日記録0杯, 日常,

2014年7月20日(日) 緑茶カウント:0杯

うなぎが好きだ。毎日食べたい毎週食べたい毎月食べたい、そこまでの強い欲求こそ持ってはいないが、年に一度、うなぎ屋で美味しいうなぎを食べたいという欲求がある。故に土用の丑の日が近い、誕生日近辺にうなぎを食べるのを一つの行事として己のカレンダーに組み込んでいて、今日その機会に恵まれて美味しいうな重を食べつつ肝吸いを啜ったのであった。

至福。

まず目黒寄生虫館の展示を見るために友人達と集まって、展示を真剣に眺め楽しみ静かな声で語り合い、充実した時間を過ごした。目黒寄生虫館は半年前にも行ったが、また新しい設備が増えていた。タッチパネル式で、寄生虫の分布図の過去・未来を見比べられる装置。そしてこの時期だけの特別展「ヤマビル」。瓶に入った生きたヤマビルを観察することが出来るのだ。指先ほどのサイズの黒いヒルで、瓶越しに見る分にはうにょうにょ動いて愛らしいが、絶対に吸い付かれたくはない。ちなみにヤマビルは病気こそ媒介しないものの、吸い付かれるとしばらく血が止まらなくなり垂れ流しになってしまうそうだ。うーん、やはり、自然ではあまり会いたくない生き物である。

この寄生虫館に行く約束を取り付けたとき、己は酔っ払っており、その後どこに行くかはすっかり忘れてしまっていたため、寄生虫館を出た後に友人達が「もう行く?」「焼くのに時間がかかるよ」「すげえ楽しみ」と話すのを聞きつつ「何を焼く話だろう…」と思いながらついて行き、店の前で焼かれるものの正体を知って歓喜した。やっほう! うなぎだうなぎだ!

あぁ、美味しかった。やわらかくてふわっとして。ご飯も多すぎずちょうど良かった。

来年の夏もうなぎを食べられると良いなぁ。



日記録0杯, 日常,

2014年7月19日(土) 緑茶カウント:0杯

漬物を漬けるのは植物を育てるのに似ていて、ペットを飼うことにも似ていると思う。

にんにくの醤油漬けを作った。

にんにく。これの管理が難しい。あると便利であるため冷蔵庫に常備したいものの、頻繁に使うわけではないため、最後の一欠片をダメにしてしまうことがしばしば。これを一つの課題として頭の中の棚に置いておいていたのだが、優先順位が高くないため長らく置きっぱなしになっていた。そんなあるとき、野菜の本を読んでいて、にんにくの醤油漬けが紹介されているのを見た。にんにくを醤油に漬けるだけ。これでにんにく醤油を得られるだけでなく、保存食としても利用出来るとは有難い。早速にんにくを購入し、煮沸消毒をした瓶に詰めて冷蔵庫に入れてみた。食べられるようになるのは二週間後とのことだ。

その間、にんにくの醤油漬けが育つのを待つことになる。きっと醤油はにんにくのエキスを吸って美味しく仕上がってくれるだろう。にんにくの方はどうだろうか。基本的ににんにくは、すりおろして料理に投入し、調味料としてしか使ったことが無い。にんにくを「食べ物」として口にしたことが無いのである。食べ物として食べることを知ったのもここ数年だ。美味しく出来るだろうか。

冷蔵庫の中で育つのを待つ。出来上がりが楽しみだ。



日記録1杯, 日常,

2014年7月3日(木) 緑茶カウント:1杯

自分は気に入ったものを延々と食べ続けられる習性があるようで、かれこれ三、四ヶ月、毎日毎日スナップエンドウのおひたしを食べ続けている。もう一つ葉物のおひたしも数ヶ月食べ続けているが、こちらは菜の花、ほうれん草、小松菜と、まだ選択肢がある。ただし「おひたし」という単位で考えると、ここ数ヶ月毎日毎日食べ続けている。

また、チーズが好きで、これもほぼ冷蔵庫に常備され、しょっちゅう食べている。昼飯も定型化しており、だいたいおにぎりと味噌汁である。それにヨーグルト。朝も定型化しており、トーストと卵とヨーグルトと牛乳。バナナは管理が面倒くさいので最近省略しているが、昔は毎日食べていた。最後に緑茶。これは欠かせない。

結果、栄養が偏るのである。

一人暮らしも長いが、刺身を買ったことは一度も無く、貝類を買ったことも無い。レバーは絶対食べないし、モツも手に取ろうと思ったことさえ無い。エビもイカもタコも買ったことが無い。

そのうえで朝食を省略し、食事量が減ればそりゃあ体調も崩すよなぁ。と、納得するのもここ数日異様に体調が良いからで。未だその感動を噛み締めているのである。



日記録3杯, 日常,

2014年5月30日(金) 緑茶カウント:3杯

昨今の心労の原因は年下の若者で、彼の人の言葉を反芻しながら飲み込んだ明太子入りの出汁巻き卵は、しその香りがふわりと染みて温かく、美味しかった。

何度も店の前を通りかかったが初めて入った小さな居酒屋。入ろうと思ったのは、温かくて、優しい味のものを食べたかったからだ。中華でもイタリアンでもなく、冷奴や出汁巻き卵のような、ふわっとしたものが食べたかったのだ。つまり疲れていたのである。心が。自己嫌悪していたのである。とても。

あぁ怒ってしまった。己は怒ってしまったのだ。

怒ったときこそ冷静にならなければならない。「正義は微笑をもって語れ」という言葉を己は大事にしているのに、全く実行出来ちゃいない。それは太宰治の本「正義と微笑」に登場する言葉だ。しかし聞いたのは祖父の口からだった。祖父は癖のある人で、自分勝手なところも多いが、その言葉はとても良いものとして自分は受け取った。その後件の本を読んで、祖父の言葉の由縁を知り、多いに納得したのだった。祖父は読書家なのである。

この不快の原因がもはや自分にあるのか他者にあるのか定かでは無い。あぁ、でも、本当に、困るのだ。その人は言葉がとても下手で、敬語を全然話せない。「あーーーえーーー申し訳ございません、うっかり(私が)お忘れになったみたいです」「えーーーーーウヲさんが(私に)お送りさせていただいた物の件ですが………」と喋るのだ。また、普通の会話で言いよどむことが多い。最初は何を迷っているのかと思っていたが最近気付いた。次に使う敬語を探しているのである。そのうえで、見つけられていないのである。

いっそタメ口で話して欲しいが、おかしいのは敬語だけでは無い。言葉のチョイスが間違っているのだ。「○○を参考に使ってください」と言うべきところで「○○を流用してください」と言ってしまい、その言葉の意味のズレに本人が気付かない。言葉通りに受け取った自分は理解が出来ず、前後の文脈と状況から類推し、「それは参考にしてください、という意味ですか?」と尋ねると、「あーーーーーそうですね。そうとも言いますね」と答える。そうとしか言わねーよ。

やんわりとミスを指摘すれば必ず「私の伝え方も悪かったかもしれません」と返すのも腹立たしく、会話をするたびに小さなストレスが積み重なっている。そして今日、また「参考」と「流用」のようなことが起こり、自分は怒ったのだった。

あーあー。

憂鬱な気持ちで居酒屋の暖簾をくぐると、カウンターの奥のおっちゃんがにっこり笑って「こんばんは」と迎えてくれた。「いらっしゃい」じゃなくて「こんばんは」。あ、何か良いな、嬉しいな、と思った。「お一人ですか? じゃあ奥のお席はいかがです?」「はい、ありがとうございます」「メニューはこちらです。飲み物はこちら。本日のおすすめは黒板に。ゆっくりなさってくださいね」

心が溶けるような思いがしたよ。あぁ、普通の会話だ普通の会話だ。己はこれを望んでいたんだ。

疲れていたんだなぁ。自分は。



日記録0杯, 日常,

2014年5月24日(土) 緑茶カウント:0杯

野菜が大好きだ。この先一生、肉と野菜のどちらかしか食べられなくなるとして、どちらを選ぶかと問われれば、己は間違いなく野菜を選ぶ。野菜は生活に必要不可欠なものである。野菜を食べたいがゆえに自炊を始めたと言っても過言では無い。毎日複数種類の野菜を食べないと欲求が満たされないのである。

とはいえ、では肉が不要であるかと問われれば否である。そして、どうしても肉を、それも肉の塊をがっつり喰いたくてたまらないという衝動を抱くこともある。

そしてその衝動のままに、お手頃価格で肉を喰らいワインを呑める店を近所で見つけて今日自分はとても満足したのであった。

見つけて、と言うのは正確に言うと正しくない。何ヶ月も前から路上に置かれた看板を見て店の存在は知っていた。ただずっと気になりつつも入ったことが無かったのである。だが今日、ついにそこに入り、ピクルスとチーズとステーキとワインを喰らってきたのである。

美味かった。

よし。肉を食べたくなったらここに来よう。肉を食べたい欲求を抱いたらここに来れば満たされる。一つ安心をして店を出た。あー、幸せ。