日記録3杯, 日常

2014年9月2日(火) 緑茶カウント:3杯

ふと目にした「インバストリートメント」なる文字を「インキュバストリートメント」と読み間違え、数秒後に文字を見つめ直して間違いに気付くも、脳内は勝手に展開を始め、インキュバスから連想するばっよえ~んでどんえ~んでばよひひひーな世界観で頭がいっぱいののーみそこねこね。インキュバス。これは伝説上の夢魔の名前であり、「魔導物語」「ぷよぷよ」シリーズに出てくるキャラクターの名前でもある。そして自分は圧倒的に後者を連想してしまうので、すると自動的に脳内がコンパイルで埋め尽くされてしまうのだ。

この奇病を患ったのはもう十五年近くも前のこと。思春期にぷよぷよにはまってから、熱が落ち着き、すっかりゲームに触れることが無くなった今でさえ、日常の中でちょっとした単語を拾うたびに脳が弾けて戻って来なくなる。インキュバスは特別好きなキャラクターというわけでも無く、一押しはドラコケンタウロスなのだが、ドラコケンタウロスに比べればよっぽど日常で目にする機会のある単語であるためスイッチになりやすい。あとすけとうだら、サタンもなかなかの頻度だ。

きっと五十になっても六十になってもこの奇病は治らず、ばっよえ~んでどんえ~んでばよひひひーのるいぱんこ、どんぱうんぱであり続けるのだろうと確信しつつ。インキュバストリートメントって何だよと思っている。



日記録4杯, 日常

2014年9月1日(月) 緑茶カウント:4杯

長ズボンしか選択肢が無いのに外は大雨。しかも濃い色のズボンは洗濯に出して現在吊り下げられており、残るは白のズボン、もしくは寝巻き。いや、七分丈のズボンもあるにはある。だが目的の外出先にはふさわしくない。そう、己は外に出なければならないのである。目的のために。大雨の中。しかも長靴も無い。無い無い尽くしの無い尽くし。

出るのか。白い長ズボンを穿いて。この地上全部が水溜りになっているかのような雨の中。歩くのか。この足で。スニーカーなんぞ五秒で浸水するだろう。靴の中で皮膚と爪はふやけるだろう。鞄もどうせ濡れるだろう。うわあ、憂鬱。

いっそ寝巻きとサンダルで歩いてしまいたいと思いつつ外に出て、帰宅後服を脱ぎ散らかして白ズボンの裾を検分し、奇跡的に泥汚れがついていないことを確認し、意外となかなか器用に歩けるのだなと思うも、待ちかねたるはさらなる悲劇。洗濯物は今だ生乾きで、白のズボンもすっかり濡れて。明日は何を着れば良いのだろうか。途方に暮れる夜。靴も濡れてるぜ。ははは。



日記録1杯, 日常,

2014年8月31日(日) 緑茶カウント:0杯

たかだか切っただけのトマトがどうしてこんなに美味いのだ。

塩すら振っていない。トマトを二個、厚めに切って皿に乗せただけ。これだけで立派なおかず、もしくは酒の肴になるのだから素晴らしい。そもそもトマト料理が大好きで、トマトの登場頻度の高いイタリアンに目が無いので、人よりトマトへの愛が強い自覚はあるが、やはりそれ以上にトマトそのものが美味いのだ。

しかし昨今はどうにも野菜の値段が高く、あれこれと買うと思った以上の支払い金額になるのが困ったものだが、それでもやはりこの季節、トマトの消費は抑えられず、ついでにミョウガの消費も抑えられず、毎日のようにトマトやミョウガを食べて、過ぎ行く夏を実感しているのである。



日記録0杯, 日常

2014年8月30日(土) 緑茶カウント:0杯

このところすっかり涼しくなって、昼間はセミが大勢鳴いているのに、夜は鈴虫の音が聞こえ、九月の到来も目と鼻の先。道を歩けばひっくり返ったセミがあちこちにいて、多くは足が縮こまっているが、たまに足をわきわき動かしている奴がいる。しゃがみこんで人差し指を差し出すとひしと抱きつくも、飛ぶ元気が無いのか指から離れずじっと虚空を見つめている。愛らしい。そんなセミを数匹拾い、近くの木に移してやるのだが、大抵は力尽きて木から落ちてしまう。

あぁ、夏も終わるのだなぁ。



日記録3杯, 日常

2014年8月28日(木) 緑茶カウント:3杯

趣味で日記やライブの感想を書き連ねる日々の中、たまに驚くことも起こるもので、もう何ヶ月、はたまた数年前のことなのでそろそろ書いても問題無かろうと思いここに書き記すが、あるライブの感想を書いたところ、その文章をとある公式ライブレポートにところどころ流用されてしまったことがあった。

それはTwitterで回ってきたリンクの先にあったもので、無論自分の行ったライブなので興味を持って読んだのだが、妙な既視感があり、思いあがりかと思いつつ照らし合わせてみた結果、よもやまさかの、見事なコピペであったのだった。

ただ、ところどころ改変されていて、それがまた具合の悪い変え方だった。例えば。「○○さんは、△△という曲の後、夏が好きと語り、夏には必ず海に出かけて魚釣りをする、という内容を叫んだ」と記したところが、「○○さんは△△という曲の後、『俺は夏には必ず海に出かけて魚釣りをする!!』と叫んだ」と書き換えられているのである。確かに後者の方が簡潔な文章だが一つ大きな問題がある。○○さんは「俺は夏には必ず海に出かけて魚釣りをする!!」という言葉をそのまま叫んではいないのだ。

ライブの感想は記憶に頼ってばかりゆえ曖昧な箇所も少なくないので、自分はしっかり記憶している箇所以外は「○○と言った」と書かないようにし、あくまでもこういう内容の話をしていましたよ、叫んでいましたよ、と書くよう注意しているのだが、まさか公式のライブレポートに転載されたうえ、表現を修正され、結果として公式から「ミュージシャンが言ってない発言」を「言った」と断言される状態になり、その発端は自分、という構図が、他者の目からは見えないながらも作られてしまうとは思わなかった。

ちなみにそれはミュージシャンのプライベートに関わることでは無かったが、いわゆる重要な場面での決め台詞に近いものだったので、「あぁ、違う! 違う! そう言ったんじゃないんだよ、そういう内容のことをそこで言っただけなんだよ!」と頭を抱えざるを得ず、いったいどのように書いていたら伝わったのだろうか、としばし悩みこんだ。今でも感想を書くたびに思い出し、自戒しつつ、どうすればなるべく誤解を与えず伝えることが出来るだろうと考える。自分にとってライブの感想を記すことは、その状況を他者に伝えるためではなく、あくまで自分の感想の記録を目的としているとはいえ、公開するからにはその分責任は生まれるだろう。それは小さな記事だったが、自分にとっては衝撃的な出来事だった。