日記録2杯, 中華料理屋, 日常,

2013年10月11日(金) 緑茶カウント:2杯

指摘されるまで気付かなかった。何故なら自分はそれを当然のこととして受け止めていたからだ。だが、よくよく考え、他店と比較してみると、全く当たり前ではない、努力と気遣いの結晶によるものだったのだ。

月に二度ほど通っている駅前の小さな中華料理屋。そこはほとんどがカウンター席で、常に人がごった返している。おかみさんは忙しく働きながら客と会話を交わし、賑やかで和やかな空気が流れている。自分は料理の味ももちろん気に入っているが、この店の居心地の良さもかなり好いている。自然、一人で外食をする際にはこの店に足を運ぶことが多く、他に興味を持ちつつもついつい来てしまうため新規開拓もままならない。だが、それで満足している。

この居心地の良さはおかみさんの人柄によるものと思っていたが、もう一つあることに気付かされ、そして驚愕した。今日、カウンターで味噌ラーメンと餃子を食べていたら隣の席の人がカウンターの奥のシンクを指差し、「あれを見て」と促してきたのだ。その人とは初対面であるが、直前に二、三会話を交わしていた。促されるままに覗き込む。しかし、見慣れないものは特に無く、隣人の意図が読めず己は先を促した。

「ほら、あのステンレス。ピカピカでしょう。油汚れ一つ無い。ガス台の方もピカピカ。あんなに綺麗にしているお店、他に無いよ」

言われて気付く。流しのステンレスには長年使い込まれた結果の細かい傷こそ付いているものの、汚れはおろか、曇り一つ無い。油を大量に使う中華料理屋とは思えない綺麗さだ。

隣人の指先は手前に移る。次に指差したのは目の前に置かれた調味料入れ。醤油やラー油、酢、胡椒の入った容器が五つほどポンと置かれている。

「これもね。いつ来ても綺麗で、全然ベタベタしてない。カウンターもいつもスベスベ。すごいよこのお店は」

確かに、ラーメン屋に置かれている調味料入れは蓋がべたついていることがままある。カウンターもそうだ。
そして改めて見渡してみれば、この店は年季こそ入っているものの、どこもかしこも綺麗に磨かれていて、塵一つ落ちていないのだ。

おかみさんが笑って言った。「掃除にかかる時間が営業時間と同じなの。毎日油使うから毎日綺麗にしないといけないでしょう。そうしないとお客さん気持ち悪いだろうから」

聞けば営業時間は六時間。つまり、一日この店の掃除に六時間かけているということ。
そりゃあ居心地が良いわけだよ!

自分はもしや、すごく素敵な店に出会ってしまったのではないか。知らず知らず受けていた最高のサービスに感嘆せざるを得なかった。



日記録3杯, 中華料理屋, 日常,

2013年7月26日(金) 緑茶カウント:3杯

今日はがっつり食べたいなーってんで馴染みの中華料理屋へ。大入り満員だったがちょうど二人出る人がいたので入れ違いでカウンターへ。いつもの味噌ラーメンと餃子を注文し、しばらくぼーっとしながら店の雰囲気を楽しんでいると、ぽっかり空いた隣の席に店の主が腰を下ろした。

主とは、店の従業員でないにも関わらず、台を拭いたり料理を運んだりと店を手伝いつつ、お湯で薄めた焼酎を呑みながらおかみさんと喋っている人だ。いつ来ても大概この人がいるので、心の中でではあるが勝手に主と呼ばせてもらっている。店に足を運ぶうちに漏れ聞こえる会話から何と無く主とおかみさんの関係がわかってきたが、わかったのはこの二人は家族でも親戚でも雇用関係でもないということだけで、古い友達なのか常連さんなのか、そこらへんの詳細はわからない。

注文した味噌ラーメンがドンと目の前に置かれた直後視界を横切るものがあった。割り箸だ。店の主はにっこり笑って割り箸を差し出していて、そのとき初めて自分はこの人の顔を正面から見た。気の良さそうなおばちゃんだった。今日はまだそんなに酔っ払っていないらしい。

全く、楽しい場所であるよな。



日記録0杯, 中華料理屋, 日常,

2013年7月5日(金) 緑茶カウント:0杯

二十一時までは確実に元気だったが、どこかで糸がぷっちり切れて疲労が肩にのしかかりもうだめだ疲れた何もする気がしない。空腹感すら煩わしく願うことは全身の体重を床の上に投げ出すことのみ。だが、煩わしくとも空腹は確実にあり、何か食べなきゃならないことは確かなので、食欲を感じないものの行き着けの中華料理屋に行った。

餃子を食べる元気は無い。酒を呑みたい気分でもない。強いて言えばチャーハンが食べたいが、ここのチャーハンは量が多い。以前注文したときなど、想像の四倍の量のチャーハンがでっかい皿に山盛りでよそわれ、食べても食べても食べても食べても減らないチャーハンに苦心したものだ。しかもそのときは餃子とビールまで頼んでいて、何度ギブアップしそうになったかわからない。そのうえ油が大量に使われているから胃に来るのだ、これが。

そんなもんを何故疲れているときに食べるのか、と自分に問いたい。案の定疲れた。美味しかったが疲れた。今回はチャーハンだけを頼んだが、疲れた体には多すぎた。正直三分の一で良かった。量を減らしてもらえないかな、と思った。恐らく頼めば調整してくれるだろう。だが悔しかった。何か悔しかった。だって学生の頃はこれくらい余裕で食べられたはずだから。今もきっと食べられるはず。食べられる体でありたい。だから食べる。

だから食べるったって疲れてるんだってば。

あぁ、これから消化にエネルギーを使ってまた疲れるのか、と思いつつ重い腹をさすりながら家に帰った。疲れた。美味しかった。疲れた。



日記録2杯, 中華料理屋, 日常,

重い重い気分で食欲もすっかり失せていたが、食べたい意欲なんぞ全く持っていなかったが、今自分はここに行った方が良いのだろうと判断し、月に一度か二度顔を出す中華料理屋の暖簾をくぐったのであった。

まず二年前。己はあることに全く納得出来ずにいた。その人が良いというものを全く良いとは思えず、むしろ愚の骨頂とまで思っていた。だが自分はその道に関して無知であり未熟だったので、その人の言葉に従った。常識的に考えればありえないと思われるが、それは単に自分が固定観念に囚われているだけかもしれない。挑戦は大切だ。まずやってみることだ。

そして欺瞞の一年間が過ぎ、その人がいなくなった後に現れた新たな人が、一年の間に積み上げられた様々なそれぞれを一つずつ破壊していった。そしてこのときようやく、「あぁ、やっぱりあれはありえなかったんだ」と知ることが出来てほっとしたのである。

くだらない、馬鹿みたい、阿呆らしい、ありえないと思っていたものが一つ一つ潰されるたびに自分の価値観が回復されていくように感じた。嬉しかった。清清しく思った。その解放感はしばらく続いたが、今日になって揺り戻しが来た。その過去の一年間にも不満を抱えていたものの、飲み込むことは出来ていたが、今の自分の立ち位置から当時を思い返してみると、あれは本当に嫌な一年間だった、と過去の自分が封じ込めようとしていた苦しさに気付いてしまったのだ。

そして。破壊されることで自分の正当性が認められた思いはしたが、それでもその破壊されたそれぞれは、積み重ねてきたそれぞれは、押し付けられた無理難題に応えるべく必死になって努力して自分が積み重ねたものだったので、あれはいったい何だったんだろうと、ひどく虚しくなったのだ。

あぁ、やっぱりあのとき反論出来れば良かったな、こんな無意味なことに労力を費やして何になるのかと言えれば良かったな、皆あんたの自己満足だろと指摘してやれれば良かったな、助け舟が欲しかったな、辛かったな、と溢れ出す悲しさ、滅入っていく心。多分きっと、このまま家に帰ったらドツボにはまってしまうだろう。それはそれで被虐的な気分に浸れて気持ちが良いかもしれないが、でも、ここはやはり人のいるところに行くべきじゃないかな。

その中華料理屋には主がいる。おかみさんの友人か常連か両方か、その正体はよくわからない。聞こえてくる会話から察するに毎日のように入り浸っているらしい。主は客であるにも関わらず、他の客の食べた後の皿を片付け、布巾で卓を清め、醤油を取ろうと身を乗り出した客のために醤油とラー油と酢の瓶を寄越してやりながら、お湯で薄めた焼酎を呑んでいる。

おかみさんは主の相手をしながら他の客にも声をかけ、お茶が少なくなれば注ぎに行きつつ料理をし、呑みすぎた酔っ払いに注意をしてやりつつ、月に一度か二度しか顔を出さない自分のことも覚えてくれ、「いっしょの?」と聞いて味噌ラーメンと餃子を用意してくれる。料理が来るまでは暇になるが退屈はしない。おかみさんの人柄によって作られた空間に身を置くことがひたすら心地良いのである。そしてまた美味いのだ、味噌ラーメンと餃子が。だから自分はずっと同じものばかり注文してしまうのである。

今日も店は繁盛している。おかみさんは主と会話をしているが、同時進行で他の客とも会話をし、「ご馳走様!」「美味しかったよ!」「寒くなってきたけど風邪引かないでくれよ!」と食べ終わった人は小銭とともに言葉を置いて店を出て行く。自分は注文と会計のときのみおかみさんと言葉を交わすが、その他はだいたい放っておいてもらえている。あぁ、楽。

店を出る頃には嫌な気持ちは薄らいでいた。やりきれない思いはあるが、乗り越えるしかない。と、少しだけ前向きな気持ちになって。