, 日常,

2017年6月7日(水) 緑茶カウント:0杯

作り置きしていたポーク・ソテーを温めながら、何のソースをつけようかと冷蔵庫を開く。目に入ったのはケチャップ、マヨネーズ、ウスターソース、青じそドレッシング、醤油、白だし、マスタード。この間はケチャップとマヨネーズとウスターソースを混ぜて温めたものをつけて食したが、それすらも面倒くさい気持ちが生じている今。で、あればと冷蔵庫の隅から取り出したのはトンカツソース。合わないことはないはずである。

そうして口の中に広がったのは驚くかな、錯覚の味である。これはポーク・ソテーである。しかし、卵もパン粉もついていないのにトンカツの味がするのである。トンカツソースをかけるだけで、脳がトンカツと錯覚するのだ。そう、それはまるで衣を剥いだトンカツを食べているような。そう、それはまるで衣を剥いだトンカツのような味になってしまったのだ。

一時の後、虚無の味が広がった。もともとはポーク・ソテーという一人前の料理だったはずの代物が、衣を剥いだトンカツのようなもの、という悲しい一皿に成り果てた。それはまるで二級品のトンカツのような、トンカツもどきのような、トンカツを食べたい人が無理矢理自分を騙しているような、そんな虚しい味がした。

虚無の味。

皿にあるのはポーク・ソテー。豚肉に塩胡椒を振って、小麦粉をまとわせ、オリーブオイルでソテーした肉料理、だったもの。傍らのトンカツソースは黙って食卓の上で直立している。己はそれを眺めている。脳には虚無が広がっていた。そんな一つの夕食だった。



日記録14周年企画, 2杯, 日常,

2017年3月5日(日) 緑茶カウント:2杯

去年の夏頃だっただろうか。手軽に野菜を食べたい欲求を満たすため、ピクルス作りを始めたのは。なるべくまた板も包丁も出したくない、だけど新鮮な野菜を食べたい。ではどうすれば良かろうか、と考えた末辿り着いたのが保存の利くピクルスだった。ピクルスならまとめて作ってしまえば、あとはビンから出して皿に並べるだけ。楽である。

それから毎週のようにピクルスを作る日々。ところがレシピをもとに作ってみるものの、日数の経過とともに酸味が強くなりすぎて食べるのが苦痛になったり、味が好みでなかったりとなかなか難しい。個人的にディルの利いているピクルスは好みでなく、甘すぎるのも好きではない。サッパリとした酸味の利いたピクルスが理想だ。

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ああでもないこうでもないといろいろなスパイスを試した。ブラックペッパー、鷹の爪、吉野産ぶどう山椒、セロリの種子、ピクリングスパイス、マスタードシード、コリアンダーシード、タラゴン。これらの多くはピクルスのために買ったものだ。しかしなかなか難しく、ピンとくる味に近付いたと思うもののまだ遠い。何かが違う、と思う日々が過ぎた。

そうしてピクルス作りを始めて早数ヶ月。やっと追い求めていた理想の味を構成するレシピに辿り着いた。それがこの三つである。

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ブラックペッパー、鷹の爪、にんにく、以上。シンプルである。すごくシンプルである。正直この三つで良いのであれば自前の品で事足りた。己は随分と回り道をしたらしい。どうすんだあの吉野産ぶどう山椒にマスタードシード。使うあてが全くないぞ。

まぁ、なんだ。紆余曲折あったものの、ようやくまな板も包丁も使わずビンから取り出すだけで野菜を食べられる生活を手に入れた。そんなわけでその理想の味をここに書き記しておこう。

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■ピクルス液のレシピ
穀物酢(ミツカン) …200ml
水 …180ml
砂糖 …大さじ2
塩 …小さじ2
鷹の爪 …1つ
にんにく …1欠片
ブラックペッパー …10粒くらい

(1)小鍋に上記の材料を全部入れて火をつけて、一煮立ちしたら火を止めて荒熱をとる。
(2)保存容器に切った野菜を入れる。
(3)野菜の入った保存容器にピクルス液を注ぐ。
(4)そのまま冷蔵庫へ。一晩経ったらできあがり。

使っている容器は無印良品のソーダガラス密閉ビン1000ml。今回詰め込んだ野菜はきゅうり3本、セロリ1本、赤パプリカ1つ、黄パプリカ1つ、ヤングコーン6本、うずらの水煮いくつか。うずらは今回初めて入れたので美味しいかどうかはわからないが、卵のピクルスもあるそうなので多分悪いことはないだろう。ほか、人参やブロッコリーも美味しい。

ちなみにこのピクルス、満員電車もかくやとばかりにぎゅんぎゅんに詰め込んでいるので、ゆったり入れると上記の材料は入りきらない。テトリスを遊ぶが如くぎゅんぎゅんに詰めて欲しい。ぎゅんぎゅんに。

日持ちは五日程度かな。早めに食べきるのがよろしかろうと思う。さぁ、君も手軽なピクルスライフを手に入れようぜ。楽だよ!

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■参考にしたレシピ
消費、保存、常備に 夏野菜の簡単ピクルス
おつまみにもいける常備菜。ブロッコリーのピクルス



日記録0杯, 日常,

2017年1月12日(木) 緑茶カウント:0杯

美味しいなー、と思いながら毎日飲んでいる。

ぐらぐら沸いた鍋にビンを入れ、煮込んでいる間にレモンをよく洗う。サクサクッと輪切りにしたら爪楊枝で種を穿り出し、煮沸消毒を終えたビンの中に輪切りを入れる。蜂蜜を注ぐ。輪切りを入れる。蜂蜜を注ぐ。ビンが蜂蜜で満たされたらキュッと蓋をし冷蔵庫へ。

そうして数日置いたらレモンの果汁が蜂蜜に溶け出して、トロトロとした液体はサラサラになり、それをコップにたらりと注ぐ。そこに輪切りのレモンを一枚落とし、ポッカレモンを一センチ。最後に水をなみなみ注いで、ストローでレモンの果実を潰しながらかき混ぜたら出来上がり。一日を終える前にこれを飲んでふうとため息をつくのが最近の楽しみである。

ポッカレモンを入れるのは酸味を追加するためだ。レモンの蜂蜜漬けだけで味をつけようとすると一度に大量に消費してしまい、すぐになくなってしまい具合が悪いのである。ではポッカレモンだけでも良かろうという意見もあろうが、レモンの果実の爽やかな香りと蜂蜜のほんのりした甘さはポッカレモンにはないもので、やはりレモンは欠かせない。だから己はいそいそと、休みの日にビンを茹でてレモンを切る。サクリとレモンが二つに割れた瞬間に弾ける香りは何度嗅いでも素敵なものだ。

さて。この飲み物を己は名もないものとして日々飲んでいたのだが、最近やっと気がついた。あぁ、これはいわゆるレモネードというものなのだな。調べてみればその通りで、しかし名称を知ると急に遠くなった気分もあり。名もないままでも良いかなと思った。



日記録1杯, 日常,

2016年12月25日(日) 緑茶カウント:1杯

クリスマスイブ。商店街に軒を連ねるは釜焼きピザを売りにするイタリアンレストラン。前々から気になっていたので入ってみれば、ファミレスに毛が生えたようなメニュー。前菜にと頼んだカプレーゼはモッツァレラチーズではなくクリームチーズの欠片で、一口食べて笑ってしまったのは自分が家で作る簡単なつまみと全く同じ味をしていたから。レシピも何も無く適当に作ったこれをまさか外で食べる日が来ようとは。しかもこれ、明らかにkiriのクリームチーズである。

そして続いて運ばれた「日替わりチーズの盛り合わせ」にもクリームチーズの欠片が山となって積み重なっており、これはもしやと食べてみれば明らかに親しんだ味。間違いなくkiriのクリームチーズである。うーんこれは失敗だったかなと苦笑しつつ運ばれてきたピザ・ビスマルクを頬張る最中に会計を求められ、五千円支払って食事を終え外に出た。値段だけは立派であった。

そうしてクリスマス当日。美容院と整骨院を出て何か腹に入れようと入った馴染みのつけ麺屋にてつけ麺あつもりを注文する。あつもりとは、麺を湯にくぐらせて温めたものである。この店で生まれて初めてつけ麺を食べたとき、冷たい麺と熱いスープが織り成すぬるい口中がどうにも耐えがたく、それは己がぬるい食べ物が苦手だから。熱いものは熱く、冷たいものは冷たく食べたい、そういう欲求を持っているから。しかしここにてオーダーミス発生。一口食べてわかったそれは冷えた冷たい麺だった。

同じ味でも温度で変わる。己はこれを美味しく食べられない。ゆえに店員に声をかけ、あつもりで注文したが冷たい麺が届いたことを伝えるも、歳若のアルバイト店員はおろおろするばかり。ここで考える。この麺は既に口をつけている。このまま湯にくぐらすことはできないだろう。すると取替えを要求すれば、この麺は廃棄されるのか。それはもったいなく思う。

仕方無しに、出された冷たい麺をそのまま食べた。スープはどんどん冷めていって、食べ進めるほどに苦味を感じた。不味い。

己がこのまま食べると宣言したとき店員は明らかにほっとしていて、すると己は店員を助けたことになるのだが、結果不味い飯で腹を満たすことになり、歩きながらどうにも悲しみが生じ脳内でシミュレーションをしてしまう。だって本来であれば温かいものを食べて腹を満たしたかったから。美味しいな、と満足したかったから。

もしあの場で麺を温めることを要求したら店員はどうしただろう。既に口を付けている。困るだろうなぁ。では、冷たい麺は食べたくないのでこれはいらないご馳走様、とほとんど残して席を立ったら? ただの嫌な客だ。じゃあ、冷たい麺は食べたくないので新しく注文し直しましょう、と目の前の皿を無視して券売機の前に立ったら?

自分はそれらにならなかった。冷たい麺も廃棄物にならなかった。じゃあいいのかな。でも美味しくはなかったな。美味しいものを食べたかったな。

クリスマスなのでケーキを二つ買って帰った。ショートケーキと苺のチーズケーキ。いそいそと熱湯を沸かし、冷まして、丁寧に緑茶を淹れて食べた。美味しかった。ほっとした。

以上。これが己の2016年のクリスマスである。



日記録2杯, 日常,

2016年9月13日(火) 緑茶カウント:2杯

串カツって良いなぁ、としみじみ思ったのは串カツを食べているその時ではなく、一人居酒屋のカウンターで串物を食べているときであった。

串カツの魅力。それは多人数で食べてもバラさなくて良いところにある、と己は考える。

串に刺さったハラミを歯で挟み、口の中に運び込んで咀嚼し、ビールを呑む。美味い。一つの塊に閉じ込められた肉汁が余すことなく口中に迸る。その全てを味わいながら、先日人と食べた串カツを思い出し、あのときにも無意識のうちに味わった、串から外さずに齧り付ける幸福を噛み締めたのであった。

わかる。それは親切だ。皆が色々な種類の肉をちょっとずつ食べられるようという配慮である。故に人々は焼き鳥の盛り合わせが出ると我先にと串を持ち、箸で押して皿の上にバラバラに崩すのである。そうして己は無残なそれを眺めつつ、残念な思いを口の中に押し込めながら、小さな肉の塊をちょいちょいと箸で摘んで黙って噛む。醍醐味の失われた焼き鳥を。あぁ、焼き鳥とは何だったのだろうと思いながら。

ところがどっこい。対して串カツはバラされない。必ず一人一串があてがわれ、各々好きなだけソースに漬けてそれを貪る。焼き鳥と串焼き。その違いはいったいどこにあるのか。ソースに浸すか浸さないか、故に運命が決まるのか。詳細は不明である。不明ながらも嬉しさを噛み締める。あぁ、良いなぁ。やはり串物の醍醐味はこれだよ、と味わいながら。噛み締めながら。